拝啓、夜空かかった虹をみつけてくれた君


結衣(ゆい)って、ちゃんとお昼食べた?」

 静かな時間を少しだけ過ごしたあと、蒼真(そうま)がふと尋ねてきた。

「えっ……あ、ううん。接客とか見回りでバタバタしてて、気づいたらこんな時間で」

 ちょうどそのタイミングで、私のお腹が「ぐぅ」と空腹の音を鳴らす。

 ──うわ……! 最悪のタイミング……!

 顔から火が出そうなほど恥ずかしくて、思わず肩をすくめて目を伏せた。

「……聞こえた?」
「うん」
 
 蒼真は優しくクスッと微笑んでいる。
 笑いをこらえるでも、からかうでもなく、見守るような瞳の輝きで、かえって恥ずかしさが増す。

「なんかいろいろ出し物あるみたいだし、ちょっと見て回ろうか。食べたいのあったら、奢るよ」
「えっ!? そんな、いいよ!」

 慌てて首を振るけど、蒼真はもう立ち上がっていた。
 
「いいからいいから。そんな高いもんじゃないし。それに……結衣、ずっと頑張ってるじゃん」

 その言葉に、胸の奥がきゅっとなった。
『頑張ってる』──それだけなのに、彼の言葉が深く心に染みる。
 
 今までだって、みんなからたくさん言われてきた。
 そう言われるように、頑張ってきた。
 
 でも、蒼真に言われるのはどこか違っていた。
 ちゃんと私のことを見て、理解してくれているような。

 取り繕った笑顔も、誤魔化してた気持ちも、全部知ったうえで、『頑張ってる』って言ってくれた気がした。

 ──なんだろう、この気持ち……。
 
 純粋に嬉しい、だけじゃない。
 私はいつもみんなに良い顔をして、頑張っている「私」を見せていた。
 だから、彼にも「私」を認めてもらえて嬉しかった。
 はずなのに。

 ──なんか、胸が痛む……。

 どこかからか苦しい気持ちが湧いてくる。
 彼が見ていてくれることは、すごく嬉しい。
 そして、それと同時に怖い。
 ずっと本音を隠してきた「私」が彼には見透かされているんじゃないかって、一気に不安が押し寄せてくる。

 だけど、蒼真は「私」が頑張ってきたことを認めてくれた。
 でも、それだけじゃ足りない気がして。
 自分でもどれが「本当」なのかよくわからないけど、彼には「本当の私」を知ってほしい──のに、それを伝える勇気もなければ、どう伝えていいのかすらわからない。

「ありがとう。じゃあ……お言葉に甘えてみようかな」

 ためらいながら答えて、私もベンチから立ち上がった。
 普段なら、誰かに甘えるなんて考えられない。
 だけど、花火大会の帰り道。
 ボディバッグのストラップを掴ませてくれた、あの日の蒼真の背中を思い出す。
 彼の背中は大きくて、あたたかくて。
 だからもう一度、素直になってみたかったのかもしれない。
 
「おう。食べたいものあったら言えよ。なんでも買ってやる」

 にっと笑って歩き出した蒼真のすぐ後ろを、私はたどるようにしてついていく。
 ほんの少しだけ間が空いているその距離感が、今の私には心地よかった。
 瑛美梨と遼のように近すぎても緊張してしまう。
 だから今の距離感が、きっとちょうどいい。
 
「なんか、花火大会のときの(りょう)くん思い出すね」
 
 私は笑いながら続ける。

「なんとか食べきったけど、瑛美梨の言う通り、もう遼くんには買わせちゃダメだね」
「あいつは際限なかったなあ」

 蒼真は思い出したようにため息をつき、私はその言葉に笑いながら(うなず)く。

「すごかったよね」
「テンション上がると目の前のものしか見えなくなるのが、あいつの悪いところだわ」
 
 会話を交えるごとに、心の中の緊張がほどけていく。
 気づかないうちに、空いていた距離は埋まっていた。

 ◆

「いちご飴まである。マジで祭りの屋台みたいだな」

 蒼真がちらりと指差す先には、色とりどりの出し物が並んでいる。
 小規模とはいえ、その活気や匂い、(にぎ)やかな声の響きは、本当のお祭りの雰囲気を感じさせる。
 火を使えないから屋台料理の匂いは控えめだけど、それでも十分楽しげだ。

「結衣はなんか食べたいの決まった?」
「どうしよう……。いちご飴もいいし、クレープも、ワッフルとかチュロスもいいしなあ」

 どれもおいしそうで、目移りしてしまう。
 一度「これにしよう」と思っても、次の出し物を見た瞬間に気が変わる。
 何を食べようかワクワクしているのと同時に、優柔不断な自分が顔を出す。

 眉間にシワを寄せて「うーん」と悩んでいると、横から小さく笑い声がこぼれた。
 蒼真が口元を緩めてこちらを見ている。
 
「甘いものばっかり」
 
 軽やかで、からかうような声の響き。
 なのに、やっぱり優しさがある。
 何かを見つけたみたいな目をしていて──でも、それが何なのかまではわからない。
 ただ私の何気ない一言に、彼がちょっと嬉しそうにしてくれた気がして、胸がきゅっとなった。

「たぶん疲れてるのかも!」

 気恥ずかしくなって、甘いものにばかり目がいく自分をごまかすように早口で言い訳が口をついて出た。
 
「結衣は甘いもの好きだよね。夏休みにファミレスで勉強会したときも、パフェ頼んでたし」

 そう言われて、胸が跳ねた。
 そんな前のことまで覚えてくれていたなんて思っていなかった。
 無糖の紅茶のことだけじゃなかったんだ、と気づいて心がざわめく。
 
「……うわ、無意識に頼んでる」

 たぶんあのときも、あまり深く考えずに注文したんだと思う。
 蒼真の記憶に残っていたことは、正直、嬉しかった。
 だけどそれ以上に、「甘いもの好き」と思われてしまったことが照れくさくて、反射的に目線を逸らしてしまう。

「いいじゃん。女子って感じで可愛くて」

 さらっと言った一言に、身体中がぽっと熱を帯びる。
 冗談っぽいのに、妙にまっすぐで、嘘が混じってない感じがしたからかもしれない。
 誰かに「可愛い」なんて言われても、普段なら適当に受け流せるのに──蒼真に言われると、うまく笑えなくなる。
 どうしてこんなに彼の言葉に反応してしまうんだろう。

「フルコース、いく?」

 蒼真が冗談めかして言う。
 顔を見ないようにしながら、私は首を横に振った。
 
「それはさすがに! えっと、じゃあ……クレープがいいかな」

 言いながら、自分でもちょっとだけ緊張してるのがわかる。
 
「だけ?」

 蒼真が軽く首をかしげた。
 無邪気でまっすぐな瞳が、こちらを射抜くように見つめてくる。
 
「あと……いちご飴」

 声が少しだけ小さくなる。
 照れ隠しのように口元を尖らせて、目線はちょっとだけ横にずらした。

「おっけー」

 蒼真はすぐにそう言って笑ってくれる。
 何気ない一言が、まるで「それでいいよ」と丸ごと受け止めてくれているみたいで。
 なんでもないやり取りのはずなのに、こんなふうに感じてしまう自分に気づいて、私はそっと唇を噛んだ。