「いいなあ。私もカレシほしい〜」

 千奈津(ちなつ)が頬杖をつきながら瑛美梨(えみり)を羨ましそうに見つめる。

「え、千奈津、もう別れたの?」

 みんなが驚いて尋ねると、千奈津はあっさりと「夏休み中にね〜」と返す。

「早っ!」
「だって、なんか合わないな〜って」

 悪びれる様子もなく、ストローをくわえながら答える。
 相変わらず切り替えが早い。

「千奈津のワガママに付き合える男子なんていないよ。もっと、大人の男性って感じがいいんじゃない?」

 莉子がバッサリと言うと、千奈津は「それな〜」と大きく(うなず)いた。

「でも、そんな人いたら苦労しないよ〜。頼れる大人の男! 欲しい〜!」

 千奈津はわざと大げさに天を仰ぎ、芝居がかったため息をつく。

「莉子は?」

 瑛美梨が尋ねると、莉子はちょっと誇らしげに胸を張る。

「私は今、推し活で忙しいから。彼氏とか興味ないし」
「出た、莉子の推し至上主義」
「推しは裏切らないから!」
「はいはい」

 莉子が得意げに語り出しそうな空気を察して、私たちは笑いながら軽く流した。

「で、結友はどうなの?」

 千奈津がストローをくるくる回しながら、探るような目で問いかける。
 その瞬間、話題の矛先が私に向いた。

「私も全然だよ」

 笑って誤魔化すように答えたけれど、すぐに瑛美梨が「でもさ」と不思議そうな顔をした。

結衣(ゆい)の恋バナって聞いたことないんだよね。好きな人とか、いなかったの?」
「好きな人……は、中学のときいたけど」
 
 そう言いながら、私は少しうつむいた。
 照れているわけじゃない。ただ、自分の恋愛の話をするのが苦手なだけ。
 でも、きっとみんなそうとは思っていない。

 だって、恋バナが嫌いな女子なんて、いないんだから。

「初耳ー!」
「どんな人だったの?」

 みんなが一斉に身を乗り出す。
 私は周りに合わせるように呼吸を整えて、昔を思い出しながら言った。

「運動もできて、頭も良くて、生徒会長だった人」
「うわ、絶対その人モテたでしょ!?」
「うん、すごいモテてた。遠くから見てるだけって感じ」
「甘酸っぱーい!」

 三人がキャーっと盛り上がる。
 だから私は、その場のノリに合わせて「えへへ」と笑ってみせる。

 でも──。

 私はその人のことを、ちゃんと「好き」と思ったことはなかった。

 みんなが「かっこいい」と言っていたから。
 みんなが「すごいね」と言っていたから。
 
 だから私もみんなと同じように、いつか好きになるんだろうと思って、その人を見ていた。
 
「その人が好き」だと言えば、「結衣もか」「競争率やばいよ」「応援してる」と勝手に話が膨らんでいく。
 模範的な『好きな人の条件』を満たした相手だったから、「どこが好き?」なんて問い詰められることもなかった。
 そして、そんなふうに「恋する私」として存在できることが、なんとなく心地よかった。

 みんなを騙しているような気がして、罪悪感を覚えることだってあった。
 だけど、それ以上に──周りについていけず、置いていかれてしまうのが怖かった。
 ずっとその人を見ていたのに、私は最後まで「本当は好きじゃない」と言えなかった。

「じゃあさ、今好きな人はだれ?」

 瑛美梨が期待に満ちた目でこちらを見る。
「好きな人いるの?」ではなく、「だれ?」と問いかけてくるあたり、いる前提なのが伝わってくる。

「えー、好きな人?」

 あははと笑いながら、わざとらしく飲み物をすすって「いないよ」と誤魔化そうとしたところに。
 
蒼真(そうま)くんとは、どうなの?」

 千奈津がすかさず切り込んできた。

「あ、私も気になってた!」
「最近よく四人でいたし、瑛美梨が遼くんと付き合ったなら、やっぱり結衣は蒼真くん?」

 莉子まで加わり、話がどんどん膨らんでいく。
 隣で見ている瑛美梨も、なんだか確信めいた目をしていた。

「面白いしかっこいいとは思うけど、そういうのじゃないよ」

 なるべく自然に、さらっと否定する。
 でも、みんなの反応は予想通りだった。

「えー、本当?」
「絶対いい感じでしょ!」

 千奈津と莉子がニヤニヤしながら顔を見合わせる。
 私は苦笑いを浮かべつつ、言葉を選びながら続けた。

「ほんとほんと。私じゃ釣り合わないし」

 口にした瞬間、胸の奥がチクリと痛む。
 そんなふうに思ったことなんてなかったはずなのに、言葉にしてみると、やけにしっくりくる気がした。

「私はイイ感じだと思ったよ!」

 瑛美梨がニコッと笑う。
 私は「いやいや」と手を振りながらも、心の片隅に引っかかるものを振り払えずにいた。

 ◆

 友達と笑い合い、楽しく過ごしたファミレスでのひととき。
 だけど一人になった途端、帰り道の足取りは重くなった。
 最寄り駅に着いたものの、まっすぐに家へ向かう気になれなくて、私は足を止めた。

 スマホを取り出し、時刻を確認する。
 夕方の空はまだ薄明るいけれど、日が落ちるのが早くなったと感じる空の色だ。

 ──少しだけ、寄り道していこう。

 気づけば、花火大会のあとに蒼真と寄った公園にたどり着いていた。
 
 ──あのとき座ったベンチ、空いてる。

 私はそっと腰を下ろした。
 ここに来たのは花火大会以来。
 無意識に足を運んだと思っていたけれど、それは違くて、私は「私」を探るために来たんだとぼんやり思った。

 ──どうして私は「蒼真くんが好き」って言えなかったんだろう。

 中学のときのことを考えたら、「蒼真くんが好き」と言った方が、ずっと「私」らしい答えだ。
 周りの期待にも応えられるし、みんなが望む答えを言うだけで、いつも通りになる。
 
 人気者で、理想的な「好きの条件」を満たしている彼。
 好きと偽ってみんなが喜んでくれるなら、それで良かったはずなのに。
 
 どうしても「好き」と言えなかった。
 その理由がわからなくて、心がもやもやとする。
 ため息をついて、蒼真と過ごした夜を思い出した。

 花火大会の帰り道、彼とここに並んで座った。
 線路が天の川みたいだ、なんてロマンシチズムなことを思って、親に連絡したことを後悔して、別れ際は少し寂しくて。

 ──あのとき、私は何を感じていたんだろう。

 考えれば考えるほど胸の奥がざわつく。心臓がぎゅっとなる。
 遠くに輝く一番星を眺めながら、ぽつりと思う。

 ──私は、蒼真のことをどう思っているんだろう。

 その答えは、まだわからない。
 でも、一つだけ確かなことがある。

「……また、会いたいな」

 誰に言うでもなく呟いた言葉にハッとする。
 それが何を意味するのか、今はまだ考えたくなかった。

 私はベンチからふらりと立ち上がった。
 この場所に長くいたら、もっと余計なことを考えてしまいそうだ。

 ──帰ろう。

 そう思いながら、公園をあとにした。
 歩き出したあとも心に残る違和感だけは、ずっと消えなかった。