十一月十三日。
私は、十七歳になった。
木枯らしが吹き抜ける朝。
冬の足音が近づいている街並みは、紅葉の赤や黄色で鮮やかに彩られている。
いつもと同じ時間に家を出て、いつもと変わらない電車に揺られて、いつものように学校へ向かう。
──でも、今日はちょっとだけ違う。
そう、今日は「特別な日」なんだ。
なんて思うだけで、足取りが自然と軽くなる。
誕生日。
蒼真と過ごす、誕生日──。
教室に入った瞬間、あたたかい幸福感が私を包み込んだ。
「結衣、お誕生日おめでとー!」
一番に声をかけてきたのは瑛美梨。
キラキラにラッピングされた袋を私の手に押しつけるように渡してくる。
中身は「映え」の二文字が瞬時に頭に浮かぶような、可愛いお菓子の詰め合わせ。
色とりどりのマカロンや小さな瓶に入った宝石みたいなキャンディーがちらりと見えて、ふと笑みがこぼれる。
「これ、有名カフェのギフトカード。甘いもの、好きでしょ?」
莉子もさらっとプレゼントを渡してくれた。
シンプルだけど気の利いた心遣いが、彼女らしい。
「私はこれー。いい匂いがするんだよ。冬の女子には必需品でしょ」
千奈津が得意げに差し出してきたのは、ハイブランドの小さなハンドクリーム。
小さくても高級感があって、思わず見惚れてしまう。
「みんな……ありがとう」
胸の奥がじんと熱くなる。
誕生日なんて別に特別なものだと思ってなかったけど、こうして「おめでとう」って言ってもらえるのは、やっぱり嬉しい。
「おう、結衣。おめでとう」
カラッとひょうきんな声で言ってくれたのは、少し遅れてやってきた遼だった。
「おめでとう」
その隣にいる蒼真は、ポケットに手を入れたままいつもの調子で言葉をくれた。
「二人も、ありがとう」
笑顔で返すと、遼は肩をすくめて「お礼なんていいって」と手をひらひらと振りながら、にやりと笑った。
「俺からは気持ちだけだし。あとは彼氏に任せとくわ」
遼が冗談めかして言うと、すぐに瑛美梨が「この二人、まだ付き合ってないんですけど」と突っ込んで周囲の笑いを誘う。
その言葉が少しくすぐったくて、私はうつむき加減になりながら、そっと蒼真の方に視線を向けた。
──あ……。
目が合った彼は、とても穏やかな微笑みを浮かべている。
それだけなのに、心臓がわずかに速くなって──目を逸らすことができなかった。
◆
放課後のチャイムが鳴る。
授業という枷から解放されて、みんなが自由になる時間。
どこか軽い、いつもの賑やかな空気が教室を満たしていく。
私もその空気に溶け込むように、自然と鞄を肩にかける。
こんなにも放課後が待ち遠しいと思ったのは、はじめてだった。
「ちゃんと祝ってやれよ」
教室を出る直前、遼が蒼真の背中を軽く叩いた。
先輩風を吹かしているような遼のドヤ顔に、蒼真は「はいはい」と苦笑いを浮かべる。
「主役を立ててあげなきゃダメだよ」
そう続けた瑛美梨も、にこりと笑って蒼真を見据える。
釘を刺す、というよりは、ちょっとしたお節介を焼くような、そんな笑顔だ。
「わかってるよ」
蒼真が片手を挙げて応えると、二人は「いってらっしゃーい」と手を振って先に教室を出ていった。
その瞬間、すんっと空気が落ち着いた。
嵐が去ったあとの静けさみたいで──私はつい、小さく吹き出してしまう。
「本当、似た者同士って感じ」
「ありゃもう夫婦だな」
思ったことを口にすると、彼も小さく笑って同意してくれた。
そんな何気ない会話のあと、蒼真がちらりと私を見る。
わずかに揺れた瞳からは、照れくささを感じた。
「じゃあ、行くか」
「うん」
その声に、私はこくりと頷いた。
◆
お互いの最寄り駅から少し歩いたところにある、小さなカフェ。
そこに蒼真と来ていた。
大きな窓から光が差し込む店内は木製のナチュラルな家具で統一されていて、森の中にいるようなゆっくりと落ち着いた時間が流れている。
ずっと前から気になっていたお店。
外から眺めるだけだったのに、今はこうして蒼真を入っている。
それだけで、特別な気持ちになっていた。
「どれにしよう……」
ショーケースに並んでいるケーキは、どれも綺麗だし美味しそうだしで、すぐには選びきれない。
「ごめんね、全然決まらなくて……」
ショーケースの前で困ったように言うと、蒼真が少し身を乗り出してきた。
挑発するような笑みを浮かべながら、でもどこか甘やかすような視線。
「じゃあ、全部いく? 誕生日なんだしさ」
冗談っぽい口調なのに、ちゃんとこちらを見てくれている。
その顔を見たら、迷っていたはずの気持ちがふっと軽くなった。
「できるなら……食べたい」
思わずそう返すと、蒼真がふっと声を漏らして笑った。
「正直すぎ。じゃあ、また今度来よう。そのときに、今日とは違うの食べればいい」
なんでもないような提案なのに、当たり前のように言ってくれて嬉しかった。
「ありがとう。じゃあ……今日は誕生日っぽく、ショートケーキかな」
「うん、ぽいね」
無邪気に笑う横顔が、どうしようもなく愛おしく見えた。
今日食べるショートケーキ味は、きっと思い出の味になるんだろうな、なんて思いながら彼の顔を見つめていた。
◆
目の前に置かれたケーキはショーケースの中よりもずっと輝いて見えて、フォークを入れるのがもったいないくらいだった。
けれどひと口食べると、自然と顔がゆるむくらい口いっぱいに甘さが広がって。
つい何度も「おいしい」と言葉をこぼしてしまうくらいだった。
向かいに座る蒼真がアイスコーヒーを飲みながら、「よかった」と小さく笑う。
「食べてるとき、ちゃんと幸せそうに見えるよな」
「だって、幸せだもん」
「じゃあ結衣が落ち込んだときは、甘いもの食べに行けばいいのか」
「私、そんなに単純じゃないかもよ」
ふふっと笑って返すと、蒼真も少し目を細めた。
皿に残った最後のひと口を口に運ぶ。
ふわふわのスポンジと甘酸っぱい苺、生クリームのなめらかな味わい。
甘いものは好き──でも、それだけじゃない。
蒼真と一緒にいるこの時間が、ケーキの甘さと一緒にとろけていくようで。
だから最後のひと口を食べるのが、ちょっと名残惜しかった。
「ごちそうさまでした」
小さく手を合わせると、蒼真はまたほんの少しだけ笑った。



