次の朝、わたしはちょっと寝坊した。前夜が寝不足だったこととか「ヒナ」呼びされた興奮とか、いろいろのせい。それでゆっくりめに教室に入ったら、まだ須田くんも来ていなかった。
 だけどわたしを見るなり、咲季ちゃんが冷たい目をした。

「なんだ来るの? 昨日は途中で帰ったくせに」

 びっくりして立ちすくむ。
 咲季ちゃんの机の周りには、四月にわたしも混ざってお弁当を食べていた人たちがいた。咲季ちゃん含め、四人。その中で幸田さんはため息まじりだった。

「だから体調悪けりゃ帰るし、ちゃんと寝て治れば来るのよ。それだけでしょ」
「私ちょっと注意しただけなんだよ? なのに当てつけるみたいに貧血起こすとか、おかしくない?」
「ほんとに顔色白かったって言ったじゃないの」

 扉のところで突っ立っているわたしと、不機嫌な咲季ちゃん。教室のあちこちから様子をうかがう視線が飛んできた。


 咲季ちゃんは何を言ってるんだろう。
 昨日のこと? 合唱部への連絡をしていないのは本当だから、身ぶりで謝ったよね。
 でも須田くんを彼氏だと思われてるのは誤解だ。そうなったら嬉しいけど。

 それに「感じ悪い」と言われたのがショックで具合が悪くなったのは仕方ないことだ。午後の授業で教室に戻らなかったのは咲季ちゃんへの当てつけなんかじゃない。わたしの心が弱いせいだけど、抗不安薬が効くということは逆に、実際に症状が出ていた証明でもあるし。

 だいたいわたし、昨日は早退してないよ。保健相談室にいても全日出席扱いになっているはず。勝手に帰ったことにされてしまいモヤモヤした。


 一瞬で、咲季ちゃんに対してたくさんのことを考えた。
 でもわたしはしゃべれない。頭の中で反論しても咲季ちゃんには伝わらないんだ。もどかしさでカッと体が熱くなった。

「おはよー。あれヒ……どうした?」

 遅刻ギリギリ、わたしの後ろから教室に駆け込んできたのは須田くんだった。ヒナ、と呼ぶのはみんなの前だから自粛したらしい。
 ただ空気がピリついているのは感じたみたいだ。変なところで立ちどまったままのわたしの視線の先にいるのは咲季ちゃん。昨日の不調の原因は彼女だと、須田くんは知っている。

「あら彼氏登場。いいよね、か弱い女の子はいつも守ってもらえて」

 咲季ちゃんが吐き捨てた言葉にクラスがざわつき、須田くんも表情を変えた。チラリとわたしを見る。戸惑い黙ったままのわたしは――そもそも話せない役立たず。須田くんは、代わりに口を開いた。

「なに言ってんだよ。俺ら、つき合ってねーし」
「うっそ、このごろいつも一緒じゃない」
「それは……!」

 クラスメイトには内緒の音楽作り。須田くんがドラマーなことも、高校ではわたし以外知らない。
 言い返せなくなった須田くんのため、わたしはとっさに黒板に駆け寄った。


 学外の活動なの


 チョークでそう書いた。

「はあ?」

 咲季ちゃんは馬鹿にしたように笑う。
 まあそうだよね、内容がわからなきゃ納得できない。でもこれ以上はどこまでバラしていいか迷った。須田くんと相談しないと。

 頭の上のスピーカーから始業のチャイムが降ってきた。でもわたしたちの成りゆきを見守るクラスメイトは動かない。そのうちに廊下を行き交っていたザワザワが静まり、担任の先生が入ってきてしまった。

「ん? どうした林原、学外がなんだ?」

 読まれてしまい、あわてて字を消す。ペコリとして席につこうとしたら須田くんが立ちふさがった。

「……保健室行かなくて平気か」

 小声で訊かれた。
 そう、だね。咲季ちゃんにひどいこと言われたんだった。
 でもなんだかだいじょうぶ。須田くんが味方してくれたし――ここに須田くんをひとりで残していくのは嫌だ。
 だいじょうぶだと小さくうなずき、わたしは机に向かう。

「……言い訳ばっかして、フツーに仲良しじゃない」

 咲季ちゃんが嫌みっぽくつぶやくのが聞こえた。



 たしかに教室の居心地はよくなかった。須田くんが心配したとおりだ。
 誰も話しかけてこないのは、どうせわたしがしゃべれないとわかっているからだろう。最近はノートに書いて答えるのもせず、表情だけですませることも多いし。

 だって、それって楽だ。
 教室での会話は、スルーしてみるとほとんど意味のないものばかり。
 ろくに興味のないことに感心したり笑ったり、そうしないと一緒にいられない友だちってなんだろうか。



 授業中、あちこちから視線を感じた。休み時間にはヒソヒソと何か言われている気もした。
 咲季ちゃんグループの仲間割れだと思われているのかな。ううん、お情けでくっついていた金魚のフンが切り捨てられた、ぐらいかも。わたしなんてそんな立場。

 でもたいへんなのは須田くんだった。ちゃんと話せるんだからクラスメイトは遠慮してくれない。

「……なんだよ須田、いつからつき合ってんの?」
「隠すことないじゃないかよー」
「林原って去年も同クラだっけ」

 そんなことを言われているのがわたしのところまで聞こえる。須田くんはムスッと「そういうんじゃない」とだけ言い、黙秘していた。


 そういう――彼氏彼女、てこと。
 うん。わたしたちはそんな関係ではない。
 ただの音楽コラボ〈Hina〉と〈Tatu〉。

 でもわたしは須田くんが好きなんだ。
 カレカノになれたらなと、あこがれる。
 
 ――だから黙りこくっている須田くんの横顔に、わたしは勝手に傷ついた。