拝啓、夜空かかった虹をみつけてくれた君


 電車に揺られること三十分。
 花火大会の会場に近い駅へとたどり着いた。

 停車駅では扉が開いた瞬間、待ちかねたように浴衣姿の人たちが次々と乗り込んできた。
 浴衣の裾を気にしながら歩く女の子、手持ちのうちわをぱたぱた仰ぐ男の子。
 子ども連れの家族、友達同士、恋人同士。
 それぞれの楽しげな声が入り混じり、いつもの通学電車とはまったく違う賑わいに自然と気分も高まってくる。

「さすがに人が多いな」
「はぐれないようにしようね」

 電車から降りた私たちは自然と固まって、人並みに沿って歩き出す。

 屋台の灯りと一緒に、美味しそうな匂いが通路のあちこちに漂っていた。
 香ばしいソースの匂いや、クレープの甘い香り。

 私たちの中で、(りょう)が一番目を輝かせていた。
 彼の瞳は屋台を一つ一つ追いながらキラキラと輝き、子どものように食べ物に夢中だ。

「あ、焼きそば! たこ焼きもいいな!」
「遼、今は場所取りだってば」

 瑛美梨(えみり)が軽く腕を引いて、目移りする遼を抑える。

「ごめんごめん、つい。屋台って、なんかテンション上がるんだよなあ」
「それはわかる。あれもこれも食べたいってなるの、なんなんだろうね」

 瑛美梨が笑いながら答えると、遼も「だよな!」と嬉しそうに(うなず)く。
 二人はそのまま並んで歩き出し、私と蒼真(そうま)の前を歩いていく。
 会話が途切れることなく続いていて、その楽しげな様子に自然と視線が引き寄せられた。

 遼が指差して「あれもうまそう!」と興奮気味に言えば、瑛美梨が「場所取り!」と軽くあしらう。

「いや、あれだけでも買っておけば……!」
「はいはい、あとで買いに行きましょうね〜」
 
 諦めきれない様子の遼を、瑛美梨は呆れたように笑いながら制する。
 二人のやり取りが面白くて、ふふっと笑みが漏れる。

「なんだかあの二人、楽しそうだね」

 正直な言葉だった。
 でも、どこか遠くで思っている自分もいる。
 あんなふうに素直に好きなものを口にして、自然に会話ができる関係が、楽しそうで羨ましく映る。
 
 私だって、楽しくないわけじゃない。

 浴衣を着て、髪をまとめて、メイクもして、友達と花火大会に来て──。
 
「だね」

 蒼真も視線を前に向けたまま、ふんわりと同意する。
 祭りのざわめきが遠くまで響くなか、蒼真がふいに口を開いた。

「結衣は、楽しくない?」

 その問いに、足がふっと止まりかける。

「え?」

 思わず聞き返してしまった。

 ──楽しくないはずないのに。

 私の態度がつまらなそうに見えてしまったのか。
 それとも、ただの会話の流れなのか。
 
 蒼真がそう尋ねる理由がわからず、瞬時に反応できなかった。
 私の答えを待つよりも早く、彼は軽く肩をすくめながら微笑んだ。

「俺は、楽しいよ」

 彼の髪が風になびく。
 ただの感想のようでいて、なにか含みを持たせたような言い方だった。

 ◆

 人混みを抜けて、川沿いの広い土手に出る。

 すでに場所取りをしているグループや、レジャーシートを敷いて座り込んでいる家族連れがあちこちにいて、いつもの景色とは少し違う非日常の雰囲気が漂っていた。

「ここ、ちょうどいいんじゃない?」

 瑛美梨(えみり)が立ち止まった場所で景色を確認する。
 土手の斜面になっていて、座ればちょうど視界が開けそうな場所だった。

「おう、いい感じ!」

 (りょう)が頷く。

「じゃあ、決まりだね」

 そうして花火を見る場所が決まった。
 遼が自身のトートバッグに入れてきたレジャーシートを広げようとしたとき。
 
「場所は決まったんだし、遼は屋台に行ってこいよ」

 蒼真が提案するように口を開いた。
 
「え、マジ? さすが蒼真!」
「でも誰か残ってないと、場所取られちゃわない?」

 生き生きとした遼の隣で、瑛美梨が不安そうにあたりを見回す。
 すでに人が増えてきていて、レジャーシートを敷くスペースはどんどん埋まっていく。
 
「俺と結衣が残るから大丈夫。だから二人で行ってきて」
「マジか! 助かる!」

 遼はパッと顔を明るくして「頼んだ!」と屋台の方へと足を向け始めた。
 子どもみたいにはしゃいでて、蒼真が『二人で』と言ったのが耳に届いていなかったかようだ。
 慌てたように「ちょっと待って! 私も行くから!」と瑛美梨が声をかけた。

