三月も後半だというのに、海から吹く風は真冬のように冷たかった。北国のこの町では、春が来るのは一ヶ月程遅く、四月下旬にならなければ、春らしい陽気にはならなかったが、それでも温度計がマイナスからプラスに変わると、気分的には、長い冬の終わりのような気がしていた。

 私は四月から、無事合格した高校へ進学する事になっていた。受験勉強はかなり頑張った事もあり、本当だったら少し遠い進学高校も合格圏内だったが、あえて自分の家から近い高校を選んだ。
 部屋にかけてある制服を眺めると、本当に自分が高校生になる事を実感するが、別にだからと言って嬉しいという感情もなかった。ただ私だけがこの世に生きて年をとっていく事だけが不思議で仕方なかった。

 部屋の鏡に目がいって自分の姿を見ると、私は毎度の事ながら息をのむ。鏡の中から冷めた表情でこちら側を見つめているのが"響"そのものだったからだ。最近自分の中で、本当の自分の存在がよくわからなくなっていた。
 
 「響〜?響?上にいるの?」

下から母の声が聞こえた。間違いではない。
響は確かにニ年前に事故でなくなったが、母はそれを今だに受け入れる事ができていなかった。
私だって、唯一の双子の姉妹が亡くなってしまった事を簡単に受け入れる事はできなかったが、母は重症だった。

 元々、精神的に不安定の母が、心の安定剤だった響がいなくなってしまい、一気に心が壊れてしまった。何もやる気がおきず、ただ泣く事に明け暮れて、お風呂に入る事も、眠る事も、食事をとる事も不可能になってしまった。嫌がる母を何とか病院に連れていくと、重度の躁鬱病と診断された。

 母は、鬱の時は「死にたい」と言って希死念慮に取り憑かれて自殺を試みた、逆に躁の時はテンションが上がって、一晩中好きな料理を作ったり、暗い海辺を歩き回ったりした。
 薬をなんとか服薬させて落ち着かせてはいたが、なかなか良くなることもなく私は一人、途方に暮れていた。

 しかし、ある日母が私をみて"詩歌"ではなく"響"と呼び出したのだ。
 最初は悪い冗談で言っているのかと思っていたが、母はどうやら本気で私を"響"と思っているらしく、最初は否定していた私も、響のふりをしていると、母が落ち着くようになったので、そのまま"詩歌"ではなく"響"のふりをするようになった。

 それはどんどんエスカレートしていき、私は響がしていたように、ボブの髪の毛を伸ばしてロングにして、服の趣味も変えて響が好きそうな、女の子っぽい服装に変えた。
 話し方も響に寄せたし、大嫌いな勉強も頑張って、響のような優等生になった。大好きだったバスケも辞めて、学校が終わると早く帰って母がまたよからぬ事をしないように見守った。

 私の中からいつのまにか"詩歌"は跡形もなく消え去っていた。