驚きで声も出ない。まさか、この人だったなんて想像すらしなかった。
特に店以外で会おうとせず控えめにお花を贈っているので、てっきり優しい人かと思っていた。唄さんのことを女性だと思っていて好意を持っているという情報の時点で予想すべきだった。
彼はどこまで唄さんのことを想っているのだろう。純粋な気持ちなのであれば、今までのことは僕の中で昇華しておこうか。
……純粋ってことあるかな。どうしても、この人の言動全てが僕を不安にさせる。
「ああ、ちょっと爪磨きの予約をしようかと思いまして」
「それならお電話でも構いませんのに。ここまでいらっしゃるの大変でしょう」
「いえいえ、そんなことありませんよ。で、こちらは弟さんでしょうか」
ちらりと堂本さんが僕を見遣る。僕は不自然に背筋が伸びた。
「いやだぁ、私二十八ですよ。あ、でも、年の差がある兄弟もいますものね。この子は従兄弟のお友だちで、買い物に来てくれたんです」
すると、堂本さんは安心したように息を吐いた。
「そうなんですか。それにしても九歳差か、俺は若く見られるしちょうどいいな」
うわぁ、後半は小声だったけど、ばっちりここまで聞こえましたよ。堂本さん三十七歳なんだ。やっぱり、前におばさんって暴言吐いた相手の方が年下だったんじゃないかな。
あの時唄さんのことを気になっていたのは知っていたけど、本当にこうして交流をするとは。行動的である意味尊敬する。
「それにしても二十九歳とは思っていませんでした。てっきり二十代半ばかと」
「うふふ、アラサーですよ」
「いえいえ、お綺麗です。いやぁ、その従兄弟さん羨ましいなぁ。こんなに綺麗なお姉さんが親戚だなんて」
「いやだぁ、お姉さんじゃなくてお兄さんです」
僕は体が弾けたように唄さんを見た。
唄さんは堂本さんが何かしらの好意を持っていることを理解している。なのに、何故わざわざ秘密をばらすようなことを。堂本さんの性格からして怒り出すんじゃないだろうか。
恐る恐る堂本さんに向き直ると、予想以上の表情を唄さんに向けていた。
「は? 男? 俺を騙したのか、詐欺師!」
「まあ大変。突然どうされたんですか」
唄さんが飄々と堂本さんを躱す。僕はただ、おろおろ目を泳がせて二人を交互に見つめることしかできなかった。
「それに詐欺じゃないけど。勝手に勘違いしただけだし、男だとか女だとか知り合いなだけなのに関係ないでしょ」
「知り合いって」
「なに、知り合い以外に何かあります?」
唄さんの冷たさに肝が冷える。それと同時に、納得した。堂本さんの言葉はいつも自分勝手で、相手が言われてどう思うかいっさい考えていないものだった。悪い人ではないと言っていたけれども、それを感じ取ったのだ。もしくはさすがに嫌気がさしたか。
「──もういい。失礼します」
「またのお越しをお待ちしております」
乱暴にドアを開けて出ていく堂本さんを笑顔で見送る唄さん。強い。強すぎる。僕が唄さんの年になったとしても、とても真似はできそうにない。
「あの……」
「ごめんなさい。見苦しいところを見せちゃって。帰らないでいてくれて助かったわ」
「いえ、僕は何も。それよりよかったんですか」
「うん。だってあの人、私以外に冷たいの。人を大切にしない人なんだって気付いて。だから、早めに手を打とうと思ったってところ」
唄さんがおとなしくなったドアを見つめる。
「さすがに諦めてくれたでしょ。報復する程子どもでもないだろうし」
その声はどこか寂しそうに感じる。迷惑に思うことはあっても、堂本さんのことを嫌っていたわけではないのだろう。
「さてと、おまたせ。ちょっと邪魔が入っちゃったけど、ゆっくり店内見ていいからね。まだ何か聞くことがあったらお客さんふ来るまでは何でも聞いて」
「有難う御座います。とりあえず、なんとなくの方向は見えたので、僕も行動してみます」
「真琴君なら心配ないけど、くれぐれも無茶はしないように」
「分かりました」
半ば呆然とした気持ちで店内を回り、前回気になっていたネイルオイルを購入する。可愛らしい袋を持ちながら、唄さんに手を振られ店をあとにした。
駅までの道を一人歩く。例の公園も通り過ぎる。
あの人、ちゃんと家に帰れたかな。
僕が心配すること自体失礼か。
「詐欺師、か」
人と何か違う時、自分から伝えないことがはたして詐欺なのだろうか。
女の子になりたいなら、なりたいと思った時点で周り全員に伝えなければならないのか?
