葉桜もすっかり散って、うっとおしい雨がようやく通り過ぎた。
気づけば、七月の太陽がまぶしく照りつけている。
「席替えするぞー」
朝のホームルーム。
担任の先生が開口一番に告げると、教室が一気にざわめき出した。
このクラスになって初めての席替え。
みんなが「近くになれればいいね」「一番前はイヤだな」と声を交わし、狭い空間の空気が一変する。
そういった意味では、席替えって結構な一大イベントかもしれない。
先生が箱を手に取り、くじを引くように順番に席を回り始めた。
「せんせー! 俺、最後まで引けないじゃん!」
窓側の一番後ろの席に座っている、渡辺蒼真くんが声を上げた。
ハキハキとしたその声は、いつもクラスの中心にいる彼らしいものだった。
どこにいても目立ってしまうタイプだ。
「渡辺ー。余りものには福があるぞー」
先生が彼の言葉にフランクに返す。
蒼真くんは「あー、やっぱりそう言う?」と、顔を笑わせながら肩をすくめた。
彼の軽い仕草に、教室のあちこちからクスクスと笑い声が上がる。
蒼真くんの爽やかに切り揃えられた黒髪が、無造作に揺れている。
その顔には屈託のない無邪気さがにじんでいた。
明るくて背も高く、顔にはどこか甘さのある彼は、すでにクラスの人気者だった。
高校一年生のときには、もう数名の女の子から告白されていたらしい。
それもなんとなく納得できてしまう。
──すごいなあ。
私はぼんやりと彼を眺めた。
蒼真くんをちゃんと認識したのは、同じクラスになってからだ。
中学校も別。高校に入ってからもクラスが違っていたので、彼のことを深く知る機会はなかった。
でも、この数ヶ月で彼は誰よりも存在感のある人物になっていた。
恋愛感情というよりも、ただ純粋に彼の性格と人望が羨ましかったのである。
──ああいうふうに自由な生きてみたいな。
私にはできないことだと感じていた。
先生が目の前まで回ってきた。
苗字が「高見澤」の私は、いつもだいたい真ん中くらいの位置いる。
残り、約半分。
──窓側の後ろがいいな。
そう思いながら箱の中に手を入れる。
きっと、クラスの大半が同じことを願ってくじを引いているに違いない。
引いたくじを広げて、番号を確認した。
──二十八番……。
普通に考えれば真ん中くらいの位置だ。
けれど、先生の席替えにはもう一つ楽しみがある。
全員が引き終わったあと、先生がランダムに並べた数字を黒板に貼り出すのだ。
だから一番を引いたからといって、一番前になるとは限らない。
こういう演出ができるのも、先生がまだ二十五歳と若いからだろう。
「せんせー。俺、これで一番前だったら、先生のことちょっとだけ嫌いになりますよ?」
最後に順番が回ってきた蒼真くんが、冗談めかしている。
「先生から一番近い席なんて、福の塊じゃないか」
「いやいや。そんなプレミアな福、僕にはもったいないんで……」
教室がまたクスクスと笑いに包まれた。
蒼真くんの言葉はいつも場を和ませる。
本人にそのつもりがあるのかはわからないけど、嫌味なく自然とそうなるは、すごいとしか言いようがない。
たぶん、天然の人タラシだ。
私もつられて笑ってしまったくらいに。
──こんなふうに、何気ないやり取りで場を明るくできたらいいのに。
彼への憧れが、また強くなった。
「それじゃ、貼り出すぞ」
先生が黒板に紙を貼ると、クラス全員の視線が集まった。
一瞬だけ流れた静寂のあと。
「あったー!」「うちら、めっちゃ近いじゃん!」「私どこ!?」「げ、一番前かよ!」とあちこちから声が上がった。
初めての席替えということもあり、教室は高校受験の合格発表のような熱気に包まれていた。
「はいはい、静かに。速やかに移動するように。席替えなかったことにするぞー」
先生が教壇の前で声を張り上げ、みんながワイワイと移動を始める。
席を確認すると、瑛美梨とも莉子とも千奈津とも離れてしまった。
三人はどうやらまとまった席になったらしい。
少し寂しさを覚えつつも、それ以上に私は嬉しくなっていた。
──やった! 窓側、一番後ろ!
誰もが羨む特等席。
次の席替えまでの数ヶ月間、私はこの狭い空間の玉座に腰を据えることができる。
なんて、そんなくだらないことを考えて悦に浸ったりしていた。
この席が特別なだけで、私自身は何も特別じゃないのに。
「お、窓側は高見澤さんか」
隣の席から聞こえた声。
「蒼真くん」
「俺、一つずれただけみたいだわ。まあ、お隣同士、よろしく」
「うん、よろしくね」
歯を見せて笑う彼に、私は当たり障りのない返事を返した。
「にしても、これじゃあんま席替えしたって感じしないな」
「確かに、そうかもね」
蒼真くんは私が何年も隣の席にいたかのように、自然に話かけてくる。
ろくに話もしたことのない私にも、彼の態度は変わらない。
あっけらかんとした言動に、少し圧倒されている自分がいた。
──いきなり距離を詰めるなんて、蒼真くんは人に嫌われるのが怖くないかな。
私だったら、彼みたいに素直に接するのが怖い。
自分がどう思われるかが気になって仕方ないから、最初はあまり踏み込めない。
でも、彼はそんな心配をしている様子は微塵もない。
もしかして、彼には『嫌われるのが怖い』という感情がないのだろうか。
そのとき、蒼真くんの目線が私の左手首に落とされているのに気がついた。
けれど彼はすぐに顔をこちらに向けて、またニコリと笑ってみせた。
「でも、隣が高見澤さんだから。席替えした甲斐はあったかもね」
確信した。
この人は、天然の人タラシだ。



