葵が黒の教団の刺客を退けた翌朝──
王宮は騒然としていた。
聖女を狙った襲撃事件は、王国全体を揺るがす大事件。
その中心に「王宮付きの貴族秘書」が関与していたことは、極秘扱いとされたが、内部ではすでに粛清の準備が始まっていた。
「……ユリウスは、貴族でありながら教団の一員だったのですね」
葵の言葉に、情報局の長・エルネスト将軍がうなずいた。彼は王の信任厚い重臣で、闇に潜む者の摘発を担う人物だった。
「ええ。我々も長らく内偵を進めていましたが、証拠が足りなかった。ですが、今回の件で決定的になった」
「では……彼がスパイの中心ですか?」
「それが──違うのです」
エルネストは重い口を開く。
「ユリウスは“指揮者”ではなく、“道具”だった可能性がある。我々が摘発した者たちの魔術痕跡から、さらに深い“洗脳”が施されていたことが判明しました」
葵の目が見開かれる。
「……まさか、ユリウス自身も?」
「その可能性はあります。自我を保ったまま、記憶の一部を封じられた、いわば“聖なる器”……教団が求めているのは、“力を宿す器”の再現なのかもしれません」
その日の夜。
カインは一人、王宮の地下に降りていた。
そこには、教団の残党と思しき者たちが投獄されている。そして、王宮の執事の一人が──
「……まさか、お前がスパイだったとはな」
カインが冷たい目で見つめる相手は、かつて王妃付きの忠実な老執事として名を馳せた男・グレオ。
彼は笑っていた。
「私はただ、正しい“導き”を選んだまでだ。聖女の力など、器に過ぎぬ。真の神は“闇”の奥底で目覚めようとしている……!」
カインが剣の柄を強く握った瞬間、部屋の結界が反応し、闇の瘴気がグレオの身体からあふれ出す。
「……最後の仕事を果たさせていただく!」
彼の身体が黒く染まり、破裂するかのように瘴気が飛び散った。
間一髪でカインが魔法障壁を展開する。
「……自爆の呪詛か。自らを“封印の鍵”にしていたのか」
これにより、教団のスパイ網の一部が自らの命と引き換えに“情報の口”を閉ざした。
翌朝、葵とカインは王の謁見を受ける。
王は苦悩の表情を隠さず言った。
「……スパイは貴族層、使用人層にまで潜んでいた。聖女殿が現れなければ、我々は滅んでいたかもしれぬ。感謝する」
「私は、自分のために戦っただけです。皆さんの力がなければ、私はとっくに囚われていました」
葵の謙虚な答えに、王は深くうなずく。
「ゆえにこそ、聖女よ。我が国の“鍵”となってほしい。聖女として正式に任命し、守護の騎士カインを筆頭に、あなたを守る〈蒼翼の騎士団〉を創設する」
「……私が、“国の鍵”?」
葵の中に、ひとつの疑念が芽生える。
なぜ、転生した自分にだけ、これほど強大な“光”の力が宿ったのか。
なぜ“教団”はその力を最初から知っていたのか。
そして──
ユリウスは本当に“操られていただけ”なのか。
それとも、彼自身が……?
