世の中には、不思議なことがあるものだ。

 改めてこの状況にそう思わざるをえない。

 奇跡とか願掛けとか神さま仏さまへのお願いを本気で信じているわけではない。

 お賽銭だって何度願いを込めて投入したかはわからないし(最もお賽銭は神さまへの感謝の気持ちを込めて投げるものらしいけど)、お守りだって数え切れないほど持っている。

 もちろん、人並みに神頼みに勤しんでいることも否めなくはないけど、それらはすべてそのときの自己満足で終わるのだ。

 占いだって、朝のニュース番組でちらっと目にして一喜一憂してしまったとしても、どうせ次の瞬間に新しい記憶へと塗り替えられてしまっている。

 結局のところ、自分の運命を良くも悪くも変えられるのは自分自身なのである。

 なにかに頼ろうと躍起になったとしても、結局すべての結果は自分の努力次第で決まってくるのだと、わたしは知っている。

 なぜなら、努力をすればすべてとまではいかなくてもある程度の結果は自分のもとへ返ってくるということを十七年生きてきた上でなんとなく悟ったからだ。

 たとえ叶わなくたって、そこで行った努力や試みは決して無駄なものではないし、経験値という自信となっていずれ何らかの形で今の自分の生活に結びついてくる。

 今のわたしが存在しているのは、努力を重ねたからといっても過言ではない。

 たくさん苦労もしたし、いろんなことを考えて試行錯誤もした。

 チャンスがあるなら何でも挑戦した。

 だからこそ、大きな壁が目の前に立ちはだかったときだってどうすればうまく乗り越えていけるのだろうかなんて、ほんの少し知恵を使えば簡単な問題だと思っていた。

 努力は無限。人を裏切ることはない。

 まだまだ怠ることはできない。

 いつだってわたしは目に見えない何かに手を伸ばし、それを追い続けていた。

 一年後は受験生であり、そろそろ大人として扱われる年齢もだんだん近づいてきたし、自分の身に降りかかるすべてのことに関してはなんとなく知り尽くしたような気持ちでいた。

 『井の中の蛙大海を知らず』

 もちろん、わたしが狭い世界しか知らず、そんな中で驕り高ぶっていることなんて、このときのわたしは知る由もなかった。