桜の花が舞う大学で、入学式が行われていた。俺はサークルの勧誘のために、入学式会場の体育館前で友人と話しながら新入生が出てくるのを待っている。周りを見回すと、他のサークルの人たちも同じようにビラを持って待機していた。
 
そんなに経たないうちに式は終わったらしく、ぞろぞろとスーツ姿の新入生たちが外に出てくる。なんだか初々しくて眩しい。俺も2年前は彼らと同じだったというのに。大きな声でサークルの宣伝をする友人の隣で、俺はビラを配りながら懐かしさに浸っていた。
 
5分もすると体育館前は人でごった返した。サークルの勧誘合戦は熱を帯びていたし、新入生は周りを伺いながら同学科の子を見つけようとしている。騒めくこの空間は、もはや春の風物詩と言っていいだろう。そのとき、騒がしさの中でも際立って大きな声が響いた。
 
「あー! 先生いた!」

周りの人達の目が一斉にその声の主へ向く。俺もその一人だ。明るい茶髪に紺色のスーツを着こなした彼の目は、まっすぐに俺を見つめていた。
 
「先生、久しぶり!」
 
周りの視線など気にならないようで、高いテンションのまま声を掛けてきた彼。無視することはできなかった。俺の元生徒だからだ。
 
「久しぶり、真昼くん。入学おめでとう」
「ありがとうございます! 先生はサークルの勧誘? 何サークル?」
「バレー……というか、先生って呼ばれると恥ずかしいんだけど」
 
アルバイトで塾講師をしているから、先生というのは間違いではない。真昼くんは元生徒なので、むしろ先生呼びは自然だ。だが、それは塾での話である。大学構内での先生呼びはかなり目立っていた。もちろん悪い方の意味で。
 
「だって先生は先生だもん」

悪びれもせずニカッと笑って答えた彼に、これ以上言っても無駄だと分かる。隣に立つとなんだか少し懐かしい気がした。俺より10センチほど高い身長、甘めの整った顔立ち、ふわふわと柔らかそうな髪、純粋でまっすぐな目。髪色は変わっているし、スーツを着ているのも初めて見たが、大体の部分は変わっていない。それもそうだ。彼が塾を卒業してから、まだ2ヶ月しか経っていないのだから。
 
「広斗、その子知り合い?」
 
一緒に勧誘を行っていた吉野が、他の子との話を終えて戻ってきた。俺と真昼くんを順に見て首を傾げる。新入生と先輩にしては距離が近いことが気になったのだろう。
 
「塾の元生徒」
「ああ! バイト先の! えー、いいじゃんいいじゃん。バレー興味ある?」
「あります! 経験はないけどやってみたいです!」
「よっしゃあ!」
 
元気のいい答えに、吉野は分かりやすく喜んだ。うちのサークルは別にメンバー不足なわけではないが、それは毎年の勧誘に力を入れているからに他ならない。特に、バレーに興味を示している未経験者への食いつきは凄まじいのだ。この大学には男子バレー部も存在する。経験者で上手いやつはそっちに流れがちなため、未経験者は文字通り大歓迎だった。
 
吉野が真昼くんをロックオンしていることは、見るまでもなく分かった。もちろん俺としても、興味を持っている子を勧誘できるのはありがたい。ただ、問題は相手が真昼くんだということだ。もちろん彼のことを嫌っているわけではないし、彼がサークルに入るデメリットはほぼないと思う。むしろ明るい性格なのでサークルを盛り上げてくれるだろう。ではなぜ問題なのか。それは、彼が俺のことを好きだからである。自惚れでも妄想でもない。実際にたった2ヶ月前まで猛アタックを食らっていたのだ。
 
「俺、先生のこと好きだわ」
 
始まりはそんな言葉だった。どういう状況だったのかも、そう言った彼の表情も、今となっては覚えていない。それなのに、そのときの真昼くんの声だけが時折頭の中で再生される。熱を持ったまっすぐな声。その意味を当時の俺は考えていなかったと思う。いや、今だってその真意は掴みかねている。だからこそ、真昼くんがサークルに興味を持ってくれていることを素直に喜べないのだ。
 
「広斗ビラ! ビラ渡して!」
 
吉野の声によって、ついぼーっとしてしまった俺の意識が引き戻された。慌てて真昼くんの前にビラを差し出す。受け取った彼は、嬉しそうに俺を見て微笑んだ。高校時代の純粋な笑みよりどこか大人っぽい。それにほんの少しだけドキリとしてしまった。
 
「真昼くん、もうじきオリエンテーションの時間じゃない? 向かわなくて大丈夫?」

心の中を悟られないように、そんなことを口にする。先生として、先輩として、きっと正しい行動だ。真昼くんはハッとした顔をしてスマホを確認した。俺の言葉は正解だったらしい。もらったビラを慌ててバッグにしまいながら、講義棟へ向かおうとしている。

「来週には体験会始まるから、よかったら参加して!」
「はい! 楽しみにしてます!」
 
吉野の誘いに明るく答えて、彼は走り去っていった。かと思いきや、途中でこちらを振り返る。何か言い忘れたことでもあるのだろうか。
 
「先生またね!」
 
ぱあっと明るい笑顔で手を振る姿は、高校時代のままだった。授業終わりは毎回こうして手を振って帰っていったなと思い出す。懐かしさと眩しさでなぜだか笑ってしまった。俺が手を振り返すと、真昼くんは嬉しそうに再び駆け出した。


「広斗センセーすごいね。生徒にめちゃくちゃ懐かれてるじゃん」
「まあ、うん、どうだろうね」

新入生たちがいなくなると辺りは途端に静かになった。先程まで大きな声を張っていた他のサークルの人たちも、疲れてしまったのか見るからに覇気がない。俺も疲れを自覚しながら、吉野の言葉に曖昧な返事をした。それに対して彼は怪訝な表情をする。
 
「なんだよ、嬉しくないの?」
「もちろん嬉しいよ。真昼くんは俺の初めての生徒だし」
「じゃあもっと楽しそうにしろよ〜。なんかちょっと素っ気なかったぞ」
 
真っ当な指摘に返す言葉もなかった。吉野は背が高いのをいいことに、俺の肩に肘を置いてくる。いつもならすぐに振り落とすのだが、今はそんな気にすらならない。
 
素っ気なくするつもりはなかったが、素っ気なかったと言われて否定できるような態度ではなかっただろう。真昼くんが俺を慕ってくれていることは本当に嬉しい。でも真昼くんが俺に向けてくれる感情の中には、単なる講師への尊敬や感謝以外の情があることも知っている。俺は先生として、それを受け入れるわけにはいかないのだ。
 
「何考えてるのか知らんけど、体験会のときはもっと優しくしてやれよ」
 
吉野はそんなことを言いながら、俺の肩をポンポンと叩いた。肘置きにするのはやめたらしい。真昼くんの先程の笑顔を思い出しながら、俺は小さく二回頷いた。