「やっと起きたね。」
ふわっとしたやわらかい声で目が覚めた。もう耳鳴りも頭痛もしない。どこか草原の上にでも寝ているのか肌にチクチクと何かが触れる感触と緑の匂い。声の主は知らない声で優しく私を起こした。
「……ここは、」
「おはよう。鈴、あたしはあなたの友達とでも名乗ろうかな。」
瞳を開ければそこは大きな花畑だった。カラフルな花が咲き乱れ永遠と続いているみたい。『私の友達』と名乗ったのは10歳前後の少女だった。今の時代にそぐわないきれいな着物を着ていて小さな少女と思えないほど美しかった。模様に使われいている金色に輝く糸が淡い空色がどこまでも続く太陽光に反射している。
「天国、ですか。」
「天国……?そんなとこじゃない。ここは夢が散った場所。」
「夢?」
少女は私がおかしなことを言ったように笑って言葉を続けた。こんなに明るい花畑なのに『夢が散る』という物悲しい言葉がどうも似合わない。何度も瞬きを繰り返すけれど景色は変わらず香水のような濃い甘い匂いが鼻腔を刺激した。
「そう。夢、あなたはなぜかここに来たのね。」
ニコッと笑った少女は私にのっぺりとした貼り付けたような笑みを浮かべた。お面のように作られた表情が私をつかんで離さない。
少女が言う『夢』という言葉は将来性という意味ともレム睡眠という意味にも聞こえる。
「なぜかって、なに?」
「それは……あたしにもわからないけれど。」
チリンと少女が立ち上がれば鈴の音がした。着物か持ち物に鈴がついているのだろうか。つられて私も立ち上がる。足元が重く重圧を感じた。
「せっかく来たんだしついてきてくれる?」
「わかった。」
少女はどこから出したのか小さなランプを掲げ中には優しい灯が揺れている。じっと眺めた少女の顔立ちは美しく和風美人といった印象、幼く童顔な雰囲気だが深紅の口紅が艶やかさを与えている。小さな歩幅で道を迷うこともなく鈴の音をたてながら少女は歩いていく。
私は迷子にならないようにゆっくりと後ろをついていく。段々と花畑から足音が石畳に変わる。どこかの道を歩いているみたいだ。
「そうか、鈴がいるから……ちょっと目をつむっていてね。」
目の前が薄暗く曇ってきたところで少女にそういわれる。振り向いた少女の顔は雨に濡れたように歪んでいた。目の前がチカチカする。いわれた通りぎゅっと目をつむれば当たり前だが歩く足が止まってしまう。
「大丈夫。さあ、袖を握って鈴の音についてきて。」
右手に何か布を握らされる、これが少女の袖なのだろうかしっかりとした生地がザラザラとした手触りを感じる。鈴の音は一定の間隔でなり続け私が見失いそうになれば大きく音が聞こえた。そうやって歩くこと何分が立ったのだろうか。袖の動きと鈴の音が止まった。
「ただいま、帰りました。鈴、目開けていいよ。」
丁寧な少女の言葉が耳に強く響く。目を開ければ夕日のような淡く強くも優しい光が網膜を刺激した。
「大木……?」
目の前に現れたのは大きな木だった。ご神木、とでも言ったほうがいいのだろうか、とてもとても大きな広葉樹には真っ白なしめ縄と垂紙がまかれている。濃い霧があたりに立ち込め、大木と少女以外は霞んでしまいよく見えない。少女の服装はいつの間にか巫女姿になり大木に丁寧な一礼を向けていた。
「夢が散る場所のご神木、『夢散る木』とあたしは呼んでる。」
「『夢散る木』……」
床は石畳で『夢散る木』は木の柵で囲まれ近づくことはできないようだ。葉が茂る枝を見上げればきらきらと輝く光が葉の上に大きく表れ、光は一瞬で真っ黒になり葉に吸収された。
「……また、だ。」
「またってことは__」
その情景を眺めた後少女は苦しそうに顔をゆがめて『夢散る木』を眺めている。また、ということは何度もこの情景が続いているのだろう。
「ここは、『夢が散った場所』その名前の通りさっきのは夢が散る瞬間。」
「夢って将来とかの?」
「そう。将来の希望、大事なもの、自分の道しるべになる遠くてそれでも手を伸ばしたくなるもの。」
少女はそこまで言葉を吐くと失った空気を取り戻すように一呼吸を置く。
「それが苦しいこと嫌なこともう二度と戻れないこと__自分じゃどうしようもできないことに阻まれ諦められた散る運命にある夢。」
『夢散る木』から一歩二歩と後ずさりをするように少女は離れる。ザーッと大きな冷たい風が頬を掠めた。
「最近、多い。あたしがここを任されてからこんなことはめったになかった。……そうだね、鈴ぐらいの年齢の子たちの夢が散っていくの。見てられないんだよなぁ、あたし。」
独り言のように少女は弱弱しい声で呟く。少女の気持ちと連動するように天気が変わってゆく、ぽつりぽつりと雨脚が近づき大粒の雨に打たれる形となった。
「あっ……時間切れ、か。」
ハッとしたように少女は私を見る。
「時間切れって、え__」
自分の手のひらを見た瞬間に私は言葉を失った。雨に当たった部分から段々と自分の体が透けていくのだ。
「大丈夫、また来れるよ。次来たら手伝ってね。」
少女は雨に濡れながら頬伝う雨も気にせずに私に手を振る。
「な、なんで、えっと、」
「……大丈夫だよ。」
透ける体に新しい情報に全てに困惑を覚える私に優しい笑みを少女は浮かべた。大きな鈴の音がして、視界が真っ暗になる。

「__ゆ、め?」
もう一度瞳を開ければ寝間着姿で自分のベッドに寝ていた。
なんだ、ただの夢だったのか。あの光景がありありと思い出せる。随分リアルで気持ちの悪い夢だと思いながら朝の身支度をする。
いつも通り学校に行き、一日を消化した。