「じゃあ、どっから回ろう……未来の俺と校内の中で過ごしてないところとか、あるの?」

 立ち上がった基樹はもう前を向いてる。

「ほとんど一緒にいたから過ごしてない場所なんてないと思うけど……あ、あるけど、職員室はさすがに……って、な、なによ」

 彼の言うことに対してそのまま返しただけなのに困ったように笑う彼にぎょっとした。

「なに、笑うとこ?」

 笑うと言うより、苦笑かな。

「ほとんど一緒にいたんだ?」

「え、ま、まぁ……そうだけど」

 改めて口にしてみて、なんとなく恥ずかしくなった。

「……俺、ベタ惚れだったんだろうな」

「え? どうしてそうなるのよ」

 予想外の言葉に耳を疑う。

「だって、ゲバイ女は……」

「今の俺は、彼女ができても校内でいちゃつきたいと思わないから」

「いや、別に……校内でいちゃついてたわけじゃないけど」

「どちらかというと人目に触れないところで目立たないように過ごしたい」

「あんたの場合、目立つなって方が無理でしょ」

「彼女とひやかされるのは嫌んだよ。だから、そんな俺が校内で堂々と彼女と思われる人間と過ごすのってなんか意外というか」

 来年という近い未来の話である。

「それだけずっと一緒にいたかったんだろうなって」

 基樹の表情が、少しだけ大人びて見えたのは月明かりだけが頼りな薄暗い室内のせいだろう。

 ちょっとだけ今の基樹に見えたことは、彼には言わない。

 カバンを肩にかけ、彼に続いて立ち上がったとき、窓の外に広がる大きな木々を目にもうひとつだけ思い出したことがある。

「どこも鍵がかかってそうだけど……」

 行ってみるか、と言う基樹の背を追う。

「あ!」

「ん?」

「手!」

「え?」

「手をつないで校内を歩いたことなかった」

「ええ?」

「……多分それがやり残したことではないと思うけど」

 本当に、これと言って思い返しても何も思いつかないのだ。

 同じクラスになりたかった。

 あの舞台でわたしが基樹の前でシンデレラを演じたかった……など、たとえあったとしても自分たちだけでは今さらどうにもならないことだ。

「……はい」

「えっ?」

 気まずそうに差し出された手に驚く。

「基樹? ……繋いでもいいの?」

「も、戻りたいんだろ……」

「そりゃ、戻りたいけど……なんだか浮気しちゃったみたいだね」

「なっ!」

 手を重ねると、中学生とはいえ大きな手のひらにすっぽりと包まれる。

 照れ隠しのつもりで笑うと、正反対に耳まで真っ赤になった基樹が首の後ろに手をまわしていた。

「あ、違うか。わたし、今フリーだった」

「さ、最低だな……」

「じょっ、冗談だよ、離していい!」

 慌てて手を引っこ抜こうとしたけど、それ以上に基樹の力は強いみたいで、ぐっとさらに力強く握られた。

「ちょっ……」

「も、戻してやるって決めたんだ」

 言い切る基樹は珍しく声を上げた。

「は、はぁ? 顔真っ赤だけど……」

「う、うるせぇ! 手なんて繋いだことねぇんだよ!」

「……うそばっかり」

「うそじゃねぇ!」

「ねぇ、ひとつ言っとくけど」

「なに?」

「吊り橋体験というか、この珍体験で感じたスリルと恋心を間違えてわたしに惚れたと勘違いして、中学生のわたしに興味を持たないでよね」

「なっ、持たねぇよっ!」

 誰かもわかんねぇのに、とむくれたまま前を向いてしまった基樹はもう、しばらくはこちらを向いてくれそうにない。 

「……ありがと」

 その背中に目を向け、薄々思う。

 わたしはやり残したことをしにここにきたのではない。

 この人に再び、恋をしに来たのではないかと。

 最後にしっかり恋をして、完全に未練を断ち切ろうとしているのではないか。

 嫌だな、と思うけど、とくんとくんと高なる胸の鼓動を押さえるのが精一杯だった。