「大丈夫かな」
約束の日曜日、洗面所の鏡とにらめっこをする。本当は姿見があればいいんだけれど、僕の家にそんなおしゃれなものは無い。お小遣い貯めて買おうかな。
「友だちの家だっけ?」
「そう」
前髪を気にする僕の後ろでお母さんが声をかけてきた。
「壮介君?」
「違うよ」
「遠いの?」
「ここから電車で三十分くらい」
お母さんの質問はここで終わった。僕は胸を撫で下ろした。
約束の一時間前に家を出る。最寄り駅で電車が遅延していないことを確認し、電車に乗った。高校の駅を越えて一駅、乗り換えてまた一駅、朝川さんの家がある駅に着いた。
あと三十分ある。あまり早く着いても失礼なので、駅のトイレで髪型チェックをしてからゆっくり歩き始めた。
「茶色の六階建てマンション、あれか」
マンション名はサンディルム川田、うん合ってる。階段を上って三階へ。九時五十四分、約束の六分前か。これくらいなら大丈夫だろう。
インターフォンを押した瞬間、僕の心臓が跳ねた。そういえば、女の子の家に遊びに行くのは小学生以来かもしれない。そう思っているとインターフォンから声がした。
「頼田君、今開けるね」
小さくパタパタと足音が聞こえ、ガチャンと鍵が開いた。
「おはよ、迷わなかった?」
「おはよう。うん、平気」
なんかむずむずする。そもそも男友だちでも家に行くことは少なかったから。
「入って」
「あの、これ。ちょっとだけど」
近所のスーパーで買った菓子折りを渡す。朝川さんがくしゃっと笑った。
「美味しそうだね、ありがとう。気を遣わなくていいのに」
「いや、まあいちおう初めてお邪魔させてもらうし」
「じゃあ、次からは無しで。ね?」
「うん」
次からはだって。今日で最後じゃないんだ。また僕の心がざわついた。
「いらっしゃい」
廊下を歩いていたら、リビングのドアが開いて朝川さんのお母さんが出てきた。慌てて背筋を伸ばす。
「お邪魔します。頼田です」
「ゆっくりしていってね」
「はい、有難う御座います」
深くお辞儀をしてまた歩き始めた。
びっくりした。ここは朝川さんの家なんだから家族がいるのは当然なのに、必要以上にびくついてしまった。隣でくすくす笑う声がする。僕は口元を軽く歪ませた。
「ごめんごめん」
「いいけど」
こうして話すようになって分かったことがある。
朝川さんはよく笑う。人と話すことも嫌いではなさそうだ。なのに、なんで学校では無口なんだろう。気になるけど、まだ立ち入ったことを聞いていい距離にはいないから我慢だ。
二階には三部屋あり、一番奥の部屋に入る。その手前がお兄さんの部屋らしい。お兄さんいるんだ。僕は一人っ子だからちょっと羨ましい。
「わ」
中を見て思わず声が出てしまった。気まずげに朝川さんを見ると、何故か鼻の下を伸ばして口を開けて変顔をしていた。吹き出した。
「いや、なんッえッ」
「あはは、自分の部屋見られてなんか恥ずかしかっただけ」
「なるほど」
それは照れ隠しの変顔か。面白い、朝川さん。
「綺麗に片付いててえらいね。僕の部屋、学校のプリントとかその辺に落ちてる」
「私も普段は落ちてる。いちおう掃除したの」
「えらい」
朝川さんの部屋はカーテンのレールにハンガーが二つ掛かっていて、そこにロリータ服が飾られていた。ベッドはシンプルだけど、その上にはふわもこのぬいぐるみがあったり、ピンク色の本棚があったり。可愛いが詰まっている部屋だ。
「その辺に座って」
「うん」
言っているうちにドアがノックされた。
「お茶どうぞ」
「有難う御座います」
お母さんがお茶を持ってきてくれた。朝川さんがお盆を受け取り、僕が持ってきた菓子折りを渡す。
「これ、もらったよ」
「あら、ありがとう。今お皿に出して持ってくるね」
「お構いなく」
大急ぎで用意してくれたらしく、僕の手土産を入れたお皿を持ってすぐ戻ってきてくれた。そして笑顔でドアが閉まる。
「もしかして、お母さんに勘違いされちゃった?」
もしも朝川さんにパートナーがいたら、この勘違いは申し訳なさ過ぎる。恐る恐る聞いてみると、あっけらかんと返された。
「どうだろ。どっちでもいいよ。気にしないし」
本当に気にしていないように言う。朝川さんは自由だ。忖度無しで物事を考える力がある。でも、それを全部曝け出して周りを困らせることもない。こんなこと、なかなかできない。
