部屋に戻って、そっと封筒を取り出す。
 小さな、白い便箋。
 蒼真(そうま)の手から受け取ったときの体温がまだ残っている気がして、胸が少しだけ高鳴った。

 ベッドの端に腰を下ろして、深呼吸をひとつ。
 慎重に封を開けて、折りたたまれた便箋を広げる。

 その中央に、たった一言だけが書かれていた。

 
『出会ってくれて、ありがとう』

 
 たった、それだけ。

 なのに、どうしてだろう。
 胸の奥に、あたたかなものが広がっていく。
 彼の声、表情、手のぬくもり──その全部がこの一言に込められているようで、自然と笑みがこぼれた。

 これ以上、何もいらないって思った。
 この言葉が、いちばん嬉しかった。

 私は便箋を胸に抱いて、小さく呟いた。

「こちらこそ、ありがとう」

 ◆

 陽が落ちるのが、だんだん早くなってきた。
 帰り道の空はまだ夕焼け色に滲んでいるけれど、街灯がぽつりぽつりと灯りはじめ、夜の気配を運んでくる。

 坂を下りながら、私は隣にいる蒼真をちらりと見上げた。
 
「……手紙、読んだよ」

 そう言うと彼は少しだけ顔を赤くして、視線を前に向けたまま小さく(うなず)いた。

「そっか。……変なこと、書いてなかった?」
「うん。嬉しかった。ありがとう」

 肩が触れるくらいの距離で、私たちは歩いていく。
 昨日のことは、夢じゃない。
 彼の言葉も、ぬくもりも、ちゃんとここにある。

「ねえ、蒼真くんの誕生日っていつ?」

 ふと尋ねると、蒼真は少し考えるように首をかしげた。
 
「俺? 十二月三十日」
「もうちょっとだね」
「うん。でも、俺も割と誕生日ってどうでもよかったんだよな。冬休みだから友達と会うこともないし、プレゼントはクリスマスと一緒にされるしさ」

 投げやり、ではないけれど、諦めなような口調。
 それが当たり前だというように、彼は笑っている。
 
「そっか。じゃあ……」

 言葉を選ぶように少し間を置いてから、彼の横顔を見つめた。

「今年は私が両方祝ってもいいかな?」

 風に揺れた前髪の隙間から見える蒼真の目が、驚いたように細められる。
 
「それは……光栄だな」

 そう言って、やわらかく笑った。
 
「私もね……蒼真くんの誕生日に、手紙書こうかなって」
「マジ? なんか照れんね」

 蒼真はそう言いながら、頬をかくように手を動かす。
 こんなふうに笑い合える時間が、これからもずっと続いていけばいいなって思った。

 十一月の空気は澄んでいて、少しだけ指先が冷たい。
 でも、その冷たさも悪くないなって思えるくらい、今日の私は穏やかだった。

 指先に「はあ」と息を吹きかけると、蒼真がじっと視線を向けてきた。

「ん」

 小さく差し出されたその手に、一瞬きょとんとしてしまう。

「ん?」
「手、冷たいんでしょ」

 その言葉に、私は思わず笑ってしまった。

「……うん」

 (うなず)くと、蒼真の指が私の手に絡んできた。
 重なる温度は思っていた以上にあたたかくて、心がきゅっとなる。

「これで少しはマシ?」

 からかうような声。
 だけど、繋がれた手は力強くて、思いやりがあった。

「うん、あったかい」

 ぎゅっと手を握り返す。
 寒さの中で繋がれた手だけがぽかぽかしていて、なんだかそれだけで、もう十分だった。

 もうすぐ冬がくる。
 空気は日に日に澄んで、吐く息が白くなるたびに、季節の足音が近づいてくるのを感じていく。

 冬は、ずっと苦手だった。
 風の冷たさも、凛とした空気も、あのときの自分を思い出させるから。
 寒さも痛みも、自分で抱えるしかないと思ってた。

 でも今は──隣に私の手をちゃんと握ってくれる人がいる。
 指先から伝わる温度が「ひとりじゃない」って教えてくれる。

 寒さはきっとこれからもっと増していく。
 凍えるような夜も、息が真っ白になる朝も、これから何度もやってくる。
 それでも──私はきっと、大丈夫。

 自分をひとりぼっちにしないって決めたから。
 この手をちゃんと繋いでいようって思えたから。

 冬の夜は長くて冷たいけど。
 それでも隣に彼がいてくれたら。
 私は、どこまでも歩いていける。