放課後の空気は、どこか軽い気がする。
 
 一日の終わりを告げるチャイムが鳴ると、教室は一気に(にぎ)やかになった。
 部活の話、恋人の話、推しの話、週末の予定──何気ない会話が楽しげに飛び交う教室。
 この騒がしさをうるさいと思うのは、きっと教師くらいだろう。

『授業』という(かせ)から解放されて、みんなが自由になる時間。
 だから、放課後の空気はこんなにも軽やかに感じるのかもしれない。

 十六歳。高校二年生。
 子供でもない、けれど大人にもなりきれない。
 心も身体も不完全だからこそ、自分が世界の中心で物語の主人公だと、誰もが無意識に錯覚してしまう年頃。
 だけど本当は、何者にもなれずにいることに、気づかないふりをしているだけなのかもしれない。

 そう思う私も、きっと胸の奥では『自分は他とは違う』と信じているのだろう。

 ◆

結衣(ゆい)ー! みんなで新しく出来たお店行こー!」

 クラスメイトの瑛美梨(えみり)が、長い髪をなびかせながら私の机に駆け寄ってきた。
 くりっとした大きな瞳で、色白の肌。その(ほほ)には細かいソバカスが散っている。
 平均身長の私より、頭ひとつ分ほど高い長身の子だ。
 
 瑛美梨と仲良くなったのは高校一年生のとき。
 同じクラスになって、席が近かったのがきっかけだった。
 高二になっても同じクラスだったことに瑛美梨はとても喜んでいて、私も同じように喜んだしホッとした。

「いいね! 行こう行こう!」

 間髪を入れずに瑛美梨に答えて、訊ねる。

「新しいお店って、雑貨屋さんだっけ?」
「そうそう! なんか、オープニングセールやってるみたいだから、今のうちに行っとこーって」

 瑛美梨は声を弾ませていた。

 ──欲しいもの、今は特にないんだけどな……。

 そんな思いが頭をよぎり、そして、すぐに消える。
 
「セールかあ。なら、今のうちに行っとかないとだね!」

 私は瑛美梨に合わせるように笑っていた。

「結衣! 瑛美梨! 早くー!」

 扉の近くから声が飛んできた。
 莉子(りこ)千奈津(ちなつ)が、こちらに手を振っている。
 
 莉子は、元陸上部らしいショートヘアで、ほんのり日に焼けた肌が健康的な印象を与える女の子。
 さっぱりした性格で、歩くスピードも速い。
 
 千奈津は、いつも高めに結んだツインテールをコテで巻いていて、身長も低め。
 小柄な体格で所持品も甘めなものが多く、どこから見ても「ザ・女の子」といった感じだ。
 
 二人とも高二になってから初めて同じクラスになった。
 初対面から二ヶ月も経ってないのに、どうやって仲良くなったのかは、はっきりとは思い出せない。
 
 ──これも人間の本能なのかな。

 すぐにクラスにはグループが形成された。
 スクールカーストと呼ぶべきか、それともただの習性か。
 人は落ち着くべき場所に自然と収まっていく。
 誰に言われるでもなく、自然と、適材適所のように集団が出来上がっていた。
 そしてそのうちのひとつが、私と瑛美梨、莉子、千奈津だった。

「はいはーい! 結衣、早く!」

 瑛美梨がまた髪をなびかせて扉へと駆け出す。
 
「待って! 今行く!」

 あははとアオハルっぽい笑い声を響かせながら、私たちは学校を後にした。

 ◆

 駅ビル内にオープンした雑貨屋。
 
 三百円のアクセサリーから一万円を超える家具まで、多種多様な商品がずらりと並んでいる。
 明るく柔らかな照明が店内を照らし、木製の棚にはカラフルな食器や可愛らしいインテリア雑貨がぎっしり詰め込まれていた。
 どこからか甘いバニラの香りも漂っている。
 
