あたりもすっかり暗くなり、人混みはピークに達していた。
 足の踏み場がないほど敷き詰められたレジャーシート。
 その上では、家族連れや浴衣姿のカップルが思い思いにくつろぎ、花火の開始を待っていた。

 さっきまで青みを帯びていた空はすっかり群青色に染っていて、遠くの空には小さな星が瞬いている。
 もうすぐ十九時。
 あと十分もしないうちに、たくさんの花火が夜空を彩りはじめる。

「もうすぐだね!」
「た〜まや〜って叫ぶか!」
「目立つからやめてよ!」
 
 あははと笑い合い、会話が一段と弾む。
 私たちの気分も高揚していた。

 そして、会場に装飾された電気がふっと消える。
 周囲から期待に満ちたざわめきが広がり、屋台の灯りが暗闇に映えたとき。

 一筋の光が夜空を駆け上がった。

 数秒ほどで視界いっぱいに大輪の花が咲き、ドンッという重低音が響き渡る。
 歓声があがり、子供たちのはしゃぐ声が花火の音と交じっていく。
 夏の夜に、鮮やかな光の華が咲き乱れた。

「……綺麗」

 あまりの迫力に、思ったことがそのまま口をついて出た。
 大きく咲いた花が、夜空を照らしては消えていく。
「花は実を結ぶために散る」と聞いたことがあるが、花火の場合は、その美しさを放つために散るのかもしれない。
 一瞬で消えてしまうからこそ、観る者の心に深く刻まれる。
 儚いからこその美しさ。
 それはある種の、魔法のようなものだと思った。

「ね、綺麗だよね」

 隣を見ると、蒼真(そうま)がにこりと笑っていた。
 打ち上がる花火の光が、彼の顔に陰影を落とす。
 光と影が揺れるたびに、明るくて、優しくて、それでいて儚く見えた。

 ◆

 花火の余韻が残る中、祭りの終わりを告げるアナウンスが流れ、人々が一斉に帰路につきはじめる。
 私たちも片付けをして、人並みに沿って駅へと向かっていた。

「いやー! すごかった!」
「本当すごかったね! 大迫力だった!」
「私も、初めてあんなに近くで見たけど、音の聞こえ方も全然違うんだね」
「それな。身体の奥にまで響くあの衝撃音……感動ものだわ!」
「俺は、(りょう)の声のほうがデカかったと思うけど」

 和気藹々と会話を交わしながら歩いていたが、駅が近づくにつれて、どんどん人混みが密集してきた。
 隣の人とぶつかりそうになったり、足元が見えづらかったりする。
 ただでさえ着慣れていない浴衣を着ていたので、身動きが取りづらかった。
 
「人多すぎてやばいね……」
「終わるとみんな一気に帰るからなぁ。こればっかは仕方ないか」

 元気だった瑛美梨と遼も、げんなりした様子で顔を見合わせる。
 狭い道に人が押し寄せ、前にも後ろにも自由に動けない。
 みんなとはぐれないようにするだけなのに、神経がすり減りそうだった。

「結衣、はぐれないように俺のバッグ掴んでて」

 ふと隣を歩く蒼真が、肩に掛けたボディバッグを指差した。

「え、引っ張ると悪しい、近くにいるようにするから大丈夫だよ」

 反射的にそう言ってしまった。
 別に意地を張りたいわけじゃない。誰かに頼ることに慣れていないだけ。
 迷惑をかけたくないし、気を使わせるのも嫌だ。
 自分のことは自分でなんとかするべきだって思ってしまう。
 なにより、蒼真のバッグを掴むなんて、少し気恥ずかしい。
 
「遠慮すんなって」

 蒼真は軽く笑って、気にする素振りもなく言った。
 
 ──そんなふうに言われたら……。

 断る理由が見つからない。
 いや、多分違う。
 本当は、断りたくなんてなかった。
 誰かに手を引かれるような安心感に、わずかに心が揺れた。
 
「……じゃあ、ごめんね」

 小さな声で言いながら、そっとバッグのストラップに指をかける。

「もっとちゃんと掴んでいいから」

 蒼真の声は花火大会のときの明るいものとは違い、穏やかだった。
 
「うん、ありがとう」

 私はほんの少しだけ力を込めて、ストラップを握る。
 手を繋いでいるわけじゃないのに、指先からじんわりと熱が伝わってくる気がする。
 人混みのざわめきの中、蒼真の背中がすぐそこにあった。

 ◆

 私たちは、つり革に掴まりながら四人で固まって立っていた。
 
 ぎゅうぎゅうだった電車の中も、最寄り駅が近づくにつれ少しずつスペースが開き始める。
 座れるほどではないけれど、押し合うことなく立っていられる程度には乗客が減っていった。
 
「本当、楽しかったなあ」

 次に止まる駅が、私と蒼真の最寄り駅。
 私は窓の外を高速で流れていく家や建物の明かりを眺めながら呟く。
 さっきまで光と音と熱気に包まれていたのに、今はただ無機質の街灯が通り過ぎるのを見ているだけ。
 ほんの数時間前の出来事が、やけに遠く感じた。
 
「だな。超楽しかった」
「また来年も、四人で花火大会行きたいなあ」
「俺も来年は甚平とか着てみような〜」

 三人とも私の呟きに賛同してくれた。
 でも、どこか覇気がない。

 電車の中だから騒がないようにしている──というよりは、たぶん、疲れと名残惜しさが入り混じっているせいだろう。
 誰も無理に会話を広げようとはせず、余韻に浸るようにぽつぽつと言葉を交わす。
 けれど、それが気まずい沈黙になることはなく、みんな今日一日を静かに振り返っているようだった。
 
「甚平はいいけどさ。もう遼には絶対、屋台で買い物させないからね」
「ごめんって。さすがに多すぎたって反省してる」

 遼が空いている片手を顔の前で立てて、苦笑する。
 瑛美梨が呆れたようにため息をついたあと、つられてみんなが小さく笑った。

 車内でひっそりと会話を交わす私たちは、線香花火みたいだと思った。
 見守るように眺める線香花火。
 ぱちぱちと小さく広がって、そしてぽとりと火玉が落ちる。
 今この瞬間が、すぐに思い出に変わっていく。
 そんな感じがした。