あの日のきみにさよなら

 目が覚めた時、見慣れない部屋にいた。

「んっ……」

(ここは……)

 次回から入ってくる景色は眩しく、また目を閉じたくなる。

 ぼんやりした頭でここはどこだろうと考えたけど、つんと鼻をつくお香のような独特の香りにだんだん意識が体に降りてくるのを感じる。

「……っ」

 ズキッと頭が痛んで、口もとがひきつるも先ほどまでと違う澄んだ空気になんとなく戻ってきたんだろうなって思えた。

 霞んだ目で、あたりを見渡す。

 夢を見て泣いていたのだろうか、頬についた乾いた涙の跡に触れ、鼻を豪快にすする。

 えーっと、と、現在の自分の状況を静かに考えてみる。

 そうそう。長年付き合った彼氏に振られて、怒り狂って北瀬川神社に来たんだっけ。

 そうだそうだ。思い出せば思い出すだけ鮮明に記憶がよみがえってくる。

 そして、しみじみ思う。

 不思議な夢だった。

 あの夢で、本当は自分がどうしたかったのか、わかった気がした。

「も……とき……」

 もうどうすることもできない。

 そんな自分にまた泣きそうになる。

 あれは、一番幸せな時だった。

 片思いはつらかったけど、自分自身に素直になって、いつも彼を見ていられた。

「あ、あか……いしく……」

 そう呼んでた頃に戻れたなら。

 顔を覆って目を閉じると、あのキラキラした笑顔が脳裏に浮かぶ。

「あかい……」

「何?」

「……」

 襖が開いて入ってきた人物に、思わず開いた口が塞がらない状態になった。

「あか……あかい……って、もと……基樹……ど、どうして……って」

 じわじわと嫌な記憶も一緒に脳裏のあちこちから浮かび上がってくる。

「基樹っ!」

 基樹はあのとき、不審な人物に刺されて……

「あ、あんた……だ、大丈夫なのっ? け、怪我は……」

 思わず起き上がろうとして視界がぐらりと歪んで倒れそうになるも、必死にもがく。

「け、怪我は……」

 基樹の無事を改めて確認したいのに、体が言うことを聞いてくれない。

 ここは、天国だろうか。

 それなのに、このふらつきはなかなかひどい仕打ちだ。

「いいよ。倒れたんだから。無理に起きるなよ」

 ちゃんと説明するから、などと言うなりわたしの体を支え、再びもとの位置に戻そうとする。

「……え? あっ……ちょっと」

「大丈夫。ちょっと腕をかすめただけだから」

 ほら、と基樹は包帯の巻かれた手をわたしに向ける。

 あまりにも信じがたく衝撃的な光景に、ようやく視界がクリアになった気がした。

「な……んで……」

「通り魔に狙われたんだ。すぐに警察へ行かなきゃいけなかったんだけど、おまえが倒れたから、ひとまずここで休ませてもらうことになって……」

「た、倒れた? ここは……」

「北瀬川神社だよ。俺のクラスメイトがここの娘で」

「いや、そうじゃなくって、た、倒れたのは基樹じゃ……」

「切られた俺を見てぶっ倒れたのはおまえだよ」

「そ……そんな……」

「痛いところはない?」

「ないけど……」

「よかった。じゃあ母さんに連絡するから」

「………」

 慣れた手つきでスマホをいじり、電話越しにわたしが目覚めたことを淡々と伝えている基樹はさきほどまで一緒だった彼とは違い、大人びていて堂々として見える。

「………」

(えっとぉおおお……)

 状況がうまく読めない。

(なにより、なんで、この人がここに……)

 通り魔の件もそうだけど、そもそもわたしはその前に、この人にふられたはずではなかろうか。思考が追いつかない。

「……状況が読めない?」

「よ、読めない……」

 通話を終え、ぽかんと眺めるわたしに、基樹は笑う。

「ああ、本当にあの時のおまえは未来から来てたんだな」

「えっ……」

 もう二度と近くで話すこともないと思っていた赤石基張本人が目の前で腕を組み何やら感慨深そうに頷いている姿が目に入る。

 えーーーっと、これは、夢……ではない。

 えーっとえーっと……

「中学生の俺、かわいかったか?」

 いったい何がどうなってるんだろうか。

 わたしの気も知らないで、表情一つ変えずに、この男は聞いてくる。

 ああ、間違いない。

 これがわたしのよく知る、現在の赤石基樹その人だ。

「……ど、どうして無茶なことをしたのよ」

 再び合えたら言いたいことは山ほどあった。そして、それがあのころに戻った原因なひとつであるということも知っている。

「なんで……わたしを助けたのよ」

 でも、言わずにはいられなかった。