それはいくらなんでも暴論だ。
堂本さんは自分に都合の悪いことだったからあんなにか怒っただけだ。
人には伝えたくないものを伝えなくていい権利がある。堂本さんにだって、人に言っていない好きなものや苦手なものの一つや二つあるはず。
僕だって間違うことはある。今日だって、気付いていないだけで何かやらかしてしまっているかもしれない。感情に任せて発言してしまうこともある。だからって、そのまま自分の自由に生きていいわけじゃない。
間違いに気付いた時には遅いこともあるかもしれないけれど、自分の全力をもって誠意を示すしかない。それでも離れていく人はいるかもしれない。その時は、それが今の自分なのだと納得するしかないのだろう。
自分が正しいと思うことを大切に、しかし周りを傷つけるものではないように。
難しいなあ。だって、あんな大人でも間違うんだもの。
特に店以外で会おうとせず控えめにお花を贈っているので、てっきり優しい人かと思っていた。唄さんのことを女性だと思っていて好意を持っているという情報の時点で予想すべきだった。
彼はどこまで唄さんのことを想っているのだろう。純粋な気持ちなのであれば、今までのことは僕の中で昇華しておこうか。
……純粋ってことあるかな。どうしても、この人の言動全てが僕を不安にさせる。
「ああ、ちょっと爪磨きの予約をしようかと思いまして」
「それならお電話でも構いませんのに。ここまでいらっしゃるの大変でしょう」
「いえいえ、そんなことありませんよ。で、こちらは弟さんでしょうか」
ちらりと堂本さんが僕を見遣る。僕は不自然に背筋が伸びた。
「いやだぁ、私二十八ですよ。あ、でも、年の差がある兄弟もいますものね。この子は従兄弟のお友だちで、買い物に来てくれたんです」
すると、堂本さんは安心したように息を吐いた。
「そうなんですか。それにしても九歳差か、俺は若く見られるしちょうどいいな」
うわぁ、後半は小声だったけど、ばっちりここまで聞こえましたよ。堂本さん三十七歳なんだ。やっぱり、前におばさんって暴言吐いた相手の方が年下だったんじゃないかな。
あの時唄さんのことを気になっていたのは知っていたけど、本当にこうして交流をするとは。行動的である意味尊敬する。
「それにしても二十九歳とは思っていませんでした。てっきり二十代半ばかと」
「うふふ、アラサーですよ」
「いえいえ、お綺麗です。いやぁ、その従兄弟さん羨ましいなぁ。こんなに綺麗なお姉さんが親戚だなんて」
「いやだぁ、お姉さんじゃなくてお兄さんです」
僕は体が弾けたように唄さんを見た。
唄さんは堂本さんが何かしらの好意を持っていることを理解している。なのに、何故わざわざ秘密をばらすようなことを。堂本さんの性格からして怒り出すんじゃないだろうか。
恐る恐る堂本さんに向き直ると、予想以上の表情を唄さんに向けていた。
「は? 男? 俺を騙したのか、詐欺師!」
「まあ大変。突然どうされたんですか」
唄さんが飄々と堂本さんを躱す。僕はただ、おろおろ目を泳がせて二人を交互に見つめることしかできなかった。
「それに詐欺じゃないけど。勝手に勘違いしただけだし、男だとか女だとか知り合いなだけなのに関係ないでしょ」
「知り合いって」
「なに、知り合い以外に何かあります?」
唄さんの冷たさに肝が冷える。それと同時に、納得した。堂本さんの言葉はいつも自分勝手で、相手が言われてどう思うかいっさい考えていないものだった。悪い人ではないと言っていたけれども、それを感じ取ったのだ。もしくはさすがに嫌気がさしたか。
「──もういい。失礼します」
「またのお越しをお待ちしております」
乱暴にドアを開けて出ていく堂本さんを笑顔で見送る唄さん。強い。強すぎる。僕が唄さんの年になったとしても、とても真似はできそうにない。
「あの……」
「ごめんなさい。見苦しいところを見せちゃって。帰らないでいてくれて助かったわ」
「いえ、僕は何も。それよりよかったんですか」
「うん。だってあの人、私以外に冷たいの。人を大切にしない人なんだって気付いて。だから、早めに手を打とうと思ったってところ」
唄さんがおとなしくなったドアを見つめる。
「さすがに諦めてくれたでしょ。報復する程子どもでもないだろうし」
その声はどこか寂しそうに感じる。迷惑に思うことはあっても、堂本さんのことを嫌っていたわけではないのだろう。
「さてと、おまたせ。ちょっと邪魔が入っちゃったけど、ゆっくり店内見ていいからね。まだ何か聞くことがあったらお客さんふ来るまでは何でも聞いて」
「有難う御座います。とりあえず、なんとなくの方向は見えたので、僕も行動してみます」
「真琴君なら心配ないけど、くれぐれも無茶はしないように」
「分かりました」
半ば呆然とした気持ちで店内を回り、前回気になっていたネイルオイルを購入する。可愛らしい袋を持ちながら、唄さんに手を振られ店をあとにした。
駅までの道を一人歩く。例の公園も通り過ぎる。
あの人、ちゃんと家に帰れたかな。
僕が心配すること自体失礼か。
「詐欺師、か」
人と何か違う時、自分から伝えないことがはたして詐欺なのだろうか。
女の子になりたいなら、なりたいと思った時点で周り全員に伝えなければならないのか?
それはいくらなんでも暴論だ。
堂本さんは自分に都合の悪いことだったからあんなにか怒っただけだ。
人には伝えたくないものを伝えなくていい権利がある。堂本さんにだって、人に言っていない好きなものや苦手なものの一つや二つあるはず。
僕だって間違うことはある。今日だって、気付いていないだけで何かやらかしてしまっているかもしれない。感情に任せて発言してしまうこともある。だからって、そのまま自分の自由に生きていいわけじゃない。
間違いに気付いた時には遅いこともあるかもしれないけれど、自分の全力をもって誠意を示すしかない。それでも離れていく人はいるかもしれない。その時は、それが今の自分なのだと納得するしかないのだろう。
自分が正しいと思うことを大切に、しかし周りを傷つけるものではないように。
難しいなあ。だって、あんな大人でも間違うんだもの。


