「じゃあね。気を付けて。知らない人に付いてっちゃ駄目だから」
「さすがに付いていかないって」
いつまでも店の前で手を振る唄さんに尚が苦笑いする。完全に幼児扱いだ。
「真琴くんもよ」
「分かりました」
手を振って二人で歩き出す。多分、唄さんはまだ手を振っている気がする。過保護だ。でも、可愛らしい人だと思う。
「楽しかったね」
僕の手には小さなビニール袋がぶら下がっている。帰り際、僕が見ていた前髪ピンを唄さんがプレゼントしてくれたのだ。
『男の子も使えるし、女の子にあげてもいいし。よかったら』
そんなことを言っていた。たしかに、薄い水色でシンプルなピンは男子が顔を洗うように使ったっておかしくない。
──女の子に、か。
思い浮かべるのは朝川さん。似合うかな、何でも似合いそう。
というか、僕があげてびっくりされたらどうしよう。だって、まだ友だちになったばかりで、誕生日でも何でもない日にあげるのって変じゃないかな。
「唄さん、いつも以上のテンションだった。気に入られたね」
「僕も楽しかった。また行く時があったら誘って」
「分かった」
店内の雑貨はとてもキラキラしていて、朝川さんにも見せたいと思った。このピンを気に入ってくれたら、今度二人で行ってみようかな。
さすがに二人は勘違いされちゃうか。でも、朝川さんがそういうの気にしないって言っていたし、僕も朝川さんとだったらどこへでも行ってみたい。
「電車ちょうどいいのあるかな」
尚がポケットを探る。僕もスマートフォンを取り出し、時間を確認した。
「あれ」
「どうしたの?」
尚が少し焦った声を出す。その時、僕の耳に別の音が届いた。
「おばさんはちょっと……」
近道だからと駅前の公園を通っていたら、そんな不穏な声。反射で顔を向けてしまう。何かのトラブルかと思ったら、いつしかの傲慢なサラリーマンだった。
うわ、なんで。そういえば、あの人の会社から近いんだった。それにしても、相変わらず失礼な言い方を……。
相手の女性は三十代くらいの女性だった。見た目だけなら、むしろサラリーマンよりやや若く見える。全然おばさんじゃない。
巻き込まれる前に退散しよう。そう思っていたら、女性がこっちに走ってきた。
僕は何も気付いていない振りをしてそっぽを向く。尚なんて最初から気付いていないっぽい。いいなぁ、僕も見なければよかった。
「やばい、スマホ置いてきたかも」
「お店に?」
そういえば、尚が何か言いかけていたんだった。まだ遅い時間ではないし、取りに戻ればいい。
「うん、ごめん。戻ってもいい?」
「いいよ」
女性が通り過ぎるのを気まずく感じながらも、僕は尚との会話に集中した。
「尚くん、スマホ忘れてるわよ~」
僕たちが来た道を戻ろうとしたところで、唄さんがスマートフォンを持っている右手を振りつつ小走りでやってきた。尚がしまったという顔で僕の方を見る。
「ごめん、唄さん。もうすぐ予約の人来るのに」
「いいのよ、今日は私のためにわざわざ来てくれたんだから。ドアには鍵かけたし、すぐ戻れば大丈夫」
「ありがとう」
「じゃあ」
「あ、唄さんッ」
唄さんが振り向くと、例のサラリーマンが機嫌悪く歩いてくるところだった。僕も気付くのが遅くて注意できなかった。ぶつかりはしないけど至近距離だったので、唄さん驚いた顔をする。
「わ、すみません」
「いいえ……ん?」
愛想笑いをして去っていく唄さんを、サラリーマンが顔を向けて見つめた。なんだか嫌な予感。
サラリーマンが唄さんに絡んだら全力で止めよう。そう思っていたら、予想外にこちらへ話しかけてきた。
「ねえ、君たち。あの人の知り合いだよね。この辺の人かな」
「そうですけど」
「名前と年を教えてもらっても?」
「それはさすがに個人情報なので」
尚が断ると、サラリーマンは一瞬眉間に皺を寄せてから笑顔を向けてきた。
「そうか、そうだよね。ありがとう」
そう言って、唄さんとは別方向に歩き出した。よかった、尚がちゃんとしていて。唄さんの知らないところで危険に晒すところだった。
サラリーマンは犯罪者でも何でもないけれど、あまり近づかない方がいい種類の人だ。唄さんはとても良い人だから、嫌な思いはしてほしくない。たとえば、さっきの人のような。
やっと公園の人口が二人だけになったところで、顔を見合わせてお互い変な顔をした。
「なんだったん、あの人」
「唄さんのこと気に入ったんじゃないかな」
「それで俺たちに聞く? 積極的にも程があるじゃん」
「僕には真似できない」
いろいろと。
さっきの揉め事は女性から何か言われたのかもしれないけど、それを「おばさんはちょっと」って返す度胸も怖いし、今の質問も怖い。パートナー探しでもしているのかも。見た感じ、子持ちでおかしくない年齢だから。
「唄さん、大丈夫かな」
「平気平気。強いから」
「でも、相手は男の人だし」
「だから、平気だって」
そういえば、唄さんも男性ではあった。
「握力五十あるって言ってた」
「結構あるね」
「あと空手黒帯」
「それは安心だ」
すらりとしたスレンダー女性な見た目からはなかなか想像の付かない力強さだった。きっと、あの人より強い。
振り向くが、当然あの人はいない。
