「神楽坂さん!」

 翌日の放課後、あたしが教室の窓から外を見ていたら、また瀬戸くんが来た。
 今日の空はどんよりとした曇り空。
 その下ではやっぱりサッカー部が、青い練習着で走り回っている。

「やっぱりいると思ったんだよなー、ここに」

 瀬戸くんはそんなことを言いながら近づいてくる。
 あたしは眉をひそめてつぶやく。

「今日も忘れ物?」

 瀬戸くんは今日も制服姿で、リュックを背中に背負っている。

「んー、いや、今日は違うけど」
「じゃあなにしに来たの?」

 さっきクラスの男子としゃべりながら、教室を出ていったのを見かけたけれど。
 忘れ物でないのなら、なにしにここに来たのだろう。
 すると瀬戸くんがにやっと笑って言った。

「神楽坂さんこそ、なにしてるんだよ」
「あたしは外を見てるだけ」
「じゃあおれも!」

 無邪気な声でそう言って、瀬戸くんはあたしの隣に並んだ。
 あたしはさらに眉をひそめて、彼を避けるように身体を動かす。
 だけどそんなことは気にもせず、瀬戸くんは声を上げた。

「おー、この教室、こんなにグラウンドがよく見えたんだなー。おっ、サッカー部が練習してるじゃん。青春してるなー」
「瀬戸くんもサッカー部じゃないの?」

 すると外を見たまま瀬戸くんが答えた。

「もうやめた」
「え?」
「もうやる意味ないから」

 瀬戸くんがこっちを向いた。窓から顔を出している、あたしたちの目が合う。

「もうサッカーなんかやっても意味ないんだよ」

 首をかしげるあたしの前で、瀬戸くんはいつもみたいに笑いながら冗談のように言う。

「だから昨日退部届出して……死のうと思ってここに来た」

 あたしは黙って、瀬戸くんの顔を見つめる。
 瀬戸くんはふっと笑顔を見せて、グラウンドのほうを向く。

「そしたら先客がいるんだもん。おれ死にそこねたんだけど」
「え?」
「神楽坂さんも考えてたでしょ、昨日。ここから飛び降りたら死ねるかなって」

 ドキンと心臓が跳ねる。

 瀬戸くんがまたあたしを見た。
 あたしも瀬戸くんの顔を見る。
 男子の顔を、こんな近くでまじまじと見たのは初めてだ。
 瀬戸くんの顔は、目も鼻も口も形よく整っている。
 でもよく見ると目の横にうっすらと、痣のようなものがついていた。

 あたしはふと自分の腕を見る。
 そこには昨日、母の爪で傷つけられた痕が残っている。

「あたし……」

 その傷痕を見ていたら、なぜか声が漏れた。

「死ぬ瞬間、さいごに見るのは青空がいいなって思って」

 瀬戸くんがハッと目を開く。

「さいごの日くらい、きれいなものを見たいなって」
「おー! いいね、それ!」

 はしゃぎ声を上げた瀬戸くんに、冷めた視線を送る。

「だから昨日がよかったんだけど……瀬戸くんに邪魔された」
「えっ、じゃあおれら、お互い邪魔し合ってたってことか!」

 瀬戸くんが目を丸くして、大げさに声を上げる。
 あたしはつい本音を漏らす。

「バカじゃないの」

 すると瀬戸くんがおかしそうに笑い出した。

「神楽坂さんって、意外と口悪いのな」
「瀬戸くんは、意外と病んでるんだね」
「あー、うん、そう。サッカー頑張ってたのも、明るくふるまってたのも、母親に認めてもらいたかっただけで……」

 そこまで言って、瀬戸くんは頭を掻く。

「あれ、なんでおれ、神楽坂さんにこんなこと話してんだろ。これじゃマザコンじゃん。カッコわる」
「カッコつける必要ないでしょ? もう死ぬなら」

 瀬戸くんがまたいたずらっぽく笑う。

「ああ、そっか。そうだね」

 あたしは窓から下を見下ろした。窓の下はコンクリートになっている。
 四階から飛び降りたら、人は死ねるのだろうか。
 もし怪我だけですんでしまったら困る。
 もっと確実に死ねる場所を探したほうがいいだろうか。

「でも今日はやめとこうか」

 瀬戸くんがつぶやいた。
 あたしは曇った空を見上げる。いまにも雨が落ちてきそうだ。
 さいごに見るのは、きれいな青空がいい。

「……うん」

 うなずいたあたしを、瀬戸くんがじっと見ていた。
 なんとなく目をそむけてしまったとき、ブブッとポケットのスマホが振動した。
 母からのメッセージだ。

「……もう帰らなきゃ。お母さんが呼んでる」

 あたしは急いで荷物をまとめる。
 瀬戸くんは黙ってあたしの様子を見ている。

「じゃあね、瀬戸くん」
「あ、ちょっと待って!」

 振り向いたあたしに瀬戸くんが言う。

「空が晴れたら一緒に死のう。だからそれまで勝手に死ぬなよ」

 じっと瀬戸くんの顔を見る。
 瀬戸くんは真剣な表情をしている。
 あたしはなにも答えずに、背中を向けた。