「最近、文字を書き始めたの。」
「文字……小説?随筆?それとも別のもの?」
優香ちゃんは興味深そうに私へ質問を向ける。
「小説、を少し。」
「小説かー、いいね。どれぐらい書いてる?」
「まだ三作ぐらい……」
「三作!見てみたいな。」
「わ、私の作品……?」
「勿論!この絵を見せるのと同対価で__」
しゃっしゃと鉛筆が擦れる音が聞こえた。もう絵のほうに集中しているよう。
「えっと、そこまで自信ないかも。」
私が言葉を濁らせれば、ほんの少しの沈黙が訪れる。凍ったように空気の流れ場止まった。
「そっか。でも無くても見せてほしいって思っちゃうな。」
「__ダメダメでも?才能なくても?」
優香ちゃんには才能がある、それがほんの少し羨ましくて私のことなんてわからないんだからと突き放すような言い方になってしまった。ハッとして視線を落としてしまう。
「そうだよ。ダメダメでも才能なくても見せてほしい、鈴の好きなもの頑張ってるもの何か挑戦しているもの知りたいんだから。」
視線を上げる、優香ちゃんは優しく微笑み私の目を見ていた。
「わかった。今は持ってないからまた持ってくるね。」
「いいの!?」
「うん。だから、また来てもいい?」
「もちろん。また来て!」
優香ちゃんの美しい瞳が揺れ動く。小さな個室の病室で木漏れ日のような太陽光が室内を照らす。点滴の不規則な水滴音と紙と鉛筆が擦れる音が交じり合いなんだか病室じゃないような気がする。黒鉛とお見舞いの生花から香る濃く甘い匂い、嫌というほど空気に交じり満たす。そこにいるのは絵を描く床に伏した少女と少し離れた場所からパイプ椅子に座る私。その光景が全部全部美しくてたまらない。
絵に残してしまうのがもったいないほどだ。音も匂いも光景もすべてすべて残すことなどできないんだから。
「よし、完成。」
会話が途切れて数分が立っただろうか。ピタッと描く音が止まり、優香ちゃんの声が部屋に残った。私は見せてもらおうと椅子から立ち上がりベッドのほうへと近寄る。立ち上がれば固まったように足が動きずらく硬い椅子の上に座っていたからか下半身が痛む。
「だーめ。これは次来たときね。」
覗き込もうとしたその時、優香ちゃんはスケッチブックを閉じた。私が見れないようにぎゅっと体のほうへ握りこみ、悪戯な笑みを浮かべている。これじゃあ私が子犬でおやつを目の前で焦らされているみたいだ。
「__だめ?」
「うん、だめ。もう一回来てねっていう約束。」
「約束……」
「そ、」
優香ちゃんはスケッチブックの代わりに小指を私の前に差し出す。私は時間を留めることなく小指を絡ませる。細くて青白い指には確かな熱量がこもっていた。微かな力で握られそれに応えるように私も力を加える。
「ふふ、ありがとう。嬉しい。」
宙に揺蕩うような柔らかい笑顔。ほんのり色づいた頬が近づかなくとも熱を帯びているのがわかる。
「それなら、よかった。」
その後ほんの少しだけ会話を重ね、私は優香ちゃんの病室を出た。
何故か息がしやすくなったように思う。優香ちゃんは諦めたんじゃなかった、例え夢が散っていても私が考えうる最悪のケースではなかった。それは確かだ。
また、行かなきゃな。やっぱり、私がモデルになった絵は見てみたい。私の綴ったものを見せるには準備が足りないけれど、知ってもらうのが少し楽しみだから。
「__それで、無事あの少女に事は伝えられた?」
「うん、伝わったと思うよ。」
『夢散る場所』に来た私は初日と同じ花畑の上で今日のことを望に話していた。ずっと興味深そうに私の話に耳を傾けていた望は表情をコロコロと変えながら楽しそうに聞いている。
「そうか。じゃあ、鈴の想いが届いたんだ。」
「だと、いいな……」
