その夜は、なんだか眠れなかった。
 ドラムの音に圧倒されたのもある。でも歌詞の方向性がみえてきて頭がグルグルしてとまらなくなっていた。それに須田くんの過去を教えられたし――アイリちゃんという女の子にも出会った。
 たくさんのことがありすぎて、完全にキャパオーバー。


 ああもうダメだ。
 起き上がって明かりをつけノートを開く。会話ノートをめくりながら、気持ちのポイントになる言葉を歌詞ノートに転写する作業をした。

〈おこってくれて ありがとう〉
〈前に出られなくて〉
〈もういっかい きく〉
〈音 外に出そう〉
〈だいじょうぶ、て思えなきゃだめ〉
〈自信ない〉

 読み返してみると、まだまだわたしたちの会話はすくない。たいしたことが言えていない。もっと須田くんと話したいよ。
 須田くんとのLINEも、もう一度見てみる。


[がんばらなきゃダメな自分、ていうのも
 情けなくなるよな
 俺もたまに、まあまあヘコむ]

[だいじなのは
 林原自身がどうなりたいかだと思う]

[歌う人になれればいいって言ってたのは
 まだ有効?]

[俺、林原はそうなれると思う
 声が戻ったら俺の曲、歌ってよ]

[自信持ってくれ
 俺が林原を
 歌う人にするから]


 そして、わたしの返信。

[ありがとう]
[わたし]
[うたいたい]



 心が、風に吹かれたみたいにざわめく。
 外は雨なのに、深く青い空を見上げた気がした。

 ――わたしはどうなりたい。どうしたい。

 ううん、もう答えは出ている。
 
「う(たい)、(た)い」

 つぶやいたら、すこし声になった気がした。




 眠れないまま歌の流れを考えてみた。

 世界が怖くて窓の中からながめているだけの「君」。
 ながめるのは「空」だ。じゃあ「君」は「小鳥」。力のない、弱い鳥。
 「君」は失敗が怖い。窓を開け、空へ飛ぶことができない。小さな部屋でさえずるだけ。

 そのさえずりを聴いたのが「僕」。
 窓の外からほめてくれた「僕」に勇気をもらい、「君」は外に出る。小さくはばたき、さえずってみる。
 だけど強く大きな鳥たちから笑われて、さえずることをあきらめるんだ。

 飛ぶこともさえずることもできない「君」。そして寄りそう「僕」にも実はおそれていることがある。
 「僕」のことを理解した「君」は――。



 ――ここから、どうすればいいだろう。
 この歌がわたしと須田くんの物語だとしたら。まだこの続きは決まっていないんだ。

「(はな)そう。須(田)くん(と)」

 しゃべってみた言葉はカサカサして聞き取りにくい。
 だけどわたしは、わたしの声をあきらめないことにした。ちょっとずつ発声練習を続けていこう。





 次の日、やや寝不足で登校したら、なぜか昇降口近くの廊下でウロウロする須田くんを見つけた。わたしに気づいてサッと顔色がかわる。

「はやしば――」

 遠くから声をかけようとしてあわてて口をつぐむのは周りを気にしてだろう。立ちどまったわたしのところに、さりげなく寄ってくる。目をそらし気味にしながらボソりと言われた。

「あのさ、愛梨は小学校中学校も同じだったんだけど、ただの後輩だからな。前から一緒に組もうって誘われてて、でも俺はそんな気ないから」

 あ。
 アイリちゃんのことを教えようとしてくれてたのか。わたしが逃げるみたいに帰ったから気にしたのかな。悪いことしちゃった。でも須田くんの彼女のような振る舞いをされたからびっくりしたんだもん。
 そうか、あの子は須田くんをバンドにスカウトしてるんだね。恋人などではないとわかってすごく気持ちが楽になった。

「林原と組んでるってハッキリ言った。あいつ距離感近くて困ってたんだ」

 きまり悪そうに須田くんはブツブツ言う。腕組みの言い訳? 彼女でもなんでもないわたしに、そんなのいいのに。
 でもそうか、わたしが陰キャっぽいからかも。一緒に音楽をやろうとしてる相手にドン引きされるのはよくないと気をつかってくれたんだろう。
 わたしは小さく笑ってうなずいた。何も気にしてないよ、と。そして思いつき声にしてみる。

