数日後──。

カインの屋敷には、一台の豪華な馬車が訪れていた。
その紋章は、ハルフェリア王国の象徴である「白銀の双翼」。王家の直轄馬車であることを意味していた。

「いよいよ、王都へ向かうのですね……」

ケイトが静かに葵の髪を整えながらつぶやく。
葵は、薄く微笑んで頷いた。
美しい白と青の正装は、聖女としての品位と清らかさを引き立てる。

「緊張、してる?」
カインが、窓の外から顔をのぞかせて訊いた。

「……少しだけ。でも、兄さんが一緒なら大丈夫。」

カインの頬がかすかに赤らむ。
「もちろん、ずっとそばにいる。誰にも渡さないよ……聖女様」

冗談めかして笑うが、その声にはどこか寂しげな響きもあった。
(王に見初められでもしたら……)そんな不安を、カインは言葉にはしなかった。

王都ハルセリオン――。
巨大な城門を抜けた馬車は、白い大理石でできた壮麗な王城に到着する。
衛兵たちが一斉にひざまずき、敬意を表す。葵の聖女としての力が、王国全体に知られている証だった。

謁見(えっけん)の間へと通される葵。
天井は高く、赤絨毯が玉座へと続く。
玉座に座していたのは、若き国王・レオニス=ハルフェリア十七世。まだ二十代半ばだが、落ち着いた眼差しと威厳を湛えていた。

「聖女アオイよ。我が王国の民を救ってくれたこと、深く感謝する。」

「……はっ。畏れ多くも、私はただ、自分にできることをしただけです。」

葵は緊張しながらも、まっすぐに国王を見据え、言葉を返した。
その態度に、周囲の貴族たちがざわめく。

(この娘……王族にも物怖じしないのか)
(美しい。気品もある……王妃候補にふさわしいのでは)

そんな声が、耳に入る。
隣に立つカインの拳が、無意識にきつく握られていた。

「アオイ殿。願いがあれば、何なりと申すがよい。我が王国にとって、あなたは未来を導く光だ」

レオニス王の声は、まっすぐだった。
葵は少し迷った後、静かに口を開く。

「では、願いがあります。一つ――
この国のどこかで苦しんでいる子どもたちを救う、癒しの聖堂を建てたいのです。」

沈黙が広がる。

だが、次の瞬間──王は満面の笑みを浮かべた。

「素晴らしい。聖女よ、その願い、我が名のもとに叶えよう。」

拍手が沸き起こる。
葵の願いは、聖女としての道を選び取った証だった。
その姿を、カインは複雑な想いで見つめていた。

(アオイは……どんどん、遠い存在になっていく気がする)

その夜、王城の客間。
葵が窓辺に立っていると、そっとドアが開く。

「……カイン兄さん」

「……大丈夫か?疲れてないか?」

カインは葵の傍に立ち、夜風を感じながら言った。

「王様、優しかったね」

「ああ……でも、俺は……アオイを、王妃にするためにここへ来たわけじゃない」

その言葉に、葵の頬がかすかに熱くなる。

「……私も、兄さんの妹でいられるだけで、十分だから……」

その瞬間、二人の距離が一歩、近づいた。

だが、その夜。

王城の地下で、不穏な気配が渦巻いていた。

黒の教団の使者が、密かに王宮に忍び込んでいたのだ。
狙いはただ一つ──聖女アオイの力を、我がものにすること。