次のバスが来るまで15分。

 碧海くんとこんなにも向かい合って、きちんと目を見ながら話したことが、これまでにあっただろうか。


「ねー、聞いてる? こっち見てよ」


 むくれた顔で制服の裾をつん、とあざとく引っ張る碧海くんの仕草によって、トリップしかけていた思考が現実に帰着する。高校3年生になる男子が不純物のない可愛さを恥ずかしげもなく披露できるのは才能なんだろうね。

 彼の膨らませた頬を両手で掴み、ぷう、と溜め込んだ空気を吐かせてから、私は眉を下げて弁解した。


「聞いてたよ。いつも読んでる本はミステリーで、都筑道夫や横溝正史のシリーズ物なんでしょ? そんなに面白い?」
「うん、面白いよ。年代的には古いけど、全然楽しんで読める。僕の持ってる本貸すから読んでみない?」
「んー、じゃあオススメの1冊貸して。読んだら感想伝えるよ」
「ほんと? ふふ、嬉しい」


 ゆるん、と頬を緩めて喜色を浮かべる碧海くんは年相応の体躯で声変わりもしてるのに、男の人特有の何かが欠けてる。変に色目を使ってこない欲のない眼差しのせいだろうか、不快感が極めて薄い。

 実は、男の人が全般嫌いで苦手な私からすると、これは異様な距離の縮まり方だ。膝枕を出来てる時点でおかしかったけど、この心地良さは何なんでろう。


「ふんふふーん」


 潮の匂いと波の鼓に混じって、碧海くんの下手くそな鼻歌が聴こえる。

 私の膝でまったりと過ごしている彼は、天から与えられた容姿と引き換えに、何か失ったものがあるんじゃないだろうか。音程のずれた鼻歌を指摘してるわけじゃないが、完成された美を目の前にすると羽を奪われた天使の末路、なんて陳腐な妄想をしてしまう。

 九条碧海は、それほどまでに完璧だ。会話が絶妙に噛み合わないことや不思議な性格を差し引いても満点以上が出る。

 強いて言うなら、彼は小学3年生の時にこの退屈な青島にお母さんと越してきた。観光客も居なければ不便で偏屈だらけの島だ。好き好んで移住してくる人は滅多に居ない。大抵は訳ありだ。

 そして、分かりやすく、九条碧海の家庭は訳ありだった。

 といっても、私はよく知らない。噂話は尾びれ背びれついて誇張されたものなんだから全て鵜呑みにしていたらバカを見る。

 正しい事実は、彼の母がシングルマザーで現在はスナックを営んでいることくらいだ。