休み時間。
 私の席の周りには、たくさんの人が集まっていた。
 窓側の一番奥の席だから──いや、それだけが理由じゃない。

 そばに渡辺(わたなべ)蒼真(そうま)くんがいるからだ。

 彼の周りには、いつも誰かがいる。
 まるでそこが世界の中心であるかのように。彼が物語の主人公であるかのように。
 けれどきっと、蒼真くん自身はそんなふうに思っていないのだろう。
 気取った様子もなければ、偉ぶることもない。
 ただそこにいるだけで人が集まる。
 
結衣(ゆい)、これ見た?」

 瑛美梨(えみり)がスマホの画面を私の前に差し出す。アイドルグループの新曲のMVらしい。
 私は「あー、まだ見てない!」と少しオーバー気味に驚いてみせた。
 
 正直に言ってしまうと、私はあまりアイドルに興味がない。
 みんなが踊ったり話題にするから、なんとなくチェックしているくらい。
 もちろん「可愛い」とか「かっこいい」なんて思ったりするくらいの感受性は持っている。
 でも、それで終わり。

「どれどれ……お! かわいい! 誰これ?」

 ひょうきんな声が会話に割り込んできた。
 蒼真くんだ。

 私の周りには、いつものメンバー── 瑛美梨、莉子(りこ)千奈津(ちなつ)
 蒼真くんの周りにも男子が何人かいて、自然と二つの輪が混ざり合っていく。

「かわいいよね! 今の子は、ミミカちゃんっていうの!」
「へえ、蒼真、ミミカちゃんみたいなのがタイプなのか」
「この子もかわいいよ」
「俺は金髪の子がタイプ」

 MVの画面を囲んで、話はどんどん盛り上がっていく。
 好きなものを「好き」と口に出すことで、気持ちがさらに膨らんでいくのだろう。
 
 気づけば、私たちは最初から同じ輪の中にいたかのように(へだ)たりなく会話をしていた。

高見澤(たかみざわ)さんは、誰推し?」

 不意に蒼真くんがこちらを見た。

 私の名前を呼ぶ彼の声はいつもと変わらない。
 明るくて、ほんの少しだけ茶化すような響きがある。
 
 私は一瞬、言葉に詰まった。

 ──誰推しなんて、考えたこともない。

 黙っているわけにはいかなくて、私は適当に微笑む。

「私は箱推し。みんな可愛いもん」

 言いながら、自分の声が思ったよりも軽いことに気づいた。
 さながら、(ちり)みたいに。払えばすぐに消えて、あとには何も残らないような、そんな軽さ。

「高見澤さんて、その左手首の傷、どしたの?」

 突然の質問に、私は少しだけ息を呑んだ。
 すごくストレートに聞いてきた男の子は──蒼真くんではなかった。
 いつも蒼真くんのそばにいる、たしか名前は一ノ瀬(いちのせ)(りょう)くん、だっだ気がする。
 
 蒼真くん以上に、子どもっぽい無邪気さを持った男の子。
 細身で背は蒼真よりも低く、髪は少し長め。
 目にかかっている前髪がふわふわと揺れるたび、表情がころころと変わる。
 思ったことをそのまま口にするタイプで、悪気はまったくないのだろう。
 どこか蒼真くんと雰囲気が似ている。

 そんな遼くんが、私の左手首を指さしながら首をかしげている。
「あ、もしかして転んだ?」みたいな調子で、軽いトーンのまま。
 問い詰める感じもなく、ただ純粋に「気になったから聞いた」という感じだ。

「ああ、これ? 中学生のときに勢いあまって切っちゃった。通販で届いたダンボール開けるときに、スパーって」

 私は左手首に右手をすべらせて、大袈裟に手首を切るジェスチャーをしてみせる。
 もうこの誤魔化しも慣れたものだ。
 何回も頭の中でシミュレーションしてきたし、何回も披露してきた。
 誰に聞かれても、すぐに返せるように。
 どんな場面でも、自然に流せるように。

 大げさなくらいがちょうどいい。
 そうすれば、誰も深く考えないから。
 そうすれば、その場の空気は軽くなるから。

「めっちゃ痛かったんだよ! 血も止まらないし! とにかく焦っちゃって、ダンボールどころじゃなかったよ!」

 笑いながら言うと、みんなも「うわ、それは焦るわ」とか「何回聞いても痛い!」とか、いつもの調子で返してくれる。
 蒼真くんも「へえ」と、それ以上は特に何も言わなかった。
 
「結衣ってしっかりしてそうに見えて、意外とおっちょこちょいなんだよね」

 瑛美梨がイタズラそうに笑っている。

「なんか、そうみたい」

 照れたように言いながら視線を周囲に流す。
 みんな笑っている。
 ちゃんと、いつもの空気のまま。

「よかったー。リスカ跡とか言われたら、なんて返そうかと思ったわ」

 遼くんが軽く肩をなでおろす。
 たぶん、本当に悪気はないのだろう。
 無神経だなと思いつつも、少しだけ感謝していた。

 新しいクラスになってから、何度か視線を感じることはあった。
 ちらちらとした、好奇心と困惑が入り混じったような視線。
 けれど誰もそこには触れてこなかった。

 興味があっても、聞くのははばかられることだろう。
 冗談で聞くには重すぎるし、かといって真面目に問いただすほどの関係でもない。
 だから見て見ぬふりをするしかないのだ。

 でも、その沈黙が苦しいときもある。

 だからこそ、早めに嘘をつけたことがありがたかった。
 みんなが嘘を信じて、何事もなかったように流れていくこの感じが。
 
「結衣はリスカするようなタイプじゃないでしょ」
「そうそう。結衣っていつも笑ってるし、怒ったところとか泣いてるところ、見たことないんだよ」

 莉子がさっぱりと笑って、瑛美梨が同意するようにうなずいた。

 他者からの印象は、こうやって決まっていくのだろう。
 周りが勝手に「私はこういう子」と形を作り、積み重ねていく。
 私は出来上がった土台に乗っかっていればいい。
 余計なことを言わず、波風を立てず、期待された「私」でさえいれば。
 土台から踏み外さなければ、嫌われることもないはずだ。
 
「自分で切るなんて、怖くて無理だよ」

 私は軽く手を振って言った。
 視界の端で、蒼真くんがじっと私を見ていることに気づく。
 私の言葉の中から、何かを探そうとしているみたいな視線。

 けれど私は、その視線を無視するように笑顔を作った。
 みんなと同じように。
 何もなかったみたいに。

 休み時間が終わるチャイムが鳴り響いて、クラスのみんなはパラパラと席へと戻っていった。