上を見上げれば淡い空色が続いている。真っ青な晴天とはいかないがなんだかいつ来ても心地のいい天気だ。
「にしては、浮かない顔。」
「わかる?」
「……鈴の友達だし。」
少し自覚はあった。なんだか嬉しいのにふわふわとして仕方がない。
「焦ってるんだよ。私。」
「焦ってる?」
「夢の記憶をたくさん辿って浄化してそのたびに気づくから。私がどれだけ普通で凡人でしかも夢の一つも持っていないって。これまで伝っていった記憶の人物は優しい心を持ってたり何か突出する才能が有ったり、まず夢を持つ才能があった。でも、でも私には本当に何もないなって__」
私はそこで言葉を止める。チラッと望のほうを見ればなんだか私と違って晴れ晴れした表情だ。
「鈴はそんなことを考えてたんだ。じゃあ、『運命の夢』を探すのはどう?」
「『運命の夢』……?」
オウム返しで言葉を並べる。ここに来てから新しい単語ばかりだ。
「そう。その夢は諦めることができないし叶えることができる魔法のような夢。あの少女の絵を描き続ける、はたぶん運命の夢。」
いいアイデアだとばかりに望はニコニコと言葉を連ねた。
「夢の探し方は簡単。今まで通り仕事をしながら自分を探す、ただそれだけ。」
「自分を探す……」
「人づてでもいい、記憶の中に出てくる歩道橋が鈴の町のものだった。そうなら鈴のことを探せるかもしれない。」
「記憶の中の私を探して、それでどうすればいいの?」
「ピンとくる何かがあるさ。」
ピンとくる何か__長い間ここで仕事をしている望が言うのだから間違いはないのだろう。これまで通り『散った夢』を浄化しながら自分を捜し歩く。きっとすぐには見つけられない、でもそれで何かが私が何かを得られるなら。
「やってみる。ねぇ、望は自分を見つけたの?」
「秘密、かな。」
ニコッと笑い、望は私からの視線を遠ざける。唇に指をあて、秘密の話をするように小声で話したその言葉は簡単に風に攫われた。
「文字……小説?随筆?それとも別のもの?」
優香ちゃんは興味深そうに私へ質問を向ける。
「小説、を少し。」
「小説かー、いいね。どれぐらい書いてる?」
「まだ三作ぐらい……」
「三作!見てみたいな。」
「わ、私の作品……?」
「勿論!この絵を見せるのと同対価で__」
しゃっしゃと鉛筆が擦れる音が聞こえた。もう絵のほうに集中しているよう。
「えっと、そこまで自信ないかも。」
私が言葉を濁らせれば、ほんの少しの沈黙が訪れる。凍ったように空気の流れ場止まった。
「そっか。でも無くても見せてほしいって思っちゃうな。」
「__ダメダメでも?才能なくても?」
優香ちゃんには才能がある、それがほんの少し羨ましくて私のことなんてわからないんだからと突き放すような言い方になってしまった。ハッとして視線を落としてしまう。
「そうだよ。ダメダメでも才能なくても見せてほしい、鈴の好きなもの頑張ってるもの何か挑戦しているもの知りたいんだから。」
視線を上げる、優香ちゃんは優しく微笑み私の目を見ていた。
「わかった。今は持ってないからまた持ってくるね。」
「いいの!?」
「うん。だから、また来てもいい?」
「もちろん。また来て!」
優香ちゃんの美しい瞳が揺れ動く。小さな個室の病室で木漏れ日のような太陽光が室内を照らす。点滴の不規則な水滴音と紙と鉛筆が擦れる音が交じり合いなんだか病室じゃないような気がする。黒鉛とお見舞いの生花から香る濃く甘い匂い、嫌というほど空気に交じり満たす。そこにいるのは絵を描く床に伏した少女と少し離れた場所からパイプ椅子に座る私。その光景が全部全部美しくてたまらない。
絵に残してしまうのがもったいないほどだ。音も匂いも光景もすべてすべて残すことなどできないんだから。
「よし、完成。」