約束の日曜日、洗面所の鏡とにらめっこをする。本当は姿見があればいいんだけれど、僕の家にそんなおしゃれなものは無い。お小遣い貯めて買おうかな。
「友だちの家だっけ?」
「そう」
前髪を気にする僕の後ろでお母さんが声をかけてきた。
「壮介君?」
「違うよ」
「遠いの?」
「ここから電車で三十分くらい」
お母さんの質問はここで終わった。僕は胸を撫で下ろした。
約束の一時間前に家を出る。最寄り駅で電車が遅延していないことを確認し、電車に乗った。高校の駅を越えて一駅、乗り換えてまた一駅、朝川さんの家がある駅に着いた。
あと三十分ある。あまり早く着いても失礼なので、駅のトイレで髪型チェックをしてからゆっくり歩き始めた。
「茶色の六階建てマンション、あれか」
マンション名はサンディルム川田、うん合ってる。階段を上って三階へ。九時五十四分、約束の六分前か。これくらいなら大丈夫だろう。
インターフォンを押した瞬間、僕の心臓が跳ねた。そういえば、女の子の家に遊びに行くのは小学生以来かもしれない。そう思っているとインターフォンから声がした。
「頼田君、今開けるね」
小さくパタパタと足音が聞こえ、ガチャンと鍵が開いた。
「おはよ、迷わなかった?」
「おはよう。うん、平気」
なんかむずむずする。そもそも男友だちでも家に行くことは少なかったから。
「入って」
「あの、これ。ちょっとだけど」
近所のスーパーで買った菓子折りを渡す。朝川さんがくしゃっと笑った。
「美味しそうだね、ありがとう。気を遣わなくていいのに」
「いや、まあいちおう初めてお邪魔させてもらうし」
「じゃあ、次からは無しで。ね?」
「うん」
次からはだって。今日で最後じゃないんだ。また僕の心がざわついた。
「いらっしゃい」
廊下を歩いていたら、リビングのドアが開いて朝川さんのお母さんが出てきた。慌てて背筋を伸ばす。
「お邪魔します。頼田です」
「ゆっくりしていってね」
「はい、有難う御座います」
深くお辞儀をしてまた歩き始めた。
びっくりした。ここは朝川さんの家なんだから家族がいるのは当然なのに、必要以上にびくついてしまった。隣でくすくす笑う声がする。僕は口元を軽く歪ませた。
「ごめんごめん」
「いいけど」
こうして話すようになって分かったことがある。
朝川さんはよく笑う。人と話すことも嫌いではなさそうだ。なのに、なんで学校では無口なんだろう。気になるけど、まだ立ち入ったことを聞いていい距離にはいないから我慢だ。
二階には三部屋あり、一番奥の部屋に入る。その手前がお兄さんの部屋らしい。お兄さんいるんだ。僕は一人っ子だからちょっと羨ましい。
「わ」
中を見て思わず声が出てしまった。気まずげに朝川さんを見ると、何故か鼻の下を伸ばして口を開けて変顔をしていた。吹き出した。
「いや、なんッえッ」
「あはは、自分の部屋見られてなんか恥ずかしかっただけ」
「なるほど」
それは照れ隠しの変顔か。面白い、朝川さん。
「綺麗に片付いててえらいね。僕の部屋、学校のプリントとかその辺に落ちてる」
「私も普段は落ちてる。いちおう掃除したの」
「えらい」
朝川さんの部屋はカーテンのレールにハンガーが二つ掛かっていて、そこにロリータ服が飾られていた。ベッドはシンプルだけど、その上にはふわもこのぬいぐるみがあったり、ピンク色の本棚があったり。可愛いが詰まっている部屋だ。
「その辺に座って」
「うん」
言っているうちにドアがノックされた。
「お茶どうぞ」
「有難う御座います」
お母さんがお茶を持ってきてくれた。朝川さんがお盆を受け取り、僕が持ってきた菓子折りを渡す。
「これ、もらったよ」
「あら、ありがとう。今お皿に出して持ってくるね」
「お構いなく」
大急ぎで用意してくれたらしく、僕の手土産を入れたお皿を持ってすぐ戻ってきてくれた。そして笑顔でドアが閉まる。
「もしかして、お母さんに勘違いされちゃった?」
もしも朝川さんにパートナーがいたら、この勘違いは申し訳なさ過ぎる。恐る恐る聞いてみると、あっけらかんと返された。
「どうだろ。どっちでもいいよ。気にしないし」
本当に気にしていないように言う。朝川さんは自由だ。忖度無しで物事を考える力がある。でも、それを全部曝け出して周りを困らせることもない。こんなこと、なかなかできない。


