「よかった、ほんとに元気そうだ」

 待ち合わせた須田くんは、わたしを見るなりへニャ、と笑った。

「午前中ずっと顔色悪かったから。俺、なんかマズいこと言ったかと」

 それでLINEをくれたのか。そんなことないよ、とブンブン首を振る。

「だって朝イチは普通だったろ。なのに教室来たら倒れそうな顔でさ。どうしようかと思ってチラチラ見てた」

 えええ。
 見られてたの? 気づかなかった……あ、須田くんの席が咲季ちゃんに近いからか。そっちを向かないように意識してた。

「俺さ、あの……いや」

 須田くんはモゾモゾし落ち着かない様子だった。水たまりを傘の先でかきまわす。

「ええと林原、何かあった? 昨日わざわざドラムに来させちゃったし。疲れさせて悪かったと思ってるけど」

 ちゃんと答えなきゃと思って、わたしはノートを引っぱり出した。会話用の。
 書いていく文字を須田くんがそっとのぞき込む。

〈部活のこと ちゃんと連らくしなよ、て
 さきちゃんに言われた〉

「綾野に? ……それだけ?」

 拍子抜けしたように言われたけど、どうしよう。「感じ悪い」の発言は教えてはいけないと思った。
 須田くんはまた怒ってくれるだろうけど、咲季ちゃんの印象をあまり悪くするのもよくない。クラスメイトなんだから。

〈わたしダメだなって おちこんだ〉

「そんなことないって言ってるだろ」

 須田くんの笑顔はとてもやさしい。包むようなまなざしって、きっとこういうの。

「ドラムの先生から後でLINE来た。しっかりした子だなって。自信持てよ」

 こくこく。わたしにも来たけど、それは内緒だ。

〈先生すごくいい人〉

「そう、俺が話せる中でいちばん楽しい大人。ニートあがりだけどさ」

 軽口を言える間柄なんだね。そんな大好きな先生に紹介してくれて嬉しかった。
 そうだ山野内先生は、歌詞を考えるヒントにもなったんだ。ごそごそとそっちのノートも取り出す。

「なになに?」

 開いたのは、さっき授業時間中に書きなぐったページだ。そのすみに書き足す。

〈かし 考えてた〉

「おお……」

 須田くんが真面目な顔で横からのぞき込む。

〈やまのうち先生の言ったこと すごく参考になった〉

 ノートにポツポツと散りばめられた言葉は、わたしたちや先生のもの。



空  とうめいな風  光が目を刺す  だれかに届く言葉  青春  才能

 さいごまでやってた人が勝ち  前に  外へ  とびあがる  置いていかれる

くやしさ  望み  ひとりでは何も  あこがれ  できない  友だち

  そがいかん  いっしょにいられない  いたくない  ゆめ  消えてしまう

 いきができない  こどく  せいぎかん  うたいたい  ふたりなら

きみとぼく  会えたから  あらがって  世界に  こばんできたけど

   手放さないで  わたしの居場所  ためらっちゃいけない  どうありたいのか



「……すごい。なんか最近考えてたことの要約みたいだな。まだ単語だけど」

 にらむようにノートを見ながら須田くんは考え込む。
 そのままヒョイと前のページをめくられ、わたしは息だけで悲鳴をあげた。それは夜中に書いていたボツなストーリーです!

