(あおい)の意識がゆっくりと戻ってきた。重たい瞼を開けると、見慣れない豪華な天蓋付きベッドに横たわっていた。淡いクリーム色のレースのカーテンが柔らかな光を透かし、遠くから小鳥のさえずりが聞こえる。ベッドの周りには、新鮮な花々が飾られ、甘く優しい香りが漂っていた。

「ここは…どこ?」

葵はぼんやりとした頭で状況を把握しようと努めた。最後に覚えているのは、自分の部屋の薄暗い机に腰掛け、震える手で日記に最後の言葉を書き綴っていたこと。

「私には、どこにも居場所がない…。生きていくの、疲れました。…さようなら。」

それから…記憶が途切れている。

突然、
「アオイ、目が覚めたのか!」
という、心配そうな男性の声が響いた。葵はゆっくりと顔を上げると、見知らぬ美青年がベッドサイドに立っていた。金色の髪は太陽の光のように輝き、深い緑の瞳は優しい光を湛えている。まるで絵画から飛び出してきたかのような、完璧な容姿だった。

「あなた…誰?」
葵は震える声で尋ねた。

青年は安堵の表情を浮かべ、葵の手を優しく握った。その温もりは、葵にとって初めての体験だった。

「俺はカイン。カイン・ベロノゴフだ。葵の義兄だよ。覚えていないのか?」

「義兄…?」
葵は混乱した。彼女の記憶には、常に冷たい視線を向け、虐待を繰り返す父親と、それを黙認する母親、そして、見て見ぬ振りをする兄と妹の姿しか残っていなかった。

カインは少し沈んだ表情で言った。
「医者が言っていた通りだな。記憶が一部失われているようだ。心配するな、アオイ。俺がすべて説明する。ここはハルフェリア王国だ。お前は先月、原因不明の重病にかかって意識を失っていたんだ。」

葵は目を見開いた。異世界?王国?病気?現実とは思えない言葉が、彼女の耳に飛び込んできた。

「でも、私は…死のうとしたはずなのに…」

葵の呟きに、カインの表情が一瞬硬直した。「なんだって?」

葵は自分の言葉に驚いた。前世の記憶が鮮明に残っていること、そして、自殺を図ったこと。転生者として、これは非常に珍しいことだと、後に知る事になる。

「な、何でもない…」
葵は慌てて否定した。

カインは葵の頬に優しく触れ、
「もう大丈夫だ。何があっても、俺がお前を守る。二度と一人にはしない。」
と、優しく囁いた。

その瞳に映る深い愛情に、葵は驚きと同時に、かすかな希望を感じた。前世では決して経験したことのない、温かさだった。

「ありがとう…カイン…兄さん」

カインは微笑んだが、その笑顔の奥には、複雑な感情が隠されているようだった。

「それじゃあ、家族に知らせてくる。皆、アオイが目覚めたと聞いたら喜ぶだろう。」

カインが部屋を出て行った後、葵は彼の言葉が心の中で反響しているのを感じた。
「もう大丈夫だ。何があっても、俺がお前を守る。」

ゆっくりと窓の外を見た。そこには、前世では見たことのない、緑豊かな美しい景色が広がっていた。異世界での新しい人生が始まろうとしていた。しかし、その未来に何が待ち受けているのか、葵はまだ知らなかった。

そして、カインの溺愛が、どれほど深く、そして、複雑なものであるのかも。