夜の学校は、予想以上に恐怖体験の要素でいっぱいだった。
誰もいないけど、トイレには花子さんがいそうだし、音楽室ではモーツァルトやベートーヴェンが額縁越しに話し合っていたりして……などと、こんなときばかりなけなしの想像力が様々な可能性をつれてやってくる。
ゆらゆら揺れるように不気味に光る非常口のグリーンの明かりでさえ何か嫌な予感のする輝きに見えた。
(それなのに、なんでこの男の子はこんなに楽しそうのだろう)
そう思えるくらい生き生きした表情の基樹について、わたしは懐かしい光景(とはいえ夜のこの景色は見たことがなかったけど)の中を当時は毎日通っていた廊下までまでやってきた。
この先にあるのは、わたしの教室だ。
基樹の握るスマホの明かりのみが頼りだ。
「こっち……」
「え?」
声を弾ませた基樹の声が暗い廊下に響く。
わたしの教室だったところと正反対の場所を指さし、そして向かう。
あまりに弾んでいるように見えるものだから、彼が何か変なものに憑りつかれていないだろうかと心配になったほどだった。
それでもわたしはその背を追うしかなかった。
「うわー! やっぱり夜の教室って雰囲気全然違うんだな!」
「……違うなんてもんじゃないでしょ」
昼間はあんなにうるさいのが嘘みたいだと教室に入るなりしみじみ言う基樹に、こんなにも不気味なのにあんたはこわくないのかと言いたくなったけど、言霊で変なものを引き寄せても嫌なのでぐっとこらえる。
「俺さ、今、すっげぇいい席が当たって一番後ろなんだ!」
ほらっ!と彼は大股に進んだ先で、窓際の後ろの席に腰かけ、得意げに笑う。
「……」
「ん? どうした?」
「う、ううん……」
わたしは三年間、結局基樹とは同じクラスになることがなかったから、基樹が中学生の姿で自分の席に着くその姿を初めてみたように思う。
それがとても不思議な感覚だった。
さりげなくあとに続き、ゆっくりとその隣に腰を下ろし、さらになんとも言えない気持ちに浸る。
「中学生のあんたは、そんな風に過ごしてたんだなぁとなんとなく思って」
何度も夢見た光景がそこにあった。
「クラスは、別だったんだ?」
「……」
基樹の言葉にしまったと思う。
「大丈夫だよ。別に、あんたが誰だったとか、もう詮索する気はねぇから」
わたしの気持ちを読み取ったのだろうか。
目をそらせ、基樹は続ける。
「パラレルワールドの話なんだろ? 俺もそう思ってる。このまま俺はあんたを知らないまま生活して、このさきあんたを選んでも選ばなくても、どっちにしろそれは俺の運命だと思ってるから」
月明かりの逆光を浴びる彼の表情は読めなかったけど、気にするなと言われた気がした。
ただ、その言葉に少し胸が軽くなったのを感じたのは確かだった。
「ふふ」
「……ん?」
「じゃあ言うけど」
なんだよ、と言わんばかりにすねた声を出す彼にわたしは笑った。
「なんだかんだでずっとクラスは違ったから、こうして中学校時代のあんたが見れて、ちょっと嬉しいかも」
「……」
どうやって勉強して、どんな風にクラスの仲間たちと笑い合っていたんだろう。
昼間の学校ではないし、もうその光景を見ることはないけど、なんだかこれもわたしのやりたくてもできなかったことのひとつだったように思えた。
「ちょ、ちょっとかよ」
ふん、と基樹が鼻を鳴らす。
(そうだな)
当時のわたしなら泣いて喜んだかもしれない。
わたしは毎日、自分のクラスをお花でいっぱいにしていた。
なにより、ゼラニウムの赤い色を近所の花屋さんで見つけるたびに、わずかなお小遣いをはたいてはクラスに飾っていた。
きっと、誰も気付いてくれる人なんていないとわかっていたけど、ゼラニウムの真紅の輝きを見るたびに、恋をしている自分に酔いしれたものだ。
大好きだった。
彼はわたしのことなんてこれっぽっちも知らなくて、何度か廊下で通り過ぎたこともあったし、わざと後ろを歩いたこともあったけど、こちらから見える彼はいつも横顔か後ろ姿だった。
それでもわたしは、毎日毎日、何をするときも彼のことを考えるのが好きだった。
