何回もリピートさせられて、すこし音量も上げさせられて、そのうちスマホの充電がヤバいから勘弁してと言った須田くんといっしょにわたしは逃げ出した。すごく楽しかった。

「あー、えらいことになった」

 歩きながら須田くんは笑っている。公園から見えないところまできて立ちどまり、わたしはノートを開いた。

〈ごめんね ムリ言って〉

「なんで? 俺の曲、うっかり一般にも初披露したけど好評だったみたいだし、いいよ」

〈わたしも たのしかった〉

「ならよかった。なんかすこし……笑い声、出てなかった?」

 え。
 そんなこと、ある? わたしは自信がなくて首をかしげる。

〈かすれごえなら今でも出るから それかな〉

「へえ。なんだ、声まったく出なくなったのかと思ってた。じゃあちゃんと治るんだな」

 すごくホッとされたけど、わたしはくちびるをかんだ。

〈じかん かかるかも〉

「……怪我なのか? 病気? あ、言いたくなきゃいいんだけど」

 遠慮がちに訊かれて考えてしまった。

 須田くんは、自分の抱えていたことをこんなに教えてくれた。
 やりたいこと。作った曲。わたしに期待していた歌。
 そして今日、わたしが楽しんでいるのを、喜んでくれた。

 そんな人に、わたしだけが事情を秘密にしているのはフェアじゃない気がする。
 ゆっくりと、わたしは書いた。

〈心因性 失声症〉

 その文字を、須田くんはじっと見つめていた。意味をかみくだくように。

「――それって、ストレス?」

 おそるおそる言われて、うなずく。

「何か嫌なことがあって、声が出なくなったってことか……」

 ぼうぜんとつぶやく須田くんは道路に視線を落とした。

「……俺にそんな事情、話していいのかよ」

 申し訳なさそうにされる。
 違うよ、須田くんだから知ってもらいたいんだと思う。

〈わたしダメなところたくさんある
 考えこんじゃって 声はそのせい
 須田くんは わたしをほめてくれたから言う〉

「そんなの、めっちゃほめるし。だっておまえ歌もすごいけど、そんな状態で学校来てるの尊敬しかねえよ」

 そう言って須田くんは、泣きそうな顔で笑った。
 尊敬。意外な言葉が出てきてわたしはきょとんとなった。でも須田くんはうんうん、と勝手に納得している。

「前に歌ってたろ、行進曲。あの歌みたいだな」

 ――それは、須田くんがコケてしまった曲のことだろう。教育番組の応援ソング。


  こまったことがあったら
  足ぶみしてみよう
  すすんでいない気がしても きみはもう
  空にとびあがれるって知ってる?
  きみの足の中にはね
  ロケットがついているんだよ


 あれはわたしが小さいころいつも歌っていたもの。泣き虫のわたしが次の日がんばるためには欠かせない歌だった。

〈ブースター点火、3、2、1!〉

「それ。すげーなつかしい――林原は今、キツくても逃げてないじゃないか。その場で足踏みしてロケット燃料を充填中ってこと。そのうち治るよ、きっと」

 え、わたし逃げてないの?
 そう言われてびっくりした。声が出なくなること、病気になることそのものが弱さだと思ってた。
 須田くんは心配そうな目でわたしを見た。

「なんかあったのって、学校だろ? 家のことは知らないけど……」

 わたしは首をかしげ考える。

 苦しいのは学校? 家?
 ――それともわたし自身?