もう会わないだろう。それを願うばかりだった。
「さすがに付いていかないって」
いつまでも店の前で手を振る唄さんに尚が苦笑いする。完全に幼児扱いだ。
「真琴くんもよ」
「分かりました」
手を振って二人で歩き出す。多分、唄さんはまだ手を振っている気がする。過保護だ。でも、可愛らしい人だと思う。
「楽しかったね」
僕の手には小さなビニール袋がぶら下がっている。帰り際、僕が見ていた前髪ピンを唄さんがプレゼントしてくれたのだ。
『男の子も使えるし、女の子にあげてもいいし。よかったら』
そんなことを言っていた。たしかに、薄い水色でシンプルなピンは男子が顔を洗うように使ったっておかしくない。
──女の子に、か。
思い浮かべるのは朝川さん。似合うかな、何でも似合いそう。
というか、僕があげてびっくりされたらどうしよう。だって、まだ友だちになったばかりで、誕生日でも何でもない日にあげるのって変じゃないかな。
「唄さん、いつも以上のテンションだった。気に入られたね」
「僕も楽しかった。また行く時があったら誘って」
「分かった」
店内の雑貨はとてもキラキラしていて、朝川さんにも見せたいと思った。このピンを気に入ってくれたら、今度二人で行ってみようかな。
さすがに二人は勘違いされちゃうか。でも、朝川さんがそういうの気にしないって言っていたし、僕も朝川さんとだったらどこへでも行ってみたい。
「電車ちょうどいいのあるかな」
尚がポケットを探る。僕もスマートフォンを取り出し、時間を確認した。
「あれ」
「どうしたの?」
尚が少し焦った声を出す。その時、僕の耳に別の音が届いた。
「おばさんはちょっと……」
近道だからと駅前の公園を通っていたら、そんな不穏な声。反射で顔を向けてしまう。何かのトラブルかと思ったら、いつしかの傲慢なサラリーマンだった。
うわ、なんで。そういえば、あの人の会社から近いんだった。それにしても、相変わらず失礼な言い方を……。
相手の女性は三十代くらいの女性だった。見た目だけなら、むしろサラリーマンよりやや若く見える。全然おばさんじゃない。
巻き込まれる前に退散しよう。そう思っていたら、女性がこっちに走ってきた。
僕は何も気付いていない振りをしてそっぽを向く。尚なんて最初から気付いていないっぽい。いいなぁ、僕も見なければよかった。
「やばい、スマホ置いてきたかも」
「お店に?」
そういえば、尚が何か言いかけていたんだった。まだ遅い時間ではないし、取りに戻ればいい。
「うん、ごめん。戻ってもいい?」
「いいよ」
女性が通り過ぎるのを気まずく感じながらも、僕は尚との会話に集中した。
「尚くん、スマホ忘れてるわよ~」
僕たちが来た道を戻ろうとしたところで、唄さんがスマートフォンを持っている右手を振りつつ小走りでやってきた。尚がしまったという顔で僕の方を見る。
「ごめん、唄さん。もうすぐ予約の人来るのに」
「いいのよ、今日は私のためにわざわざ来てくれたんだから。ドアには鍵かけたし、すぐ戻れば大丈夫」
「ありがとう」
「じゃあ」
「あ、唄さんッ」
唄さんが振り向くと、例のサラリーマンが機嫌悪く歩いてくるところだった。僕も気付くのが遅くて注意できなかった。ぶつかりはしないけど至近距離だったので、唄さん驚いた顔をする。
「わ、すみません」
「いいえ……ん?」
愛想笑いをして去っていく唄さんを、サラリーマンが顔を向けて見つめた。なんだか嫌な予感。
サラリーマンが唄さんに絡んだら全力で止めよう。そう思っていたら、予想外にこちらへ話しかけてきた。
「ねえ、君たち。あの人の知り合いだよね。この辺の人かな」
「そうですけど」
「名前と年を教えてもらっても?」
「それはさすがに個人情報なので」
尚が断ると、サラリーマンは一瞬眉間に皺を寄せてから笑顔を向けてきた。
「そうか、そうだよね。ありがとう」
そう言って、唄さんとは別方向に歩き出した。よかった、尚がちゃんとしていて。唄さんの知らないところで危険に晒すところだった。
サラリーマンは犯罪者でも何でもないけれど、あまり近づかない方がいい種類の人だ。唄さんはとても良い人だから、嫌な思いはしてほしくない。たとえば、さっきの人のような。
やっと公園の人口が二人だけになったところで、顔を見合わせてお互い変な顔をした。
「なんだったん、あの人」
「唄さんのこと気に入ったんじゃないかな」
「それで俺たちに聞く? 積極的にも程があるじゃん」
「僕には真似できない」
いろいろと。
さっきの揉め事は女性から何か言われたのかもしれないけど、それを「おばさんはちょっと」って返す度胸も怖いし、今の質問も怖い。パートナー探しでもしているのかも。見た感じ、子持ちでおかしくない年齢だから。
「唄さん、大丈夫かな」
「平気平気。強いから」
「でも、相手は男の人だし」
「だから、平気だって」
そういえば、唄さんも男性ではあった。
「握力五十あるって言ってた」
「結構あるね」
「あと空手黒帯」
「それは安心だ」
すらりとしたスレンダー女性な見た目からはなかなか想像の付かない力強さだった。きっと、あの人より強い。
振り向くが、当然あの人はいない。
もう会わないだろう。それを願うばかりだった。


