退院して一週間。まだヒビが治っていないけれども、着替えの時以外はあまり苦労せず学校生活を送れている。
「おはよ」
階段を上ろうとしたところで後ろから声をかけられた。朝川さんだ。一緒に階段を上る。恋人になっても、朝川さんとは何も変わらず楽しく過ごせている。考えてみれば、二人でしたいことはすでにしていた。恋人という名前が増えただけだ。あまり急がず、二人のペースでずっと歩いていけたらいいな。そんなことを思っていたら、途中で朝川さんが僕の後ろに身を隠した。
見上げると中井先生が下りてきた。なんか、前にもこんなことあったな。
「お早う御座います」
「おはよう」
中井先生がちらりと僕の後ろを見遣ったけれど、何も言わず一階に下りていった。僕たちが二階に着いたところで朝川さんが息を吐く。
「そんなに苦手なんだ」
「あれ、お父さん」
「え、あ、そうなんだ」
もう見えなくなった背中を思い出す。似てるかな、分からなかった。それにしてもよそよそしい気がする。あれ、名字……。
すぐにその答えが返ってきた。
「元、だけどね」
「そっか」
「うん」
情けない僕は気の利いた一言も言えなかった。二人で空き教室の前まで歩いていく。
「ね、つまんない話、ちょっとだけ聞いてくれる?」
「いいよ」
朝川さんは前を向いたまま話し始めた。
「私の顔、お母さんに似てるんだって。高校受かったことをお父さんに電話したら、明らかに声が沈んでたの。あ、私の顔見ると思い出すんだって。私の顔見たくないんだろうなって思っちゃって」
「もしかして、マスクしてる理由って」
「うん」
それで話はおしまいになった。
マスクをしていたのは自分の都合なのだと軽く考えていた。その奥に何があるかなんて、他人だから踏み込まない方がいいと壁を作っていた。
いつも自由で、前向きな朝川さんにもこんな悩みがあったなんて。傍にいたのに全然気が付かなかった。
なんて、勝手に傷付く僕が恥ずかしい。知り合ってまだ何か月も経っていない人間に悩みを早々打ち明けてくれるわけがない。僕が彼女に打ち明け過ぎなだけだ。
でも、もう知っている。
こうして朝川さんは壁だけのそこに窓を作ってくれた。これからは僕も友だちとして、恋人としてできる限り歩み寄りたい。
朝川さんは、この高校にお父さんがいるって知っていて受験したんだと思う。きっと、お母さんに付いていった朝川さんは、本当はお父さんのことを嫌っていない。
「僕の独り言、聞いてくれる?」
「いいよ」
「僕は朝川さんが優しいことを知ってる。家族にすら気を遣う優しい子だって。でも、それでずっと隠さなくても、誰も文句は言わないと思う。もし言う人がいたら僕が盾になる。だから、いつか、その気分になったらでいいから、朝川さんの笑顔を学校でも見たいな」
「ふふ、ありがと」
勝手な僕の希望をつらつら垂れ流してしまった。マスクの下で笑ってくれたから、とりあえずいいか。
教室が見えて、朝川さんが先に入った。一瞬、後ろを振り向いて言う。
「私、頼田君がいて学校が楽しくなったよ」
「僕も」
初めて秘密を打ち明けた親友。二年生になっても、ううん、卒業しても一緒にいられたら素敵だな。
その日の朝川さんはなんだか面白かった。授業中、初めて手を挙げて発言していたし、前の席の人からプリントを渡された時わりと大きい声でお礼を言っていた。前の人びっくりしてた。僕も驚いた。
「朝川さんって、思ったより怖くないかも」
十分休み、そんな声が聞こえてきた。朝川さんは席にいない。うん、怖くないよ。心の中で同意してみる。
その日は熱い中の部活で大汗を掻いて、帰宅したらすぐシャワーを浴びた。これから毎日暑いんだろうな。
部屋でごろごろしていると、朝川さんからメッセージが届いた。
『頼田君ってすごいね』
「え、何が?」
急な言葉に困惑する。僕がすごいことなんて、今日までずっとなかった。朝川さんの方がずっとすごいよ。思ったまま返せば、すぐに朝川さんから返ってきた。
『頼田君に今日言われたこと、本当に嬉しかったの。そしたら、なんで顔を隠して、優しくない、もう離れた人の顔色ずっと窺ってるんだろうって笑えてきちゃった。ありがとう』
ああ、先生のことか。ようやく合点がいった。でも、僕はただ思ったことを伝えただけで、前を向いて考えられるようになったのは朝川さん自身の力だ。僕は朝川さんの真似をして、ほんの、ほんの少し背中を押してみただけ。だから、最初から自分自身の力なんだよ。
『お礼に、明日は私が頼田君に元気あげるね』
そんな言葉で会話が終了した。
朝川さんが元気をくれるらしい。
なんだろう、言い方からして物ではなさそう。
「なんでもいいか。朝川さんがくれるんなら、何だって嬉しいし」