「二人ともごめん、ありがと! 何か食べたいものあれば買ってくるよ」

 瑛美梨が振り返って、にっこりと笑う。
 
「私はなんでもいいよ。何買ってくるのか楽しみにしてる」

 手を振って「よろしく」と見送ると、瑛美梨は「任せといて!」と元気よく笑いながら遼のもとへ駆け出した。
 その背中を見送りながら、私は小さく手を振り続ける。
 瑛美梨と遼は、すぐに人混みに紛れて消えていった。

 残されたのは、私と蒼真。

 どことなく静かに流れる空気。
 真夏の眩しい日差しが少しずつ柔らかくなり、空はゆっくりと夜の(とばり)を下ろすように、オレンジ色と藍色のグラデーションに彩られていく。

 現在、十七時前。
 花火が始まるまで、まだ少しだけ時間がある。

「なんか、ごめん。勝手に残らせて」

 蒼真は頭に手を当てて、わずかに眉を下げた。
 
「ううん。私も、瑛美梨と遼くんの二人で行くのがいいと思ってたから」

 きっと屋台をめぐりながら賑やかに盛り上がっているだろう。
 二人の光景を思い浮かべながら、にこりと笑って返した。
 
「とりあえず、座るか」
「そうだね」

 蒼真がひと息つくように言って、二人でレジャーシートを敷いて腰を下ろした。
 浴衣越しに伝わってくる地面のひんやりとした感触が心地よく感じる。
 けれど、蒼真と二人きりという空間に緊張している自分がいた。

「遼くんって、いつもあんな感じなの?」

 沈黙するのが怖くて、私は何気なく口を開く。
 
「そう、いつもあんな感じ。たまに疲れるけど、一緒にいて楽しいし、飽きないヤツだよ」

 ──疲れる……。

 彼の言葉が、ふと胸に響く。
 意外だった。蒼真も誰かといることを「疲れる」と感じることがあるなんて。
 天真爛漫かと思っていた蒼真も、もしかしたら気を使っている場面があるのかもしれない。

「結衣は? 瑛美梨とはずっと一緒?」
「中学は別だったけど、高一のときに同じクラスになって、それからずっと一緒」
「俺と一緒。俺も遼とは高一から仲良くなった」

 そう言いながら、蒼真はレジャーシートに手をついて空を見上げた。
 まだほんのりと明るさの残る空。
 でも陽は確実に傾いていて、遠くの雲が夕焼け色に淡く染まっている。

「でも、初対面のときは『うるさいヤツだな』って思った」
「そうなの?」
「そう。少し話した程度だったのに、いきなり『お前、今日から俺のダチな』とか言われてさ。めちゃくちゃ馴れ馴れしくて、漫画かよって思ったわ」

 当時を思い出したのか、蒼真はクスッと笑った。
 その笑顔につられて、私も自然と口元が緩む。

「で、冗談で『無理、めんどう』って言ったら、あいつ大笑いして『やっぱ俺のダチな!』って返してきて。なんだそれって思ったけど、まあ、それで仲良くなった」
「そうなんだ」

 すごく二人らしい出会いだと思った。
 私には、遼みたいに大胆に踏み込むことも、蒼真みたいに冗談で突っぱねることもできない。
 彼らだからこそ生まれた関係なんだろう。
 似たもの同士、やっぱり惹かれ合うものがあったのかもしれない。

「瑛美梨とは、どっちから仲良くなったの?」

 今度は蒼真が問いかけた。
 私は少しだけ考えて、答える。

「……瑛美梨、かな」

 瑛美梨の方から声をかけてくれた日のことを思い出す。