拝啓、夜空かかった虹をみつけてくれた君


 告白された次の日の朝は、驚くほど普通だった。

 教室にはまだ文化祭の名残りがあちこちに残っていて、端に寄せた机や壁に貼られた飾りつけがまだ剥がされていない。
 いつもの制服に戻ったけれど、教室内は昨日のお祭り気分が抜け切っていない空気が流れていた。

 文化祭の片付けは午前中に終わって、あっという間に教室はいつもの形に(よみがえ)った。
 バラバラになっていた机は再び整列されて、私はまた、龍二(りゅうじ)の隣に戻ってきた。

「よう」
「おはよう」

 ぎこちない挨拶になってしまったのは、たぶんお互い様だろう。
 龍二は何も言わずペラペラと教科書をめくっている。
 鞄から筆記用具を取り出すふりをしながら、ちらりと彼の横顔を盗み見た。

 返事を待ってくれているのがわかる。
 優しい人だと思う。
 だからこそ、ちゃんと向き合わなきゃいけないのに──まだ言葉が見つからなかった。

 ◆

 告白されてから二日が経った。

 隣の席にいるのに、龍二とはほとんど話していない。
 休み時間になるたびに私はすぐ席を立って、先生が教室にくるギリギリまで誰かと話しをしていた。
 わざと、なんて思ってない。けれど、気づけば毎回そうしていた。

 席の距離は変わらないのに、間に一枚、目には見えない壁ができたみたいだった。
 その壁を作ったのが自分だとわかっていても、壊す方法は見つからなかった。

 視線が合うたびに、胸がざわつく。
 今まで普通に話せていたはずなのに、今は何を言えばいいのかわからない。

 それでも、龍二はいつも通りでいてくれた。
 私の態度の変化に、気づいていないわけじゃないと思う。
 彼はきっと、あえて気づかないふりをしてくれている。
 それを言葉にしない優しさが、少しだけ苦しかった。

 ◆

 放課後。
 教室を出るとき、いつも通り瑛美梨(えみり)莉子(りこ)千奈津(ちなつ)と一緒だった。
 みんなと一緒にいるときは普段通りの「私」でいられる。
 一人になると龍二に告白されたことが頭をよぎって、どうしても心が落ち着かなかった。
 あの言葉が耳に残って、胸の中でぐるぐると回る。
 だから、なるべく一人ではいたくなかった。

 昇降口に向かっている途中、ふとスマホが震えた。
 画面に浮かび上がっていたのは【蒼真】という文字。
 ドキリとしながら画面をタップすると、短いメッセージが表示された。

《校舎裏にきてほしい》

 シンプルな一行に、心臓が激しく跳ね上がった。

「誰から?」

 瑛美梨(えみり)が興味本位そうに顔を近づけてくる。
 私は慌ててスマホを胸元に押し当てて、隠すように両手で全体を(おお)った。
 この瞬間だけは、誰にも知られたくなかった。

「あ、お母さん! 夕飯の材料買ってきてって」

 私はへらっと笑って、それとなく嘘をついてしまう。
 
「ああ、うちもたまに言われる。大変だよね」

 瑛美梨は苦笑いしながら私の言葉に同調してくれた。
 普段と変わらない彼女の態度に、わずかな気まずさを覚える。
 隣にいた莉子は軽く足を速めて、ダンス部へと向かった。
 
「じゃ、私部活いくから!」
「私もユウくんと会うんだ〜! またね」

 千奈津がツインテールを揺らしながら昇降口を出て行く。
 バイバイと二人に手を振ると、瑛美梨が小さな声で尋ねてきた。
 
「結衣は?」
「あ……私も、まだ実行委員の仕事が少し残ってて……」

 瑛美梨から顔を背けて、私はまた嘘をついた。
 本当はもう、文化祭実行委員の仕事なんて残っていない。
 
「ちぇー。(りょう)もバイトだって先に帰っちゃったし、今日は暇だなあ」

 瑛美梨は()ねたように唇を尖らせた。

「ごめんね……」
「いいって! 頑張ってね! 家帰っても暇だし、遼のバイト先にでも行こうかなあ」

 瑛美梨が「また明日ね」と笑いながら手を振って、足早に去っていく。
 私はその背中を見送りながら、心の中でひとりごちる。

 ──ごめんね……。

 その言葉の意味。
 きっと瑛美梨には「行けなくて、相手できなくて」ごめん、と聞こえているだろう。
 でも本当は、それだけじゃない。
「嘘ついてごめんね」って、胸が締めつけられるほどの罪悪感でいっぱいだった。
 
 私はしばらく靴箱の前で足を止めていた。
 嘘をついた罪悪感、蒼真から呼び出されたそわそわ感。
 気持ちの整理がうまくできずにいた。
 
 すると、またスマホが震えた。

《ずっと待ってる》

 そのメッセージを見た瞬間、胸の中で何かが変わった気がした。
 罪悪感の中に、かすかな温かさが混じる。
 蒼真が待っている──。
 それだけで気持ちが少し楽になったような、そんな感覚だった。
 
 私は深呼吸をして、画面をタップする。
「今からいくね」と短い返事を打った。

 ◆

「お、悪いな。急に呼び出して」

 蒼真はポケットに手を突っ込んだまま、ベンチのすぐそばに立っていた。
 風が通り抜けると彼の髪がふわりと揺れる。
 夏の名残りはなくて、ひんやりと肌にやさしく触れてくるような秋の風だった。
 
「ううん、大丈夫」

 私は少しだけ間を置いて言葉を返す。
 意識的に、気持ちを落ち着けるように深呼吸を繰り返した。

「ま、座るか」
「だね」
 
 そして、私たちはベンチに腰掛けた。
 文化祭のときにも座った場所。
 あのときはお互い衣装を着て、非日常的な空気が漂っていた。
 だけど、今は制服姿。
 普段の一コマなのに、心臓はいつもより早く脈を打っている。

「いやー。今日の英語の授業、マジ眠かったわ」

 蒼真はいつものように軽い調子で言う。
 ちょっとした愚痴っぽいけど、嫌味がない。
 
「蒼真くん、英語苦手だもんね」
「英語が呪文に聞こえてしょうがないんだよね」

 彼の笑い声を聞くと、なんだか安心する。
 しばらくは、たわいもない話題で盛り上がっていた。
 授業の話や先生のこと、友達の話に動画の話──。
 楽しくて、自然に笑えていた。

 けど、話題が文化祭に移った瞬間、空気が少しだけ重くなった気がした。