揺蕩う雲は灰色で氷を含んで、白銀を降らせる。
空も植物も動物も人間もみんな誰かの役になっている。
誰かに何かを認めてもらい助け合って生命活動を行う。
じゃあ、私は何かを持ち役にたっているのだろうか。
答えは否だろう。
私は本当に平凡な人生を歩んでいる。
年の離れたもう自立したお姉ちゃんが一人と仲良し夫婦の親がいて、入った高校も平均的なところでほどほどに制服がかわいくてその中での成績もこれまた中央値。
髪の毛はロングにして平凡に下で結ぶ。
顔も普通、体格も普通、身長も平均的。
きっと私のことを言語化しようとしたら『どこにでもいる普通の少女』というありきたりな文章になる。
輝く世界なんてないし偉そうに言える実績はないけれどそれなりの人を若干見下して自分の自尊心を得る。
要するにただ普通の高校生に落ち着いてしまう。
(すず)、今日も部活があるから先に行くね!」
「うん、わかった佐奈(さな)ちゃん行ってらっしゃい。」
明るい茶髪の少女を夕日が差し込む教室から見送る。私の名前を呼ぶその声は私より鈴という名が相応しいように音を立てた。あの子は友達ででも親友じゃないし一緒にしゃべるのも時間つぶしの時だけ。
その証拠に私はいつもペアワークで余る。
私の手元を見ればまだ空白があるレポートの用紙。紙の繊維が夕日を反射し私に書いてもらうのをただひたすらに待っている。ペアワークのものなのだが寄りにもよって学校を休みがちの病弱な人と勝手に組まされてしまい私は一人でするしかなかったのだ。コピー用紙の端っこを指でつつけば怒られるように指を切る。
皮膚がスパッと割れ熱を伴う痛みとともに表面上に薄く血がにじんだ。その傷を睨みつけながらレポートの文字を読む。『二人の確認サイン』なんてものがあった。ここはもう先生に任せてサインだけもらってもらおうとため息をつきながら自分の椅子を離れる。
ガタン、と鈍い音がしてそれは私の椅子からではなく教室のドアの音だった。スライド式のドアが建付けが悪く何度も悲鳴を上げながら人一人分の隙間が空く。
高月(こうづき)、まだいたのか。」
「あはは……ちょっとだけ。」
噂をすればというやつで国語教諭の担任が入ってきた。担任は奥さんとたくさんの子宝に恵まれてまだ40に行かない程でまあまあな顔立ちから恋心を奪われ奥さんの自慢トークで失恋をする生徒も少なくないとか。
「寒いんだから早く帰れよー」
そう言いはするものの視線は私ではなく日直が消し損ねた黒板のほうに向き黒板けしで掠れた文字が消されていった。担任の脇には何か証書のようなものが筒に入れられ抱えられている。夏休み等に参加したコンクールの結果がわかる時期だからだろうか。とりあえずこのレポート用紙を渡さなければと担任に歩み寄った。
「先生、これ私のペアの西中(にしなか)さんに渡しておいてくれませんか。」
私が言い放ったのは知らない生徒の名前。西中さんも学校に来ていないわけではないがなぜかタイミングが悪く彼女が来ているときは熱や用事で私が休んでいるのだ。確かきれいな黒髪のロングヘアの子。
「そのために残ってたのか?わかった。渡しておくよ、ちょうどこれもあることだし。」
担任はそう言い放つと脇に抱えていた証書をまるで裏取引のものを見せるように私に近づける。
「絵の表彰ですか?」
証書の紙に書かれていたのは『全国ポスターコンクール最優秀賞』という文字だった。黄金を纏った文字は薄暗い冬の教室に差し込む光で輝いて見える。
「そうだ。本当は東京で表彰式があるような大きいものなんだがな、なんせ今西中は入院中で__」
そこまで言い、担任は言葉を止めた。
「んん”、聞かなかったことにしてくれないか?心配されたくないってことで言うの止められてたんだよ。」
まるで何かを隠すようにカラッとした笑い声が響く。私はこれ以上散策するつもりはサラサラなかった。
「わかりました。私も帰ります、さようなら。」