王都を離れた黒き尖塔の奥、封印された書庫の一室。
ユリウスは静かに椅子に腰掛け、赤黒く光る瞳のまま、鏡を見つめていた。
「……もうすぐだよ、アオイ。君が目覚めれば、すべてが“本来あるべき形”に戻る」
その声は、かつての優しき宰相補佐とは異なる。
冷たく、傲慢で、まるで王のように。
一方、王宮の地下神殿にて──
カインと葵は、古文書から“聖女と教団”の因縁をたどっていた。
「この巻物……“アオイ”という名の聖女が記されている?」
「それって、私……のこと?」
カインが顔をしかめる。
「転生ではなく、“再来”の可能性がある。つまり、お前の魂はこの世界にかつて存在していた。そしてユリウスもまた――」
【過去】
──16年前。王国の北境で、ある村が焼き払われた。
その村には、代々“記憶の魔法”を扱う一族が住んでいた。
ユリウスはその末裔。
しかし村は黒の教団に襲撃され、両親は目の前で命を落とす。
少年ユリウスは教団に捕らえられ、「二重人格の器」として、魂の強化実験の被験者にされる。
結果として彼の中には、“本来のユリウス”と、“教団が造った人格《ユノス》”が共存することになる。
ユノスは、教団の意志に忠実でありながらも、ユリウスの“アオイへの想い”だけは抑えられず、歪んだ執着として成長していった。
【現在】
黒き尖塔の中で、ユリウスは内なる声と対話していた。
《まだ僕を閉じ込めたままにする気か?》
「ユリウス……もうお前は眠っていればいい。アオイは俺のものだ。お前の“優しさ”など、もう必要ない」
《彼女は……僕が守るって、決めたんだ。あのときの誓いを……!》
「だったら証明してみろよ、“記憶の聖域”で。俺に勝てたら、身体を返してやるさ」
その頃、葵は眠りの中で奇妙な夢を見る。
──そこは、霧に包まれた記憶の空間。
中央に、金の目をした少年がひとり、膝を抱えて座っていた。
「……あなた、ユリウス?」
少年は顔を上げ、涙をこらえるように言う。
「葵……ごめん。僕は、君を裏切るかもしれない……でも、君を守るって、あのとき誓ったんだ」
「あなたは……今の、ユリウスじゃない?」
「僕は、“もうひとりのユリウス”。でも君を知ってる。君が笑うと、春が来たみたいに、あたたかくなるって……」
彼の姿が光に包まれると、葵の胸に熱い痛みが走る。
“過去”の記憶が、断片的に流れ込んできた──
「カイン……私、たぶん昔もこの世界にいた。ユリウスも……そのとき、私を……」
「……護っていたのか」
「ううん……好きでいてくれた、と思う。でもその想いが、今は“呪い”になってしまってる……」
そして葵は決意する。
自らの力だけでユリウスと対峙し、“本来の彼”を取り戻すと。
──それが、“聖女の使命”であるならば。
その頃──
王都の外れにある黒い尖塔の中。
ユリウスは、薄暗い空間で椅子に座り、微笑んでいた。
「さあ、アオイ。次は……君の“記憶”に触れさせてもらうよ」
彼の瞳は、あの優しさを装った蒼ではなかった。
瞳の奥に、赤黒い魔の光が宿っていた。
王宮は騒然としていた。
聖女を狙った襲撃事件は、王国全体を揺るがす大事件。
その中心に「王宮付きの貴族秘書」が関与していたことは、極秘扱いとされたが、内部ではすでに粛清の準備が始まっていた。
「……ユリウスは、貴族でありながら教団の一員だったのですね」
葵の言葉に、情報局の長・エルネスト将軍がうなずいた。彼は王の信任厚い重臣で、闇に潜む者の摘発を担う人物だった。
「ええ。我々も長らく内偵を進めていましたが、証拠が足りなかった。ですが、今回の件で決定的になった」
「では……彼がスパイの中心ですか?」
「それが──違うのです」
エルネストは重い口を開く。
「ユリウスは“指揮者”ではなく、“道具”だった可能性がある。我々が摘発した者たちの魔術痕跡から、さらに深い“洗脳”が施されていたことが判明しました」
葵の目が見開かれる。
「……まさか、ユリウス自身も?」
「その可能性はあります。自我を保ったまま、記憶の一部を封じられた、いわば“聖なる器”……教団が求めているのは、“力を宿す器”の再現なのかもしれません」
その日の夜。
カインは一人、王宮の地下に降りていた。
そこには、教団の残党と思しき者たちが投獄されている。そして、王宮の執事の一人が──
「……まさか、お前がスパイだったとはな」
カインが冷たい目で見つめる相手は、かつて王妃付きの忠実な老執事として名を馳せた男・グレオ。
彼は笑っていた。
「私はただ、正しい“導き”を選んだまでだ。聖女の力など、器に過ぎぬ。真の神は“闇”の奥底で目覚めようとしている……!」
カインが剣の柄を強く握った瞬間、部屋の結界が反応し、闇の瘴気がグレオの身体からあふれ出す。
「……最後の仕事を果たさせていただく!」
彼の身体が黒く染まり、破裂するかのように瘴気が飛び散った。
間一髪でカインが魔法障壁を展開する。
「……自爆の呪詛か。自らを“封印の鍵”にしていたのか」
これにより、教団のスパイ網の一部が自らの命と引き換えに“情報の口”を閉ざした。
翌朝、葵とカインは王の謁見を受ける。
王は苦悩の表情を隠さず言った。
「……スパイは貴族層、使用人層にまで潜んでいた。聖女殿が現れなければ、我々は滅んでいたかもしれぬ。感謝する」
「私は、自分のために戦っただけです。皆さんの力がなければ、私はとっくに囚われていました」
葵の謙虚な答えに、王は深くうなずく。
「ゆえにこそ、聖女よ。我が国の“鍵”となってほしい。聖女として正式に任命し、守護の騎士カインを筆頭に、あなたを守る〈蒼翼の騎士団〉を創設する」
「……私が、“国の鍵”?」
葵の中に、ひとつの疑念が芽生える。
なぜ、転生した自分にだけ、これほど強大な“光”の力が宿ったのか。
なぜ“教団”はその力を最初から知っていたのか。
そして──
ユリウスは本当に“操られていただけ”なのか。
それとも、彼自身が……?
