拝啓、夜空かかった虹をみつけてくれた君


 十一月に入って、朝の空気はひんやりと頬をなでるようになった。
 木々の葉は赤や黄色に色づいていて、校門のそばでは風に吹かれた落ち葉がひらひらと舞っている。
 まだ秋だけど、冬の気配がすぐそこまで来ているようだった。

 教室に入ると、ざわざわとした空気に包まれていた。
 以前にも聞いたことのあるざわめき。
 黒板に目を向けると、案の定チョークで「席替え」という文字が書いてあった。

「おはよ。結衣(ゆい)

 龍二(りゅうじ)が鞄を机に置きながら挨拶してきた。
 少し眠そうな目元に、見慣れた安心感がある。

「おはよう、席替えだってね」
「みたいだな。なんか、いろいろあったな」

 言いながら、龍二は少しだけ口角を上げた。
 この一ヶ月弱の間、確かに私たちはいろいろあった。

「うん。あったね」

 私は笑って(うなず)いた。
 うまく言葉にはできないけれど、その『いろいろ』にきちんと終止符を打てたから、今の空気のやわらかさがあるんだと思う。

「ありがとう、龍二くん。楽しかった」

 心からそう思って言ったつもりだったけど、龍二は大袈裟に眉をひそめて、肩をすくめた。
 
「ちょっと、お別れみたいに言わないでくれる?」
「確かに。まだ同じクラスだもんね」

 私もクスッと笑った。
 
「……結衣さ、変わったよな」
「そう?」
「うん。なんていうか……憑き物が落ちたっていうの?」

 真顔で言うから、私は思わず吹き出しそうになった。
 
「なにそれ、縁起悪い」
「いや、本当に。結衣らしくなった……のかな」

 その言葉はなんだかくすぐったくて、気恥ずかしくて。
 私は小さく息を吐く。
 そしてちょっとだけ、嬉しくなった。
 
「変なの。私は、私だよ」

 胸を張って、ちゃんと意味を持つ言葉として言えた気がした。

 ◆

「運命なかったわ〜。マジで世界が俺たちを焦らしてくる」

 席替えが終わって、一限目の授業が終わった休み時間。
 蒼真(そうま)が舞台の上の役者のように肩を落として言い放った。
 その言い方に少し笑いながら、私はそのまま彼を見守る。

「ただの席替えじゃん」
「だな」

 瑛美梨(えみり)(りょう)が呆れたように笑いながら、軽く言葉を交わす。
 
(りょう)たちはいいよな、席近くなったんだから」
「いいでしょ。運命と世界が味方してるのかもよ」

 瑛美梨もお返しとばかりに、ちょっと芝居がかった口調でふふんと言ってみせた。

「蒼真くんはいつも大袈裟すぎるんだよ」

 私はさりげなく肩をすくめて、くすくすと笑う。
 けれど蒼真の目は真剣そのもので、少しだけ顔をしかめている。
 
「結衣は俺と近くになれなくて残念って思わないの?」

 その問いかけに、私は一瞬考えたあと素直に答えた。
 
「そりゃ、残念だけど。でもこうして、一緒に話してるじゃん」

 隣の席にはなれなかったけど、でもその分、こうして限られた時間で話すのも特別感があって悪くないなって思う。
 私は蒼真と目を合わせ、にこりと笑った。
 
「あー。運命、なかったわ〜」

 蒼真はしばらく考えた後、不貞腐れたように再び言い放つ。
 その顔が本気で落ち込んでいるように見えて、ちょっとだけ「かわいいな」って思ってしまった。

「おーい、蒼真! 早く黒板消せよー! 明日も日直になるぞー!」

 教室の隅から男子が茶化すように声を上げた。

「おー、さんきゅ。……じゃ、消してくるか」

 蒼真は気の抜けたような返事をして、のそりと歩き出した。
 しんみりとチョークの跡を消す姿を、私は少し口元をゆるめて見つめる。

 そのとき、隣から(ささや)くような声が聞こえた。
 
「ねえ、結衣。本当にまだ付き合ってないの?」

 瑛美梨が耳打ちするように聞いてくる。
 声は小さいけれど、その顔は興味でいっぱいだった。

「うん。付き合ってないよ」
「あれで付き合ってないとか……信じられない」
「蒼真って意外と奥手なのか?」

 瑛美梨と遼が不思議そうに顔を見合わせて、きょとんとする。

 ──そうかもしれない。
 
 いや、きっと私も同じくらい奥手なんだ。

「好き」って気持ちは、もうはっきりしてる。
 ちゃんと自分の中で確かめたし、嘘じゃないって思える。
 でもそれを伝えること、そして「付き合う」という言葉を口にすることには、お互いまだちょっとだけ勇気がいるから。
 だから今は、こうして少しずつ距離を縮めていく感じが心地よかった。

「結衣、来週誕生日じゃん。やっぱ蒼真と過ごすの?」

 瑛美梨がからかうように言った。
 
「んー、どうかな。誕生日の話とかしたことないし。私も蒼真くんの誕生日知らないや」
「え、お前ら、本当に高校生かよ!? 相手の誕生日くらい、普通知ってるだろ」
 
 遼が大袈裟に目を見開きながら言うと、瑛美梨も横で「うんうん」と大きく(うなず)いた。

「そうだよ! 誕生日なんて一大イベント! 絶対一緒に過ごさなきゃダメだよ!」

 瑛美梨が力説するように身を乗り出す。
 
「そうかな」

 私は曖昧に笑って、肩をすくめた。
 
「そうなの!」
「一緒に過ごすべき!」

 二人そろって熱量が高い。

 ──似た者同士、本当にお似合いの二人だな。
 
 必死になっている二人の様子が微笑ましく映った。

「終わった終わった」

 蒼真が手をぶらぶらを揺らしながら戻ってきた。

「蒼真! 来週、結衣の誕生日だからね!」

 瑛美梨が間髪入れずに告げると、「え、そうなの?」と蒼真は少し驚いた顔で私を見る。
 
「そうなの!」

 瑛美梨がすかさず、もう一度繰り返した。
 彼女の勢いに押された蒼真がちらりと私を見る。
 
「なんだよ、早く言ってくれればいいのに」

 ちょっとだけ拗ねたような口調。
 でもその目は、なんだか嬉しそう。
 
「言うタイミングなくて。『私、誕生日この日』って自分から言うのも厚かましいっていうか」

 少し照れくさくて、私は目を逸らしながら言葉を続けた。
 嘘じゃない、けど、全部が本音じゃない。
 
「健気! 実に結衣らしい!」

 遼が芸人ばりに手を叩いて笑う。
 
「じゃあ、来週の放課後は空けといて。あ、お前らは来なくていいから」

 蒼真がふっと真顔になって、まるで予定が決まってたみたいにあっさりと言った。
 その自然さが、かえってドキッとする。
 
「最初から行くつもりないから安心してください」

 手をひらひらさせた瑛美梨が軽口を返す。

 ──誕生日、か。

 なんでもない日常のはずなのに、胸の奥がふわりと動く。
 来週のことを考えたら、少し胸が弾んだ。