誰もいないけど、トイレには花子さんがいそうだし、音楽室ではモーツァルトやベートーヴェンが額縁越しに話し合っていたりして……などと、こんなときばかりなけなしの想像力が様々な可能性をつれてやってくる。
ゆらゆら揺れるように不気味に光る非常口のグリーンの明かりでさえ何か嫌な予感のする輝きに見えた。
(それなのに、なんでこの男の子はこんなに楽しそうのだろう)
そう思えるくらい生き生きした表情の基樹について、わたしは懐かしい光景(とはいえ夜のこの景色は見たことがなかったけど)の中を当時は毎日通っていた廊下までまでやってきた。
この先にあるのは、わたしの教室だ。
基樹の握るスマホの明かりのみが頼りだ。
「こっち……」
「え?」
声を弾ませた基樹の声が暗い廊下に響く。
わたしの教室だったところと正反対の場所を指さし、そして向かう。
あまりに弾んでいるように見えるものだから、彼が何か変なものに憑りつかれていないだろうかと心配になったほどだった。
それでもわたしはその背を追うしかなかった。
「うわー! やっぱり夜の教室って雰囲気全然違うんだな!」
「……違うなんてもんじゃないでしょ」
昼間はあんなにうるさいのが嘘みたいだと教室に入るなりしみじみ言う基樹に、こんなにも不気味なのにあんたはこわくないのかと言いたくなったけど、言霊で変なものを引き寄せても嫌なのでぐっとこらえる。
「俺さ、今、すっげぇいい席が当たって一番後ろなんだ!」
ほらっ!と彼は大股に進んだ先で、窓際の後ろの席に腰かけ、得意げに笑う。
「……」
「ん? どうした?」
「う、ううん……」
わたしは三年間、結局基樹とは同じクラスになることがなかったから、基樹が中学生の姿で自分の席に着くその姿を初めてみたように思う。
それがとても不思議な感覚だった。
さりげなくあとに続き、ゆっくりとその隣に腰を下ろし、さらになんとも言えない気持ちに浸る。
「中学生のあんたは、そんな風に過ごしてたんだなぁとなんとなく思って」
何度も夢見た光景がそこにあった。
「クラスは、別だったんだ?」
「……」
基樹の言葉にしまったと思う。
「大丈夫だよ。別に、あんたが誰だったとか、もう詮索する気はねぇから」
わたしの気持ちを読み取ったのだろうか。
目をそらせ、基樹は続ける。
「パラレルワールドの話なんだろ? 俺もそう思ってる。このまま俺はあんたを知らないまま生活して、このさきあんたを選んでも選ばなくても、どっちにしろそれは俺の運命だと思ってるから」
月明かりの逆光を浴びる彼の表情は読めなかったけど、気にするなと言われた気がした。
ただ、その言葉に少し胸が軽くなったのを感じたのは確かだった。
「ふふ」
「……ん?」
「じゃあ言うけど」
なんだよ、と言わんばかりにすねた声を出す彼にわたしは笑った。
「なんだかんだでずっとクラスは違ったから、こうして中学校時代のあんたが見れて、ちょっと嬉しいかも」
「……」
どうやって勉強して、どんな風にクラスの仲間たちと笑い合っていたんだろう。
昼間の学校ではないし、もうその光景を見ることはないけど、なんだかこれもわたしのやりたくてもできなかったことのひとつだったように思えた。
「ちょ、ちょっとかよ」
ふん、と基樹が鼻を鳴らす。
(そうだな)
当時のわたしなら泣いて喜んだかもしれない。
わたしは毎日、自分のクラスをお花でいっぱいにしていた。
なにより、ゼラニウムの赤い色を近所の花屋さんで見つけるたびに、わずかなお小遣いをはたいてはクラスに飾っていた。
きっと、誰も気付いてくれる人なんていないとわかっていたけど、ゼラニウムの真紅の輝きを見るたびに、恋をしている自分に酔いしれたものだ。
大好きだった。
彼はわたしのことなんてこれっぽっちも知らなくて、何度か廊下で通り過ぎたこともあったし、わざと後ろを歩いたこともあったけど、こちらから見える彼はいつも横顔か後ろ姿だった。
それでもわたしは、毎日毎日、何をするときも彼のことを考えるのが好きだった。



