『誰かにつけられている気がするの』

 笑子がそう言ったとき、すっかり忘れていた記憶が走馬灯のように駆け巡り、ぽっかり空いた記憶のピースを埋めていった。

聞いたことある……なんて話ではなかった。

 夢だと思っていた記憶が少しずつ現実味を帯びてきて、不安そうにおびえた笑子の顔が浮かんだ。



 三年前の夏、今の笑子とそっくりな高校生が三年後の俺にふられたのだと憤った状態で目の前に現れた。

 未来から来たと言われてもそんなの信じられるはずもなく、それでも校門から出られなかったり恐怖に震える彼女を見ていたら、信じるしかなかった。

 高校生の笑子は、俺が刺されたのだと言って泣きわめいていた。

 ずっと夢だと思っていたあの出来事が本当なら、俺は刺されるのだろう。

 笑子のことをつけているやつがいるのは薄々気づいていた。

 多分、隣の高校の生徒で、一ヶ月くらい前から笑子のうしろを行ったり来たりしている。

 さりげなく後をつけて釘をさしたこともあったけど、笑子自身は気にする様子もなかったため、大きなことをしでかさない限りはこっそり見守ろうと思っていた。

 でも、今日は違った。

 不安そうな笑子のようすに、あの日の姿が重なってしまったのだろうか。

 わからない。

 良くも悪くも、それがきっかけで突然あの出来事を思い返すきっかけとなった。

 あの気弱そうな男が、そんな暴挙な行動を起こすのだろうか。でも、迷ってる時間はなかった。

 それでも三年後の笑子の様子からして、ただごとじゃなかったのだろう。

 無意識にも警察官である両親から護身術を習うようになった意味が分かった気がした。



 正面に座る笑子は、参考書から目を離さない。

 きれいに施されたメイクと隙のない横顔はときどき、知らない人に見えることがある。

 お花が好きだとどんな日でも花壇の前で優しい笑顔を浮かべていた笑子が好きだった。

 先生たちに話しかけれると顔をくしゃっとして一生懸命笑顔を作っていた。

 本当は笑うのが苦手なんだろうな、と気になり始めて、それから意識をして、いつの間にか好きになっていた。

 今の笑子のことが嫌いなんじゃない。

 勉強もできるし、明るくてきれいで、誰からも好かれていて、すごい人だと尊敬することも増えた。

 自慢の彼女ではある。

 でも、高評価をするのは俺だけではダメなのかと思ったりもする。

 少しずつ少しずつ、確実に距離を感じるようになった。

 笑子は、俺のことを好きなんじゃないかもしれない。

 そう思うようにもなり始めた。



 わかっていた。

 夢で見た未来の笑子は泣いていた。

 泣いていて、俺とのことを後悔していると嘆いていた。

 その姿を見ていたのに、この完ぺきな様子を目の当たりすると何も言えなくなっていた。



 修学旅行で買ったキャラクターを取り出す。

 本当は毎日持ち歩いてはいたけど、ある時からつけるのをやめてしまったし、笑子は笑子で何もいうことはなかった。

 このまんまるいマスコットのことは覚えている。

 修学旅行の時、見つけて「げっ……」と思ったほどだ。



 笑子が気づかなくても、きっと過去の俺が気づくはずだ。

 このマスコットは、この事件を乗り越えるキーアイテムだったのだから。

 あのとき、未来の俺はなんて残していただろうか。

 たしか、当時勉強していたスペイン語だった気がする。

 だけど、なんて書いてあったか、そこの記憶だけぽっかり抜けてしまっている。

 またスペイン語で書くべきか。

 でも、中学生だった俺がどこまで理解できるだろうか……と、考えて考えたうえで単語だけ並べて、マスコットに書き込んだ。書き込んだうえで、笑子のカバンに忍び込ませた。

 笑子がカバンをぶちまけたとき、きっとこのマスコットは過去の俺のもとへ向かうはずだから。



 結局、笑子を狙ったのは笑子のあとをついてまわっていた男ではなく、よりにもよって隣町で警察沙汰になっていた通り魔だった。

 笑子に好意を寄せる人間であるのなら、少し距離を置いた状態で見張ればいい……などと思って、俺はひどい言動で笑子を心から傷つけてしまった。

 それでも平然とした笑子に少し腹が立った。



 笑子のあとをつけてすぐ、彼女に向かってナイフを振り上げた男がいた。

 あとから聞いたところ、愉快犯だった。

 傷つけるつもりはなかったらしい。

 それでもそんなことを知らず、俺は飛び出していた。

 未来のことは知っていた。

 だけど、動かずには居られなかった。

 思いっきりナイフが刺さってた腕に跪いたとき、両目いっぱい涙を浮かべて気を失った笑子に、やっぱりどんな未来でも、俺はこの結末を選んだことを悟った。

 頼んだぞ、と過去の自分に向けてつぶやき、俺は再び向かってくるその男に向かって構えたのだった。