拝啓、夜空かかった虹をみつけてくれた君


「文化祭の日さ、日下部(くさかべ)と何かあった?」

 彼の口から突然出てきた龍二(りゅうじ)の名前に、反射的に肩がぴくりと震えた。
 蒼真の声色からは確信が感じられる。
 迷いがない。まるで何かを知っているかのように。

「え、別に、なにも……実行委員お疲れ様って」

 無理に笑顔を作りながら、すぐに否定する。
 蒼真に見抜かれたくない。
 なにも知られたくない。
 その一心で、私は彼の確信を曲げようと必死だった。

「結衣がそれでいいなら、かまわないけどさ」

 蒼真はほんの少し、目を鋭く細めて続ける。
 
「最近様子が変だし、どう見ても何かあったとしか思えないよ」

 彼の一挙手一投足が私の胸を刺す。
 目を逸らしても、もう隠しきれない。

 ──蒼真くんは、きっと全部わかってる……。

 私はぎゅっと唇を噛みしめた。
 彼なら私の気持ちを受け止めてくれる。
 いつものように優しく声をかけてくれる。
 何も言わなくても理解してくれる──。
 
 彼なら頼ってもいいんじゃないかと、心の中で呟いた。
 自分でも蒼真に甘えてしまっていることに気づかないまま、私は意を決したように口を開いた。

「……龍二くんに、告られたの」

 彼は驚くこともなく、「そっか」と短い言葉を返した。

「返事、まだしてないでしょ?」
「うん……」

 彼の言葉に、私は少しだけ(うなず)く。
 
「なんか……わからなくて」
「なにがわからないの?」
 
 蒼真はまだ少し、優しく問いかけてくれた。
 
「わたし、告られたのとか初めてだから……好意は嬉しいんだけど、どう言ったら傷つけずに済むのかな、嫌われずに今までの関係でいられるかなって」

 私はたどたどしく言葉を紡いだ。
 自分の思いを言葉にするのは、やっぱり難しい。
 だって私は、ずっと本音を隠して、我慢してきたから。
 一度でも言葉にしてしまうと、抑えていたものが全部崩壊してしまいそうで──。
 泣きたくなんてなかったのに、目の奥がじんわり熱くなっていた。
 
「それって、告白は断りたいってことだよね?」

 蒼真の言葉は確信を突いていて、心にずしりと響く。
 私はたまらず息を呑んだ。
 
「……断りたいっていうか」

 戸惑ったけれど、そう答えざるを得なかった。

「結衣って……」

 ふっと息を吐いた蒼真の声は、静かで、そして氷柱(つらら)みたいに冷たくて尖っていた。
 
「八方美人じゃないけどさ。そういうとこ、結衣の悪いところだと思うよ」
「……え?」
 
 予想外の言葉だった。
 胸の辺りが(ねじ)られたようにキリキリと痛みだす。
 蒼真はまっすぐにこちらを向いたまま、真剣な顔で続けた。
 
「傷つけたくない、嫌われたくないって、結局それ、自分を守ってるだけじゃん。本当は相手のこと、全然考えてないよね?」

 その言葉は、痛いくらいに冷たく胸に突き刺さった。
 
「そんなつもりじゃ……」
「日下部の気持ち、考えたことある?」

 蒼真の声が一段と低くなる。

「ずーっと期待持たせるようなことさせといて、結衣は悪気ないかもしれないけど、善意が悪意になるときだってあるんだよ」

 そう言われて、私の中で何かが崩れた気がした。
 目の前にいる蒼真の顔は、ただただ冷たくて。
 彼が言っていることは、理屈としては正しいかもしれない。
 けれど──。

 私は唇を噛みしめたまま、言葉を探していた。
 胸の奥が痛くて、苦しくて、口をついて出たのは、思ってもいなかった言葉だった。

「……何回も告られたことのある蒼真くんには、私の気持ちなんてわからないよ」

 言った瞬間、しまったと思ったけど、もう遅かった。

「は? なにそれ?」

 蒼真が目を見開いて距離を詰めてきた。
 呆れとも怒りともつかない色が瞳に浮かんでいる。

「わかるわけないじゃん。結衣さ、一度だって自分の本音、言ったことある?」

 ぐっと言葉に詰まった。
 蒼真の言うことは、なにも間違ってない。
 でも、だからって、何もかも否定されたみたいで、悔しくて、悲しくて──。

「言えるわけないでしょ……! 本当の気持ちなんて、言ったら嫌われるに決まってるじゃん!」
「それで、全部嘘で誤魔化して、自分は安全なところにいるのがいいってわけ?」
「違うよ……!」

 違うよって言いながら、涙が滲んだ。
 何が違うのか、自分でもうまくわからない。
 ただ責められているようで、蒼真の言葉が突き刺さって、もう逃げたくなっていた。

「……もういいわ。なんか疲れた」

 しばらくの沈黙のあと、蒼真が息をつくように言った。
 すぐにベンチから立ち上がった彼は、こちらに顔を見せないまま黙って歩き出す。

 名前を呼びたかった。
 引き止めたかった。
 なのに、息が詰まって、喉は焼けるようにひりついて、声が出せない。
 
 ──呼び止めたとしても……。
 
 私はなんと言うべきなのだろう。
 
 ごめん? 違うの? それとも、行かないで?

 言葉は何ひとつ、形にならなかった。
 彼の背中がいつもよりずっと遠くに見えて、胸の奥深くまでじんと痛んだ。

 ──どうしてこんなことに……。
 
 ただ話を聞いてほしかっただけなのに。
 蒼真なら、わかってくれると思ってたのに。
 信じたかったのに──。

 強く握った拳の上に、ぽつりと涙がこぼれ落ちる。
 それを拭うことすらできなくて、じっとうつむいたまま肩だけが小さく震えた。
 嗚咽が漏れそうになるのを、喉の奥で必死に押しとどめる。

 隣に残るベンチのぬくもりが、もう戻ってこないものみたいに感じられて余計に辛くなって。

 ひとりきりの放課後は、いつもより風が冷たく感じた。