「はーい、さようなら。」
足早に人気のない夕闇の教室を離れる。私の手には一枚の紙、くしゃくしゃになった進路調査票。大学はいかなきゃと思ってるけどまだわかんないな。なんて思っても無駄なことを思う。
帰り道はコートを突き抜けるほど冷たい風が吹きいつの間にやら雪が舞っていた。今年の初雪だった。
部屋に入ればスマホを片手に持ちベッドに寝転がる。
ネットを見たって自己嫌悪に陥るだけってのはわかっているのに。SNSにはすごい人がたくさんいる自分より上がいすぎて天井が見えない程に人だらけだ。
私は特別にできる趣味などもなく強いて言うなら最近始めた執筆ぐらいだろうか。といってもすごいことは何もなしていない。そのサイトを開けば自分のニックネームが表示されこれまでに書いた小説が列を並べる。
全て反応どころか閲覧数も伸びず後から始めた無名の新人に追い越されるぐらいだ。持て余した承認欲求を消化するようにただただ何の通知もない画面を見続ける。
もう一度大きく溜息を吐き、仕方ないなんて自分に言い聞かせながら窓から空を見る。
白銀に染まった世界に夜の闇が光をより一層強くしている。私には本当に何もないんだと実感をする。
何度考えても遅いことだとかもう無駄だとかこのまま生きていくしかないんだってただただ考えている。
「あ、通知……」
やっと来たその通知はほとんどアンチのようなコメントで『下手』とだけ軽々しい二文字が表示されていた。小さな光の集合でできたその文字はとげみたいに痛くて仕方なくて、苦しい呼吸を速めて心臓を傷めただけだった。
私はただの凡人できっと高校を出て平凡な大学に進学して一般的な恋をして失恋していつか結婚して家庭を持って子供を育てていつの間にか孫ができパートナーに先に旅立たれたりしながらよくある一般的な人生で命を終えるのだろう。それがなんだかいやでいやで仕方がなかった。
その証拠に私の瞳には涙が浮かんでいた。熱くなった目頭がただひたすらに私のことを濡らしていく。熱かった涙は頬につく頃には冷たくなっていて冷たい空気を更に冷やす。
「なんか、全部全部どうでもよくなっちゃったかも。」
そんなことを口に出せば苦笑いが口から洩れる。乾いた小さな笑いは私のガランとした部屋に響いた。
雪、きれいだな。自然のきれいさに見とれて私はベランダに出る。薄い制服姿のままで出たから寒風にさらされ凍える空気を飲み込む。雪を降らす空気はかき氷といつの日かの雨の味がした。
ベランダに座り込み景色を眺める。決して都会とは言えない場所だけれど自分の部屋の二階からは建物が見えて遠くにショッピングモールの明かりがかすんで瞳に映る。
何にもなれなくて青春もできなくて勿論何かで賞を取ったことなんてない。そんな私がこれから生きる意味なんて夢なんてなにも何もないのだから。
何時間ぐらいたったのだろうか気が付けば近くの建物の明かりも消えて人の声もやんだ。無性に眠くなってしまい瞼が重く感じる。
部屋に戻らなければと思うもののどうだっていい気がしていた。もう私は何もかもいやなのだ。つらいことがあったわけでもないからこそ平凡で何もなくて誇れなくてかといって悲劇のヒロインにもなれなくて。
そんな私が生きるのが嫌になってることとか何もないってだけで全部が嫌なこととかそんな私が大っ嫌いだ。
もう一度私の瞳に浮かんだ涙は乾燥した空気にさらわれた。このまますべてが終わってもいい。そう思いながら静かに瞼を閉じた。
夢を見た。
夢といっていいのかわからない、もしかしたら天国かもしれない。ふわふわと何かに浮かされ海に沈んでいくように重い感触とべたっと肌に張り付く何かがあった。
それはそれは溺れるように私はどこかに沈んでいくのだ。誰かの泣き声と悲鳴と喜びと感嘆とたくさんの声が耳に響きいつしか耳鳴りへと変わる。耳鳴りによって頭痛が誘われ高い音が耳に響く。
顔をゆがめながら私はまた意識を手放す。