王都を離れた黒き尖塔の奥、封印された書庫の一室。
ユリウスは静かに椅子に腰掛け、赤黒く光る瞳のまま、鏡を見つめていた。
「……もうすぐだよ、アオイ。君が目覚めれば、すべてが“本来あるべき形”に戻る」
その声は、かつての優しき宰相補佐とは異なる。
冷たく、傲慢で、まるで王のように。
一方、王宮の地下神殿にて──
カインと葵は、古文書から“聖女と教団”の因縁をたどっていた。
「この巻物……“アオイ”という名の聖女が記されている?」
「それって、私……のこと?」
カインが顔をしかめる。
「転生ではなく、“再来”の可能性がある。つまり、お前の魂はこの世界にかつて存在していた。そしてユリウスもまた――」
【過去】
──16年前。王国の北境で、ある村が焼き払われた。
その村には、代々“記憶の魔法”を扱う一族が住んでいた。
ユリウスはその末裔。
しかし村は黒の教団に襲撃され、両親は目の前で命を落とす。
少年ユリウスは教団に捕らえられ、「二重人格の器」として、魂の強化実験の被験者にされる。
結果として彼の中には、“本来のユリウス”と、“教団が造った人格《ユノス》”が共存することになる。
ユノスは、教団の意志に忠実でありながらも、ユリウスの“アオイへの想い”だけは抑えられず、歪んだ執着として成長していった。
【現在】
黒き尖塔の中で、ユリウスは内なる声と対話していた。
《まだ僕を閉じ込めたままにする気か?》
「ユリウス……もうお前は眠っていればいい。アオイは俺のものだ。お前の“優しさ”など、もう必要ない」
《彼女は……僕が守るって、決めたんだ。あのときの誓いを……!》
「だったら証明してみろよ、“記憶の聖域”で。俺に勝てたら、身体を返してやるさ」
その頃、葵は眠りの中で奇妙な夢を見る。
──そこは、霧に包まれた記憶の空間。
中央に、金の目をした少年がひとり、膝を抱えて座っていた。
「……あなた、ユリウス?」
少年は顔を上げ、涙をこらえるように言う。
「葵……ごめん。僕は、君を裏切るかもしれない……でも、君を守るって、あのとき誓ったんだ」
「あなたは……今の、ユリウスじゃない?」
「僕は、“もうひとりのユリウス”。でも君を知ってる。君が笑うと、春が来たみたいに、あたたかくなるって……」
彼の姿が光に包まれると、葵の胸に熱い痛みが走る。
“過去”の記憶が、断片的に流れ込んできた──
「カイン……私、たぶん昔もこの世界にいた。ユリウスも……そのとき、私を……」
「……護っていたのか」
「ううん……好きでいてくれた、と思う。でもその想いが、今は“呪い”になってしまってる……」
そして葵は決意する。
自らの力だけでユリウスと対峙し、“本来の彼”を取り戻すと。
──それが、“聖女の使命”であるならば。
その頃──
王都の外れにある黒い尖塔の中。
ユリウスは、薄暗い空間で椅子に座り、微笑んでいた。
「さあ、アオイ。次は……君の“記憶”に触れさせてもらうよ」
彼の瞳は、あの優しさを装った蒼ではなかった。
瞳の奥に、赤黒い魔の光が宿っていた。



