その日、天気が悪くて、登校前の洗濯が難儀した。
 春先は三日くらいは洗わなくてもいいけれど、五月も半ばになったらすぐに腐臭が漂う以上洗うしかないけれど、夜に洗濯機をかけたら騒音被害で近所に迷惑をかける。住んでいるマンションには小さい子が多いのだから、夜は静かにしてないとなにかと問題になるんだ。でも朝から干すには、天気が悪過ぎる。
 私は慌てて匂ったら困るものだけ洗うと、風呂場に干しはじめた。あんまり風呂場の乾燥機も使いたくないけれど、このままだと着るものがなくなると言い訳する。
 そうパタパタしていたら遅刻しかけ、私は慌てて荷物をまとめると、リビングを見た。
 お兄ちゃんが死んだことで、家事も仕事も全くできなくなってしまったお母さんは、最近は明後日の方向を見て、ずっとぼんやりとしている。

「お母さん、行ってきます。昼ご飯冷蔵庫に入れてるから食べてね」

 そう言い添えておいたものの、なにも言わなかった。
 うちの家が壊れてしまって数ヶ月。時計は電池を替えてしまえばまた動き出すけれど、家の中は未だに時が止まったようで、気味が悪い。
 そう思いながら私は急いで通学路へと飛び出した。
 悲劇のヒロインぶるのは性に合わない。
 私が慌てて走っている中、金髪の女の子とすれ違った。金髪は下手にブリーチかけるとすぐに人形の髪のようにキシキシとした手触りとブワリと無残に広がる髪型になるというのに、彼女はボブカットに切った金髪を綺麗に天使の輪が浮かぶほど手入れを施していた。しかも日本人だったらいまいち似合わないはずの金髪を、校則ギリギリのメイクで肌に差し色を入れていることで、綺麗に似合うようまとめているのだ。
 いいなあ、あの子すっごく可愛い。
 同じ学校の子だけれど、彼女は私のように急ぐでもなく、のんびりと歩いて学校に向かっているようだった。私はその子を追い越してひた走る。
 いいなあ、可愛い子だったなあ。いいなあ。
 品行方正に行きようと日本人特有の硬い髪を無理矢理ふたつ結びにしている私とは、なんだか大違いだ。
 私には学校で堂々と化粧する勇気も、化粧の技術がなかったらまず似合わないブリーチをする決断力もないけれど。見ている分には自由のはずだ。

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 走って走って。なんとか授業に間に合ったのは奇跡だったものの、朝から洗濯物で大慌てだったせいで、つくったお弁当を家に置いてきてしまった。
 あぁあ、最悪。
 私は友達に「智佐、一緒に食べよう」と言われるものの、軽く首を振って断る。

「お弁当家に置いてきちゃったんだ」
「あらぁ……私たちでおかずひとつずつあげようか?」
「いいよ、購買部でなんか買ってくる」

 でも私は鞄を漁って気付いた。
 財布まで置いてきた。最悪。結局私は、空腹を誤魔化すために保健室に行くしかなくなった。

「すみません。お腹空いて寝に来ました」

 私が声をかけると、保険医が「あら」と眉を顰めた。

「十代の子なんてほとんど太ってないのにダイエットってよくないと思うのよ」
「いえ……お弁当も財布も家に忘れてきて……寝て誤魔化そうかと」
「駄目よ、寝てもお腹は膨れません。ちょっと待ってね」

 そう言いながら保険医は栄養バーを持ってきた。ひとかけらですごいカロリー入っている奴。

「本当はこれ、よっぽどのことがない限り食べ過ぎはよくないんだけど。全くお腹になにも入れてないで授業受けさせる訳にもいかないから、これ食べて授業に戻りなさい。眠いならそこのベッド使っていいから」
「はい……」
「あと向こうのカーテン捲っちゃ駄目よ」
「はい? わかりました」

 先生にキビキビと指導されながら、私はありがたくも栄養バーを食べてから、ベッドを使わせてもらうことができた。
 今日の午後は図書館行けるかな。雨さえ降らなかったら本を少しだけ借りてから帰りたいけど。雨になったら本は湿気ちゃうからかさばるな。そうぼんやりと思っている中。
 先生が言っていたカーテンの向こうに誰かがいることに気が付いた。カーテンの向こうからガサガサしている蔭が見えるのだ。
 そういえば。いじめだったり、不登校だったり、病気で出席日数足りなかったりする子は、保健室で預かっているというのは聞いたことがある。普段はどこにいるのかちっともわからない子だけれど、昼休みの時間は昼ご飯食べているのに、他からいろんな生徒がやってくるから落ち着かなくって、こうやってカーテンの敷居の向こうに逃げ込んでいるのかもしれない。
 なんだか悪いことしちゃったなと後ろめたく思う。
 昼休み中はここで休ませてもらうとして、その後は急いで帰らないと。私はそう心に誓った。
 下手に気を遣われるのはくたびれる。下手に障られるとこちらも居心地悪くなる。
 だから互いに知らんぷりしているのが、多分ちょうどいいところなんだろう。