会話が途切れて数分が立っただろうか。ピタッと描く音が止まり、優香ちゃんの声が部屋に残った。私は見せてもらおうと椅子から立ち上がりベッドのほうへと近寄る。立ち上がれば固まったように足が動きずらく硬い椅子の上に座っていたからか下半身が痛む。
「だーめ。これは次来たときね。」
覗き込もうとしたその時、優香ちゃんはスケッチブックを閉じた。私が見れないようにぎゅっと体のほうへ握りこみ、悪戯な笑みを浮かべている。これじゃあ私が子犬でおやつを目の前で焦らされているみたいだ。
「__だめ?」
「うん、だめ。もう一回来てねっていう約束。」
「約束……」
「そ、」
優香ちゃんはスケッチブックの代わりに小指を私の前に差し出す。私は時間を留めることなく小指を絡ませる。細くて青白い指には確かな熱量がこもっていた。微かな力で握られそれに応えるように私も力を加える。
「ふふ、ありがとう。嬉しい。」
宙に揺蕩うような柔らかい笑顔。ほんのり色づいた頬が近づかなくとも熱を帯びているのがわかる。
「それなら、よかった。」
その後ほんの少しだけ会話を重ね、私は優香ちゃんの病室を出た。
何故か息がしやすくなったように思う。優香ちゃんは諦めたんじゃなかった、例え夢が散っていても私が考えうる最悪のケースではなかった。それは確かだ。
また、行かなきゃな。やっぱり、私がモデルになった絵は見てみたい。私の綴ったものを見せるには準備が足りないけれど、知ってもらうのが少し楽しみだから。
「__それで、無事あの少女に事は伝えられた?」
「うん、伝わったと思うよ。」
『夢散る場所』に来た私は初日と同じ花畑の上で今日のことを望に話していた。ずっと興味深そうに私の話に耳を傾けていた望は表情をコロコロと変えながら楽しそうに聞いている。
「そうか。じゃあ、鈴の想いが届いたんだ。」
「だと、いいな……」
上を見上げれば淡い空色が続いている。真っ青な晴天とはいかないがなんだかいつ来ても心地のいい天気だ。
「にしては、浮かない顔。」
「わかる?」
「……鈴の友達だし。」
少し自覚はあった。なんだか嬉しいのにふわふわとして仕方がない。
「焦ってるんだよ。私。」
「焦ってる?」
「夢の記憶をたくさん辿って浄化してそのたびに気づくから。私がどれだけ普通で凡人でしかも夢の一つも持っていないって。これまで伝っていった記憶の人物は優しい心を持ってたり何か突出する才能が有ったり、まず夢を持つ才能があった。でも、でも私には本当に何もないなって__」
私はそこで言葉を止める。チラッと望のほうを見ればなんだか私と違って晴れ晴れした表情だ。
「鈴はそんなことを考えてたんだ。じゃあ、『運命の夢』を探すのはどう?」
「『運命の夢』……?」
オウム返しで言葉を並べる。ここに来てから新しい単語ばかりだ。
「そう。その夢は諦めることができないし叶えることができる魔法のような夢。あの少女の絵を描き続ける、はたぶん運命の夢。」
いいアイデアだとばかりに望はニコニコと言葉を連ねた。
「夢の探し方は簡単。今まで通り仕事をしながら自分を探す、ただそれだけ。」
「自分を探す……」
「人づてでもいい、記憶の中に出てくる歩道橋が鈴の町のものだった。そうなら鈴のことを探せるかもしれない。」
「記憶の中の私を探して、それでどうすればいいの?」
「ピンとくる何かがあるさ。」
ピンとくる何か__長い間ここで仕事をしている望が言うのだから間違いはないのだろう。これまで通り『散った夢』を浄化しながら自分を捜し歩く。きっとすぐには見つけられない、でもそれで何かが私が何かを得られるなら。
「やってみる。ねぇ、望は自分を見つけたの?」
「秘密、かな。」
ニコッと笑い、望は私からの視線を遠ざける。唇に指をあて、秘密の話をするように小声で話したその言葉は簡単に風に攫われた。