「こっちは要素じゃなくて流れか……ん? なに?」

〈これはちょっと しんやテンション〉

 世界が怖くて窓から世界をながめている「小鳥な君」うんぬんだもん。

「ああ、ポエムってこと? いや歌詞なんてさ、それぐらいのノリと覚悟で書かなきゃダメなんじゃないかなあ。参考になる――あと、この〈小鳥〉ってのいいな」

 うん?
 どういうことか首をかしげたら、須田くんはわたしを指差した。

「おまえ、ヒナだから。歌の中でヒナ鳥が小鳥に育って飛び立つとか〈Hina feat.Tatu〉のファースト曲としてピッタリな気がする」

 おおお。大きくうなずく。
 そっか、わたし〈Hina〉だった。漢字で陽菜ってすると鳥な感じないけど、音はそうだよね。ローマ字表記だとそんな意味も乗せられる。

「あれ、でもこのストーリーだとチグハグな感じが……なんでだ?」

 須田くんはわたしの深夜ノートを真剣に読み始めた。とっても居心地が悪い。
 いいかげん耐えがたくなったところで、「あ」と須田くんは納得の声をあげた。

「これ視点が林原に寄ってるんだよ。なのに最初に出る小鳥の側が「君」って表現されてて。「僕」から見た物語で始まるほうがわかりやすいかな」

 ……うわ。
 わたしはノートをまじまじと読み直し、その指摘に赤面した。そうか、二人称の「君」が主人公のわけないじゃない! 特におかしい文章はここだ。〈窓の外からほめてくれた「僕」〉。視点がチグハグって須田くん国語センスあるなあ。

「先生が〈君〉と〈僕〉の物語って言ったから、まんまやってみたんだろ? 〈僕〉がいるなら林原は〈君〉になるだろうし――どうしようこれ、使えそうな気がしてしょうがないんだけど。〈僕〉視点で俺が書き換えてみてもいい?」

 かきかえ?

「こっちのページの言葉とか取り入れて。なんか見えてきた気がするんだ。歌詞ってさ、どこから手をつければいいのか俺にはわからなかったんだけど。このノートで全体像がぼんやりつかめたと思う」

 須田くんはスマホを取り出し、ノートに書かれた文字を写真に撮りはじめた。ノートそのものを借りていくのは悪いから、だそうだ。
 撮り終えた須田くんはなんだか自信ありげな顔でノートを返してくれる。真っすぐにわたしを見る目が興奮に輝いていた。

「すげえ助かった。たぶん俺だけじゃ歌詞なんかできなかったし……さすがヒナ」

 ヒナ。
 名前を呼ばれ、ドキンとする。
 これはアーティスト名としての〈Hina〉のことだとわかっているのに嬉しくて耳が赤くなった。でも髪に隠れているからバレないバレない!

「あのさ……これからヒナって呼んでいい?」

 追い打ちのような提案に、顔まで赤くなってしまった。これはさすがに見えてるでしょ。でもわたしはうなずく。

「おっけ? やった。じゃあ俺のことは……」

 ほれほれ、とうながすみたいに期待の視線を寄越される。
 え、それは……〈タツ〉にしてってことですか?

〈須田くん、でおねがいします〉

「ええー!?」

 ずっこけられたけど、なんかね。わたしの中では須田くんなんだもん。それか、龍仁くん。「たっくん」ではないなと思ってしまうのは、我ながらちょっと心がせまい。

「ま、しょうがないか――なあ今、声、出る?」

 苦笑いした須田くんは、唐突な質問をした。

 声。
 朝、なるべく発声を練習すると宣言したのだから、しゃべらなきゃいけない。でもその後すぐにのどを詰まらせてしまったので声を出すのがこわくなっていた。

「出せそうなら、俺のこと呼んでみて」

 名前を呼んで。そんな注文に、わたしは戸惑う。
 でも大事な人の名前だから――。

「(す)だ(く)ん」

 かすれてはいたけど、なんとか出た。
 呼ばれた本人は照れくさそうに笑う。だからもう一度、わたしはがんばった。

「す、だ、くん」

 一音ずつ。大切に。言えた?

「ちゃんと聞こえた! ありがとうヒナ!」

 跳び上がりそうになって喜んでくれて、わたしはホッとする。それを見つめた須田くんは――。

「ヒナ、俺……! えっと。いや、なんでもない。また明日な!」

 クルリと走っていく須田くんを見送り、わたしは不思議とふわふわした気分だった。