「いい、よ」
「え、しゃべれんの」

 ハッとした須田くんが目をまんまるにした。そんなに反応されると恥ずかしい。

「ちょっ(とずつ)、(がんば)る」

 聞き取れたか心配だったけど、須田くんは嬉しそうな笑顔になった。

「すげえ。でも無理すんなよ」
「(きょう)しつ、では。(しゃべら)ない」
「ん。いきなりたくさん話すと普通にのど傷めそうだしな。俺ともノートでかまわないから」

 こくこく。
 喜んでもらえて、さらにやる気が出た。

 須田くんは「じゃな」と先に歩いていった。あまり二人でいると、つき合っているのかとクラスメイトにからかわれそうだから。「そういうの嫌だろ?」と須田くんに申し訳なさそうにされたことがある。
 そこで〈いやじゃない〉なんて答えたら告白みたいなものだ。わたしはあいまいに首をかしげるしかできなかった。


 音楽活動のことは学校では秘密だった。
 わたしの声が戻って曲が完成したとしても内緒にすると決めている。動画の再生数に同級生の興味本位アクセスが混ざるのを避けたいからだ。
 初投稿の再生数なんて一桁、よくて二桁になるはず。そんな結果を突きつけられても受けとめなくちゃいけない。そう言われていた。
 須田くんは、それだけ本気なんだよね。
 わたしだって――その想いに応えられる歌い手になりたい。
 そのためには、とりあえず声を戻すこと。それと、歌詞をもっと形にすること。
 すこしずつでしかないけれど進まなくちゃ。

 ところが教室に向かおうとしたら後ろから呼びとめられる。

「陽菜、おはよ」

 咲季ちゃんだった。
 振り向いたわたしは笑顔だけであいさつを返した。咲季ちゃんは並んで歩き出す。
 最近はわたしが昼休みに教室を抜け出しているのもあって、あまり一緒にいる時間もなくなっていた。避けるみたいなことをして申し訳ない。気を悪くされたかもしれないと思いついた。

「まだしゃべれないの」

 つまらなそうに咲季ちゃんは訊いてきた。かすれ声しか出ないのは本当なので、うなずく。

「ふうん……じゃあNコンの頭数には、もういれないからね。ずっと休部だし。どんな状態かぐらい連絡しなよ」

 ブスッと文句を言われ、わたしは息をのんだ。そうだよね、わたし曲作りのことばかり考えて、そっちをほったらかしてた。
 両手を合わせ、ゴメンとおがむ。廊下じゃノートを出して書けないから。咲季ちゃんは肩をすくめてフンと鼻を鳴らした。

「まあ体調がよくないのはわかってるけどさ……このごろ須田くんと仲いいじゃない。なんかコソコソ会ってるでしょ、図書室とかで。彼氏作るヒマあるのに部活には音さたナシとか、そういうの感じ悪いよ」

 吐き捨てて、咲季ちゃんは小走りに行ってしまった。

 ――感じ悪い。

 須田くんのことを誤解されたより何より、その言葉が胸に刺さってわたしは立ちつくした。そんなふうに思われてたんだ。

 咲季ちゃんにはお世話になった。合唱部に入部したばかりの時から。いつもたくさん話しかけてくれて嬉しかった。
 グイグイ人を引っぱっていける咲季ちゃんにしてみたら、わたしなんかぼんやりしていてイラつくだろうと思ったこともある。でも非難を言葉で明確にぶつけられると――。

「ケホ、ゴホッ」

 のどが苦しくなって咳が出た。久しぶりだ。
 さっきは須田くんと話せたのに、口を開くのも無理になる。きっとパクパクするだけで、音なんかすこしも出なくなっているはずだ。胸がしめつけられた。



 ごめん須田くん。
 わたしやっぱり、歌えないかもしれない。