それでも、今この瞬間に感謝した。

 聞きたいことはある。

「ねぇ」

「ん?」

「あんたさ、好きな人いんの?」

「……え?」

 いきなりの問いに面食らったように言葉を失う基樹にずっと聞いてみたかった言葉を投げかけてみたのだ。

 そういえば、聞いたことがなかった。

「だって、けばい女が嫌だってんなら、いったいどんな子だったらいいってのよ? 基樹のまわりだってきれいにメイクした女の子たち、たくさんいたように思うけど」

 思う時よりも、間違いがない。

 基樹の周りにいた同級生たちはみんな大人びていて、実際にきれいな高校生と歩いているのも目にしていた。

 だったらどんな相手が好みなのか興味はある。

 わたしはこのころの基樹をなにも知らないのだから。

 どんな女の子を想っていたかとか、興味があったのか……とか。

「べ、別に……」

「あ! その様子はやっぱりいるんだっ!」

 聞いてみたい反面、なんだか少し複雑な心境ではあったけど、あまりに狼狽している様子だったからついつい乗り出して彼に聞き入ってしまった。

「気になる気になる! 絶対いるんでしょ、好きな人!」

「麗華ちゃん?」

「な、違う! 麗華じゃなくて……あ、いや……」

「やっぱりいるんだ!」

 その様子は肯定してるも同然だった。

 だからこそ言葉を間違えないように、わたしは続けた。

「パラレルワールドでの話だけどね、あっちの世界の基樹がどうしてわたしと付き合うことを決めてくれたのかはよくわかんないし、聞いても教えてくれなかったんだけど、絶対この当時は他に好きな人がいたと思うのよ」

 ね?と彼の顔を覗き込むと、今度はやかんが火を噴いたように真っ赤になった彼の姿を目の当たりにして、正直驚いた。

「な、なんだよっ……」

「い、いや、付き合い慣れてますって顔してるくせに、こんな話題で照れちゃうのね」

 現にこの夏も彼は年上の女性と付き合っていたはずだ。

「な、慣れてねぇって何度も言って……」

「わたしの記憶ではあんた、このころから年上のきれ~なお姉さんたちをとっかえひっかえしてるイメージだった!」

「なっ!」

 そうそうそうだ。だんだん思い出してきた。

 そうよ。このころの彼は、いろんな噂が絶えなかったし、実際わたしも彼がきれいなお姉さんたちと歩いている姿を見かけて世界の違う人だと思い知らされたことはある。

 だからこそ、突然自分のような地味な生徒と付き合ってくれたのはなにか今までにない気分転換のようなものだったんだろうと自分で思い込んだくらいだった。

「ふ、ふざけんな。そんなわけねぇし!」

「あ、もしかして、そのお姉さんの誰かにこっぴどくふられたとか?」

 だから、けばい女はいやだとかたくなに嫌がるのだろうか。

 違うって言ってるだろ、とむくれる基樹は口を割りそうにもなかった。

 口が硬いのは今も変わらない。

「ふぅん。まぁ、そういうことにしといてあげるけど」

 まぁいいか。

 意外なものを見られたから。

 しみじみ思う。

 こんな表情をするころもあったんだね、と、思わず頬が緩んだ。というか、わたしと付き合う直前にそんな風に頬を染めるような思いをしていた相手がいたなんてことがちょっとどころかかなり気になったけど、まぁ大人の余裕ってことでこれ以上は追及しないであげることにした。

「あんたも、後悔しないように生きなさいね」

 いきなり何?と怪訝そうな顔になる基樹にわたしは思いっきり口角を上げる。

「あ、ストップ。わたしは後悔なんてないし、未練があってここに現れた幽霊じゃないからね」

 何か言いたそうだったから先に言ってやる。

「人のことばっかり考えてないで、後悔のしない選択をしなさいね。今もこれから先もずっと……」

「なに、急に?」

「いや、なんか、ちっちゃいあんた見てたら、お人よしすぎて逆に心配になってきちゃって」

 かるーく言った、じゃあ付き合う?のその一言で、嫌だ嫌だとわめくほどのけばい女と付き合うことになるかもしれない。

 嫌だ嫌だと言いつつ、今だってわたしをひとりにしないでそばにいてくれる。

「ほんとは、わかってるんだよ。未来のあんたは、いつも間違ってなかった」

「……え?」

「わかってた」

 のどの奥で言葉が詰まって出てこなくなった気がした。だけど、わたしは続けた。

「赤石基という男は、いっつも正しい道を歩いてた。本当、未来の答えが見えてんじゃないの? って思えるくらいに」

 あの背中が、脳裏に浮かんだ。

 いつも強い生ざしで、まっすぐ前を見て歩く彼の姿だ。

「今回の選択だって、間違っていなかった」

 知っていた。本当は、全部知っていた。

 きっと、自分にぴったりな理想の女性に出会ったんだよね。

「悔しいけど、わたしは基に、今のあんたみたいな表情をさせたことはなかった」

 簡単な言葉だったのに、語尾が震えた。

「いつもうまく話せなくて困らせて、だんだん話がかみ合わなくなって困らせて、最後はかわす言葉もなくなって困らせた」

 思い出しただけで胸が締め付けられそうに傷んだ。