高一の春。
 新しいクラス、新しい環境。 
 最初は同じ中学出身の子たちが自然と集まっていたけれど、時間が経つにつれて、新しいグループができはじめた。

 私も気づけば、そのうちのひとつにいた。
 そして、そこに瑛美梨(えみり)がいた。

「ねえ、結衣ちゃん! これ見てよ!」

 休み時間、瑛美梨がスマホの画面私の方に向けてきた。
 映っていたのは、当時SNSでバズっていた可愛い犬の動画。
 不意打ちのように差し出された画面だったけれど、私は瞬時に反応する。

「めっちゃ可愛いーっ!」

 少し大げさに声を弾ませると、瑛美梨は満足そうに笑った。

「だよねー! 本当、こういうの見てると時間溶けるんだよね」

 そのまま瑛美梨は、他にもバズっている動画の話を楽しそうにしてくれる。
 私はその隣で、話を聞きながらひそかに安堵していた。

 ──よかった。悪印象は与えてなさそう。

 私はいつも考える。
 どう返すのが正解なのか。
 どんなリアクションをすれば「楽しい子」だと思ってもらえるのか。嫌われないのか。
 だから、彼女に見せた「私」の選択肢は間違えてなかったんだと、安堵していた。

 でも、いつからだろう。
 瑛美梨の隣にいるとき、自然と笑っている自分がいた。
 最初は「正解の私」を選んでいただけだったのに、いつの間にかその選択肢に頼らなくても、一緒にいる時間が純粋に楽しいと思えるようになっていた。

 今ではもう、瑛美梨のことを一番の友達だと思っている。

「瑛美梨がバズってた犬の動画見せてくれてたのがきっかけかな」
 
 そのときの瑛美梨の声や表情を思い出しながら、ぽつりと続ける。

「すごく明るくて、話しやすくて、気づいたら一緒にいるようになってた」

 あのとき瑛美梨があんなふうに気軽に声をかけてくれなかったら。
 きっと今とは違う関係を築いていたかもしれない。

「へえ。なんか、結衣っぽい」
「え?」
「人付き合いが上手いっていうか、自然と周りに馴染んでる感じ?」

 蒼真は考え込むように視線を上げる。

「無理に誰かとつるもうとしないけど、ちゃんと相手に合わせられるっていうか」

 私は一瞬、返事に迷う。
 そうなるように「私」を作っている。
 本当なら、そう見られているのは喜ばしいことのはずなのに。
 蒼真が真剣そうな顔で言うから、「私」の奥まで見透かされているような気がして胸がつっかえる。

「えぇ、そうかなあ?」

 目を逸らしたくなった。
 けれど、それも不自然な気がして、私は精一杯笑ってみせた。

 蒼真は私の顔をじっと見つめたまま、一拍置いてから微笑む。
 いつものように口を大きく開けて笑うんじゃなくて、優しく、静かに。

「別に悪い意味じゃなくてさ。そういうのも結衣らしいなって思っただけ」

 その微笑みになぜか切なさを感じてしまい、息が詰まった。

 ──私らしい……って、なんだろう。

 いくつもの「私」を積み重ねてきて、いつの間にか「本当の私」を見失っている気がする。
 もしかしたら、もう見つけられないのかもしれない。
 私は無意識に左手首をぎゅっと掴んでいた。


「二人とも、お待たせー!」

 両手にビニール袋を掲げた瑛美梨と遼が人混みの中から戻ってきた。

「ありがとう! すごい量買ったね!」

 モヤモヤした気持ちを吹っ切るように、私は弾んだ声を出す。

「遼が『これも食いたい、あれもうまそう』って聞かなくてさ」
「どれもうまそうだったんだから、仕方ないって!」

 呆れたようにため息をついた瑛美梨をよそに、誇らしげに遼は胸を張る。
 その姿に、瑛美梨は「まったく」と苦笑いを浮かべた。

 嫌味のない軽いやり取り。
 自然と掛け合う様子に、二人の距離が縮まっているように見えた。
 
「飲み物も買ってきたよ。結衣のはこれで合ってる?」

 瑛美梨が袋の中からペットボトルを取り出して見せる。

「合ってる! さすが瑛美梨!」

 無糖の紅茶。
 私がペットボトル飲料を買うときは、ほとんどこれを選ぶ。
 何も言わなくても、瑛美梨が私の好みを覚えてくれているのが嬉しかった。

「よし! 花火が始まるまで宴会でもするか!」

 遼が意気揚々とレジャーシートの上に食べ物を広げていく。
 焼きそば、たこ焼き、ベビーカステラ、フライドポテト──。
 次々と並べられていく屋台グルメの数々に、レジャーシートの上は小さな屋台街のようになった。

「はい。よかったら、みんな使って」

 私はかご巾着からウェットシートを取り出し、みんなの前に差し出した。

「おお、さすが結衣!」

 いの一番に、遼がウェットティッシュを掴む。
 
「本当、結衣は気が利くよね。私すっかり忘れてた」
「絶対いるよなって、持ってきたんだ」

 瑛美梨が感心したように頷き、蒼真も「助かる」と笑顔を向けてくれる。
 そんな些細なやりとりが心地よかった。

『気が利く子』『しっかりした子』

 そう言われるたびに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
 私という存在が、ちゃんと誰かの役に立っている。認められている。
 そのたびに、少しずつ「私」が満たされていく気がしたんだ。