 広々とした店内は、楽しそうに商品を見て回る女の人たちで溢れかえっていた。

「どれも可愛いーっ!」

 瑛美梨は店内をきょろきょろと見回しながら言った。
 彼女が私たちの中で一番活発で明るい子だ。
 長身だから、他の子よりも目立って見えるだけかもしれないけれど。

「ねえ、なにかおそろいで買おうよ」

 瑛美梨の提案に、莉子と千奈津が「いいね!」と即座に返す。
 私もその勢いに合わせて「買おう買おう!」と笑顔で言った。

 女子はおそろいが好きだ。
 
 でも、それが悪いことだとは思わない。
 昔から受け継がれてきた、女の(さが)のようなものだと私は思っている。
 
 同じものを持つことは、ある種のマーキングみたいなもの。
『私はこのグループの一員です』とわかりやすく示してくれる。

 でも、それが永遠に続くわけじゃないことも私は知っている。

 中学二年生のとき、当時一番仲のよかった子とおそろいのストラップを買った。
 おそろいだね、と笑いながら選んで、おそろいだね、と言いながら揃えて持って。
 
 けれど、学年が上がってクラスが離れた。
 話す時間も必然的に減ってきて、そして迎えた夏休み明け。
 その子の鞄から、あのストラップは消えていた。

 何も言われなかったし、私も何も聞けなかった。
 私が鞄からストラップを外したのは、中学校を卒業したときだった。

 ──だから、おそろいなんて、うすっぺらい絆の証。

「ボールペンとかどう?」と莉子が言うと、「アクセのほうがよくない?」と千奈津が被せるように言った。

「結衣はなにがいい?」

 みんなの視線がこちらに向けられる。

「私はなんでもいいかな。みんなで同じもの持てれば」

 そう言って、にこりと笑う。

 ──これが無難なアンサー。

 みんなに合わせる。
 それが一番、波風が立たない方法。
 自己を持たないことで誰からも嫌われずにすむ。

 この世界で一番怖いこと。
 それは、誰かに嫌われることだ。

 ──私は、みんなから嫌われたくない。
 
 そのためには本音を出さず、『いい子ちゃん』を演じればいいだけ。
 必要以上に明るく振る舞えば、みんな納得してくれる。
 
 楽しくないわけじゃない。
 こうしてみんなで過ごす時間はちゃんと楽しいし、心から笑っているときだってある。

 けれど、時々ふと思う。

 ──本当の私って、どれ?

 きっと、永遠に見つからない答え。
 私は無意識に左手首をぎゅっと掴んでいた。

 ◆
 
 おそろいで買ったのは、クマのぬいぐるみのストラップ。
 それぞれ表情が少しだけ違う、手のひらサイズの可愛いぬいぐるみだ。

「さっそくカバンに付けよう」

 瑛美梨が嬉しそうに言い、私たちはそれぞれ自分のストラップを取り出した。

 瑛美梨は、ぱっちりした目で笑っているような表情のクマを手にしていた。
 莉子が選んだのは、口角がちょこんと上がった愛嬌のあるクマ。
 千奈津のクマは、うるうるとした瞳でちょっと困り顔のもの。

 私のクマは、どことなく無表情だった。
 口元がまっすぐで、感情が読み取れない顔をしている。
 でもそれがなんとなく「私らしい」気がして、迷わず選んだ。
 
 鞄にストラップをつけ、小さなクマをゆらゆらと揺らしながら駅へと向かう。
 四つのストラップは、私たちの笑い声に合わせて弾むように揺れている。
 まるで私たちの関係を証明するタグのように。

 この日。
 鞄にまた、うすっぺらい絆がついた。

 いつか、このストラップはちぎれてしまうかもしれない。
 もしくは、誰かが外してしまう日が来るのかもしれない。

 それでも。
 私は今、この瞬間を心から楽しんで、心から安心している。
 それが、私にとっての()りどころだった。