「……なのに学校には来てるんだから、すごいなって話。クラスのやつらのことなら俺もすこしは協力するからさ。解決したら声も戻るんだよな?」

〈もどる と思う〉

「よし! って俺が歌を聴きたいだけなんだけど。だから俺にできることあったら遠慮なく言ってくれ。つーか書いて教えてくれ」

 はげまそうとするのか笑顔になった須田くんだけど、わたしは考えこんでしまった。

〈でも〉

 手を止めたわたしのことを須田くんはニコニコ待ってくれる。

〈わたしの 心のことだから
 わたしがだいじょうぶって思えなきゃ
 だめなんだよ〉

「……そうだろうけど。ええと、なんだ? いじめられたりしてる? それか勉強できないとか? 成績悪い印象ないけど」

 一生懸命考えてくれる須田くんを、わたしは手でとめた。そして書く。

〈自信ない じぶんに〉

 書いてから、顔が上げられなくなった。


 そう、けっきょくはこれなんだ。すべてはわたし次第。
 たとえば咲季ちゃんに何を言われたって、クラスでちょっと浮いた存在になったって、部活で後輩になめられたって。
 わたしはわたし。気にしなければいい。

 でも、わたしは人の目が怖い。


「自信……」

 うーん、と困った顔で、須田くんはわたしのことを見おろした。

「えーどこがダメ? 林原は普通に勉強も部活もしてて歌がうまくて、かわいいのに……あ、うわ、ごめん今のナシ!!」

 須田くんはバッと後ろを向いてしまった。わたしもピキンと真っすぐに立ちつくす。

 かわいい。
 ……って言った!?

「……ええと、ええとさ。とにかく林原は自信持っていいと思う! じゅうぶんすごいから! 俺、バスで帰るんで。じゃな!」

 まくしたてると、須田くんは大通りの方に走っていく。でもその途中、振り返ると大きな声を出した。

「LINE! してもいいか!」

 わたしは硬直したままギクシャクうなずいた。須田くんは小さく片手でガッツポーズすると、今度は歩いて去った。
 赤面したまま動けなくなっていたわたしはノロノロ歩き出す。帰ろう。なんだか怒涛の時間をすごして疲れた。
 保健室登校して。須田くんと待ち合わせして。子どもたちと踊って。それから――。


 ――自信を持て。
 うん、わたしもそう思う。そうなりたい。
 いちおうね、自分がまったくぜんぜん駄目な人間だ、とまでは考えていないし容姿だって……。

「ケホッ、ケホン」

 かわいいと言われたのを思い出して咳が出た。本気にしちゃダメ。
 あれはそう、一般的な基準でひどくない、ぐらいのことだよ。うん、きっとそう。
 ええっとね、自分ではちょっと身長が低いのがコンプレックスかな。顔は……すごく普通じゃないかと。

 なんだか言い訳めいたことを考えながら歩いていたら、カバンの中でスマホが鳴る。ビクンとした。須田くんさっき、LINEと言ってたよね。
 クラスLINEに入っているからお互いを登録はしている。なのにわたしが須田くんに手紙を書いたのは、公共のツールとして手に入れたIDを私的に使うのは失礼だと思ったからだ。下書きしたらすごく長文になって自分でも引いたし。あれをLINEするのはね。
 ドキドキしながら取り出すと、やっぱり須田くんだった。

[今日、話せてよかった!]

 ありがとう、のスタンプ。

 既読にしてしまったので、わたしもあわてて笑顔のスタンプを返した。
 動きが早いな、須田くん。まだバスの中でしょうに。


 須田くんはわたしのことをすごいと言ってくれたけど、知れば知るほど須田くんのほうがすごいと思えてくる。行動力があるし、やさしいし。

 わたしのために怒ってくれて、教室を出たのを追いかけてくれて、保健室に連れていってくれた。
 わたしの歌を好きだと言ってくれて、歌えと勧めてくれて、声を取り戻すためにできることがあれば協力すると申し出てくれるんだ。

 それは、わたしの声を聴いたおかげでいい曲ができたから、なんて理由だけど。そんなの須田くんの実力だと思う。
 今日、公園で聴いた曲。とてもすてきだった。あれをもし、わたしが歌えるなら。


 うたいたい。
 そう、感じた。


 泣きそうになった。
 ああもう、高校二年にもなって泣き虫! でも胸が詰まってしまい、くちびるをかんで我慢する。
 でも、このあいだは感じていたんだよ、歌おうとしたら苦しくなるって。なのに。


 ――わたしはまだ歌が好き。
 そう思えることが嬉しかった。