拝啓、夜空かかった虹をみつけてくれた君


 夏の名残がまだ色濃く残る九月初め。
 久しぶりに袖を通した制服が、ほんの少しだけ窮屈に感じた。

 教室の扉を開けると、熱気とともに、にぎやかな声が飛び込んでくる。
 
「宿題終わってねぇ!」
「お前、どこ行った?」
「っていうか、まだ遊び足りないんだけど!」
 
 あちこちで交わされる楽しげな会話。
 教室の空気はまだ夏休み気分を引きずっているようだった。

 他の席では、数人がスマホを見せ合いながら盛り上がっている。
 
「これ見て! 旅行先の海!」
「めっちゃ綺麗じゃん。どこ行ったの?」
「沖縄!」
「いいなあ」
 
 どこの席でも夏休みの思い出話に花が咲いていて、それが教室の温度をさらに上げていた。

「結衣! おはよー!」

 すでに教室に来ていた瑛美梨(えみり)莉子(りこ)が、手を振りながら声をかけてくれた。
 私も手を振りながら、二人の輪に入っていく。
 
「おはよ!」
「まだまだ暑いねー」
「本当、もう汗だく」

 教室のクーラーはついているはずなのに全然涼しく感じない。
 きっとホームルームが始まるまで、教室の熱気は冷めないだろう。

 三人で話を始めてから数分後、軽快な足音が近づいてきた。

「おはー! 久々だね。今日も暑くない?」

 登校した千奈津(ちなつ)がツインテールを可憐に揺らしながら私たちの輪に入る。
 
「おはよ! さっきもその話してた」
「だよね、マジで夏終わってなくない?」
「本当それ。四季はどこに行った!?」

 なんて、他愛ない会話を交わすだけなのに自然と心が弾む。
 夏休み中もちょくちょく会っていたのに、こうして教室という「いつもの場所」で話すのは久しぶり。
 制服を着て、学校の景色の中で話していると、改めて 『日常が戻ってきたんだな』と実感する。

 ──これからまた、いつも通りの毎日が始まるんだ。

 予鈴のチャイムが鳴り、教室内のざわめきが少しずつ静まっていく。
 それでも、まだ名残惜しそうにおしゃべりを続ける声があちこちで響いていた。

「ねえ、今日学校終わったら時間ある? ファミレス行かない?」

 瑛美梨がさりげなく誘い、私たちは顔を見合わせてすぐに(うなず)いた。

「行く!」

 自然と声がそろい、笑い合う。
 何気なく約束を交わせることが嬉しかった。
 それを特別に思っているのは、たぶん私だけかもしれないけれど。
 
 本鈴が鳴る数分前、私たちは自分の席へと戻った。

「結衣、おはよう」
 
 振り向くと、蒼真(そうま)がいつもの調子で微笑んでいた。
 全然変わらない。夏休み前と同じ、明るくて、軽やかで、自然体なままの彼。

 花火大会の後、もう一度だけ四人でファミレスに集まって宿題をした。
 そのときも彼は屈託なく笑って、何気なく言葉を交わしていた。
 こうして会うのは、それ以来だ。
 
「蒼真くん、おはよう」
「二学期もよろしく」
「こちらこそ」

 話しながら、少しずつ肩の力が抜けていくのを感じた。
 前だったらどこか構えてしまっていたのに、今はそうでもない。
 夏休みを経て、彼との距離が近くなった──そう思ってしまうのは、勘違いじゃない気がする。

 ──何が変わったんだろう。

 私が彼に慣れただけ?
 それとも──。

「はい、おはようございます。みんな出席してるかー?」

 本鈴とともに、先生が教室の扉を開けた。
 教室が少しずつ静まって、黒板に書かれる今日の予定をぼんやりと眺める。
 先生の話す声が耳に入ってくるけれど、私の意識は窓の外へと向いていた。

 緑の葉の隙間に、わずかな秋の気配を見つける。
 窓から注がれるのは、眩しくて暑い日差し。
 けれど、確実に季節は移ろい始めていた。

 ◆

 放課後。
 教室や廊下では楽しげな声が響いていた。
 部活へ向かう人、友達と待ち合わせをする人、みんなが思い思いに動いている。

「結衣、行こ!」

 瑛美梨の呼びかけに「うん」と答える。
 莉子と千奈津もすぐ後ろで笑っていて、すぐに鞄を手に取って駆け寄った。
 春に買ったおそろいのくまのストラップが、小さく跳ねるように揺れていた。

「ファミレス、久しぶりだね」
「夏休み中は宿題片付けるのに使ってたけど、今日は純粋に楽しもう!」
「だね! 何食べようかなー」

 そんな会話をしながら昇降口へ向かうと、ちょうど靴を履き替えていた蒼真と(りょう)にはちあった。

「お、帰るの?」
「うん、これからファミレス行くんだ」
「へえ、いいな」

 蒼真は特に考えるふうでもなく、自然な笑顔で返してくれた。
 なんとなく、胸の奥がくすぐったくなる。

 ──夏休みの前なら、こんなふうに会話できていたかな。

 気づかないうちに、やっぱり何かが変わっている気がした。

「じゃあね、遼。また明日」
「おう、また連絡するわ」

 瑛美梨が手を軽く振ると、遼は口の端を上げながら(うなず)いた。
 特別な言葉は交わしていないのに、二人の間には柔らかい空気が流れている。
 視線が合うたび、瑛美梨は嬉しそうに微笑み、遼もそれに応えるように笑った。

 ──なんだか、いい雰囲気。

 夏休み前とは明らかに違う二人の距離感。
 莉子と千奈津も気づいたのか、ちらりと視線を交わしていた。

 ◆

 ファミレスに着き、それぞれがドリンクバーのグラスを手にボックス席へ戻る。
 注文したデザートが届くまでの間。

「ねえ、瑛美梨。遼くんとなんかあったでしょ?」

 千奈津がぐいっと身を乗り出し、目の前に座っている瑛美梨にストレートに問いただした。

「あ、私もそれ思った。結衣も思わなかった?」

 千奈津の横にいる莉子もすぐに(うなず)いて、同意を求めるように私の方をまっすぐに向いた。

「うん、なんかいい感じだなって思った」

 周りに合わせているわけではなく、正直な感想だった。   
 先ほどの二人を思い出しながら隣に座る瑛美梨に言うと、彼女は「えへへ」と照れくさそうに笑った。

「そうなんです……私、遼と付き合うことになりました」

 色白の頬を赤らめたその姿が、いつも以上に可愛く見えた。

「やっぱり! いつから!?」

 千奈津がテーブルをバンッと叩くと、周囲のお客さんや店員がちらっとこちらに視線を向けた。
 そんなことはお構いなしに、彼女は身を乗り出して瑛美梨の返答を待っている。

「……昨日。夏休み最後の日に会ってたんだけど、その時に告られた」

 その瞬間、「きゃー!」と小さく歓声が上がる。
 瑛美梨は恥ずかしそうに笑いながら、ストローをくるくるといじっていた。

「で、なんて言われたの?」

 莉子が興味津々で前のめりになると、瑛美梨はますます照れたように頬を赤くする。

「それは……内緒!」

 もったいぶるように言った瑛美梨に、「えー!」と全員からブーイングが起きる。
 それでも瑛美梨は、にっこりと嬉しそうに「秘密!」と返した。
 その表情が一段と輝いて見えた。

 ──お似合いの二人だなあ。

 恋する女の子って、こんなにも可愛くなるんだ。
 幸せそうに微笑む瑛美梨を見て、私も自分のことのように嬉しくなった。