単純な僕は明日を楽しみにして早々寝ることにした。
「おはよ」
階段を上ろうとしたところで後ろから声をかけられた。朝川さんだ。一緒に階段を上る。恋人になっても、朝川さんとは何も変わらず楽しく過ごせている。考えてみれば、二人でしたいことはすでにしていた。恋人という名前が増えただけだ。あまり急がず、二人のペースでずっと歩いていけたらいいな。そんなことを思っていたら、途中で朝川さんが僕の後ろに身を隠した。
見上げると中井先生が下りてきた。なんか、前にもこんなことあったな。
「お早う御座います」
「おはよう」
中井先生がちらりと僕の後ろを見遣ったけれど、何も言わず一階に下りていった。僕たちが二階に着いたところで朝川さんが息を吐く。
「そんなに苦手なんだ」
「あれ、お父さん」
「え、あ、そうなんだ」
もう見えなくなった背中を思い出す。似てるかな、分からなかった。それにしてもよそよそしい気がする。あれ、名字……。
すぐにその答えが返ってきた。
「元、だけどね」
「そっか」
「うん」
情けない僕は気の利いた一言も言えなかった。二人で空き教室の前まで歩いていく。
「ね、つまんない話、ちょっとだけ聞いてくれる?」
「いいよ」
朝川さんは前を向いたまま話し始めた。
「私の顔、お母さんに似てるんだって。高校受かったことをお父さんに電話したら、明らかに声が沈んでたの。あ、私の顔見ると思い出すんだって。私の顔見たくないんだろうなって思っちゃって」
「もしかして、マスクしてる理由って」
「うん」
それで話はおしまいになった。
マスクをしていたのは自分の都合なのだと軽く考えていた。その奥に何があるかなんて、他人だから踏み込まない方がいいと壁を作っていた。
いつも自由で、前向きな朝川さんにもこんな悩みがあったなんて。傍にいたのに全然気が付かなかった。
なんて、勝手に傷付く僕が恥ずかしい。知り合ってまだ何か月も経っていない人間に悩みを早々打ち明けてくれるわけがない。僕が彼女に打ち明け過ぎなだけだ。
でも、もう知っている。
こうして朝川さんは壁だけのそこに窓を作ってくれた。これからは僕も友だちとして、恋人としてできる限り歩み寄りたい。
朝川さんは、この高校にお父さんがいるって知っていて受験したんだと思う。きっと、お母さんに付いていった朝川さんは、本当はお父さんのことを嫌っていない。
「僕の独り言、聞いてくれる?」
「いいよ」
「僕は朝川さんが優しいことを知ってる。家族にすら気を遣う優しい子だって。でも、それでずっと隠さなくても、誰も文句は言わないと思う。もし言う人がいたら僕が盾になる。だから、いつか、その気分になったらでいいから、朝川さんの笑顔を学校でも見たいな」
「ふふ、ありがと」
勝手な僕の希望をつらつら垂れ流してしまった。マスクの下で笑ってくれたから、とりあえずいいか。
教室が見えて、朝川さんが先に入った。一瞬、後ろを振り向いて言う。
「私、頼田君がいて学校が楽しくなったよ」
「僕も」
初めて秘密を打ち明けた親友。二年生になっても、ううん、卒業しても一緒にいられたら素敵だな。
その日の朝川さんはなんだか面白かった。授業中、初めて手を挙げて発言していたし、前の席の人からプリントを渡された時わりと大きい声でお礼を言っていた。前の人びっくりしてた。僕も驚いた。
「朝川さんって、思ったより怖くないかも」
十分休み、そんな声が聞こえてきた。朝川さんは席にいない。うん、怖くないよ。心の中で同意してみる。
その日は熱い中の部活で大汗を掻いて、帰宅したらすぐシャワーを浴びた。これから毎日暑いんだろうな。
部屋でごろごろしていると、朝川さんからメッセージが届いた。
『頼田君ってすごいね』
「え、何が?」
急な言葉に困惑する。僕がすごいことなんて、今日までずっとなかった。朝川さんの方がずっとすごいよ。思ったまま返せば、すぐに朝川さんから返ってきた。
『頼田君に今日言われたこと、本当に嬉しかったの。そしたら、なんで顔を隠して、優しくない、もう離れた人の顔色ずっと窺ってるんだろうって笑えてきちゃった。ありがとう』
ああ、先生のことか。ようやく合点がいった。でも、僕はただ思ったことを伝えただけで、前を向いて考えられるようになったのは朝川さん自身の力だ。僕は朝川さんの真似をして、ほんの、ほんの少し背中を押してみただけ。だから、最初から自分自身の力なんだよ。
『お礼に、明日は私が頼田君に元気あげるね』
そんな言葉で会話が終了した。
朝川さんが元気をくれるらしい。
なんだろう、言い方からして物ではなさそう。
「なんでもいいか。朝川さんがくれるんなら、何だって嬉しいし」
単純な僕は明日を楽しみにして早々寝ることにした。


