「あー、交際宣言とかしてごめん。なんつーか成りゆきで」
「ううん……」

 わたしは照れつつ首を振った。むしろよかったと思う。自分じゃ絶対に言い出せないもん。お付き合いを隠すつもりはないけど、結果的に隠してるみたいになりそう。


 わたしたちが向かったのは、やや静かな特別教室棟だ。外は雨が降ったりやんだりして濡れている。
 声を失くしてすぐ、泣いてしまったわたしを須田くんが助けてくれた場所は特別教室棟のスロープだった。でも今日は階段で最上階まで行く。屋上の手前なら誰も来ないだろうし。

 ……と思ったのたけど、先客がいた。

「(さ)き、ちゃ」

 階段にひとり座ってお昼ごはんにしていたのは咲季ちゃんだった。
 名前を呼んだわたしと視線が合い、動きをとめる。かじりかけの購買のパンからポロ、と屑が落ちた。

「なによ……」

 わたしと須田くんをにらみ、咲季ちゃんはノロノロ手をおろす。大きく息をし、憎々しげに吐き出された。

「二人でこんなとこ来るなんて、やっぱりつき合ってるじゃない。嘘つき」
「あ、それクラスでも言ってきたんだけど、俺らつき合うことにした。昨日の午後からな。綾野があおったからだぞ。こっちの都合だってあるのに、おまえ無神経にさあ」

 須田くんが言い返すと咲季ちゃんは怪訝な顔をする。

「は……? あの後そうなったってこと?」

 こくこく。
 最近のクセでうなずくだけしたら、嫌な目で見られた。

「陽菜、いちおうしゃべれるって聞いたよ。ハッキリしないのやめて」
「のど使わなくて答えられるならそれでもいいだろ。また潰させたいのか」

 須田くんの反論はちょっと嘘だ。今しゃべりすぎるとのどを痛めそうな気はするけど、元々の症状は心が原因。


 ああでも、わたしってずるいんだろうな。すぐ逃げる。泣いてすまそうとする。そう咲季ちゃんに思われてもしかたない。

 自主的に動くこともできず、咲季ちゃんにくっついてばかりだった。
 そりゃ先頭に立って番組を引っぱる「歌のおねえさん」になんかなれっこないよ。そのくせハッキリそう言われたらショックを受けて話せなくなるなんて。
 合唱部に音さたナシで、須田くんとの曲作りに夢中だったのも本当だ。


「さき、ちゃん。わ(たし)」

 言いかけて、口を開け閉めした。考える。
 咲季ちゃんにブスッとうながされた。

「……なに」
「咲季ちゃ(んみた)いには、(がんば)れなくて。ごめん」

 声は、ところどころかすれる。
 自分の思いを伝えるのは怖いから。

「さ(きちゃ)んの後ろ(に、かく)れてたよね」
「……そんなのべつに。それが陽菜だもん」
「こ(れから)は、がんばる」

 お腹に力を入れて言い切った。すると咲季ちゃんは鼻にしわを寄せる。

「どういうこと。私と部活なんかやれないって?」
「え……じゃな(くて)」
「私が小学校のクラブぶち壊したの聞いたんでしょ? もういいわよ。私さ、陽菜が何も言わない子だから仲良くしてたの。わかる?」

 ……わからない。
 きょとんとするわたしの代わりに須田くんが後ろから口を出した。

「都合のいい手下がいればよかったって?」
「手下って動くでしょ。動かなくていいの。私のやり方に賛成してくれれば。陽菜はなーんにも言わないでウンウン、てするだけだもんね」
「ヒナはそんなんじゃねえよ」
そんなん(・・・・)よ! ずっとそうだった」
「おまえ!」
「やめ(て)」

 前に出ようとする須田くんをとめる。
 ダメだよ。今度は須田くんの後ろに隠れるだけになっちゃう。わたし自身が咲季ちゃんと話さなきゃ。

「(言う)とおりだから」

 本当にそう。
 わたしは咲季ちゃんに守られていた。

「わた(し自分で)考えられ(るよう)になりたい。いろいろ(できな)いの本当なのに、すぐ傷つい(て、ご)めん。だから咲季ちゃ(ん嫌な)ら、わたし合唱部、やめ」
「なんで私に決めさせるのよ!」

 ……あ。
 咲季ちゃんが叫んで、ハッとした。
 そうだよね、わたしのことなのに咲季ちゃん次第にするなんて無責任にもほどがある。

「陽菜はそんななのに私のこと責めるの? ねえ須田くん、これでも私が悪いの? いいかげんにしてくれない?」
「ごめ、ごめん」
「そりゃ私だって悪かったわよ。ひどいこと言ったと思うわよ。だからもう陽菜は自分でちゃんとしてね、私は面倒みないから!」

 咲季ちゃんは食べかけのパンを袋に戻して立ち上がると階段を下り、すれ違う。そしてボソッと言った。

「陽菜がいい子なのぐらい知ってる。でも私、弱音吐いてすぐ他人任せにするのとか無理」

 捨てゼリフを残し、咲季ちゃんはどこかに行ってしまった。教室に戻るのかもしれない。わたしがここにいるなら逃げ回る必要はないもんね。

「……なんだよ、あれ」

 はああ、と須田くんが大きなため息をついた。トントンと数段上に座り込む。ちょっと怒ってる顔だ。

「ううん……わたしがもう、咲季ちゃんの言いなりにならないって認めてくれたんだよね?」
「ポジティブシンキーン」

 あきれ笑いをした須田くんは、何かに気づいたように目を見開いた。

「ヒナ、今めっちゃしゃべれてた」
「……ほんとだ」

 咲季ちゃんと話している時はかすれがちだった私の声。
 張りつめた気持ちがゆるんだとたん、スルスル話せている。なんて正直なの。

「……ヒナ頑張ったな」
「そう、かな」

 本当はひとりで話そうと思ってた。思いがけずに須田くんも居合わせてしまったし、すこし口ぞえしてくれたけど。
 あれでもわたしなりに頑張ったと言っていいのだろうか。思い返すと、ろくにしゃべれなかった気がする。考えていたらもう一度言われた。

「だいじょうぶ、めっちゃ頑張ってたって」

 うなずいたわたしは須田くんの隣に行って座った。お弁当を食べなくちゃ。するといきなり肩をグイッとされる。
 ポテン。
 うわ。うわわわわ!


 真っ赤になってるわたしを片手で胸に抱え、頭をグリグリとなでる須田くんは力強くささやいてくれた。

「だいじょうぶ、ヒナはちょっとずつ羽ばたいてる」



 須田くんに寄りかかりながら、わたしはふるえた。

 羽ばたいて――――。

 わたしはまだ、巣の中のヒナ鳥だ。
 だけどその翼にも、羽は生えてきているだろうか。
 いつかわたしは空へ飛べるだろうか。
 須田くんの音楽を連れて、世界をうたえるだろうか。

 いや、うたいたい。
 うたうんだ。

 そう誓った。