互いに顔を見合わせ、苦笑いを浮かべていたが、男性は、不意に不思議そうな表情で首を傾げた。

「あれ? 僕たち、どこかでお会いしたことありませんか?」
「えっ?」

 突然の言葉に、今度は、真由が首を傾げる。

 二人が無言で自身の記憶を辿っていると、まるで、その時間を終わらせるかのように、ポツリポツリと二人の額に雨粒が落ちてきた。その感触につられるように二人が顔を上げると、空はどこもかしこも黒雲に覆われて、今にも本降りになりそうな気配を見せている。

「降ってくる前に戻らなきゃ」

 真由のつぶやきをすぐそばで聞いた男性は、自身の手を真由の目の前に突き出した。

「使ってください」

 目の前に突き出された黒い雨傘と、すぐそばにある男性の顔を交互に見比べながら、真由は、困惑の言葉を漏らす。

「いえ。そんな……お借りするわけには……」
「気にしないでください」
「でも、それでは、あなたが濡れてしまいますし……」
「大丈夫です。僕の会社すぐそこなので」
「でも……」

 そんな押し問答をしている間にも風が強くなり、湿気を含んだ雨の匂いが強くなる。まもなく、大粒の雨が降ってくると、肌で感じる。

「さぁ」
 男性は、傘の柄を無理やり真由の手に握らせる。真由が、困ったように眉尻を下げていると、茂みの中で、カサリと小さな音がした。

「そうだ! クロっ」

 真由は、再び茂みの中を覗いてみたが、愛猫の姿らしきものは見えなかった。

「えっ? ああ、あの黒猫のことですね。つい、僕のことかと思って反応してしまいました。あの猫は、僕がもう少し探してみます。見つけたら、保護しておきますので、あなたは、雨がひどくなる前に戻った方が良い。ここからあなたの会社までは少し距離があるから」

 男性のその言葉に、真由は目を大きく見開く。

「どうして、私の勤め先……」
「その制服ですよ。あなたの会社と、僕の会社は取引があるので、御社へ伺った時に、その制服を見かけたことがあるんです。この辺りで、その制服を着ているOLさんは、御社だけですから。ああ、僕は、黒木悟と言います」

 そう言って、男性は、内ポケットから、サッと名刺を取り出すと、雨に濡れないよう素早く、それを真由に握らせた。

「あの……でも……」

 真由が何かを言いかけたが、黒木はそんな真由の背中を軽く押す。

「さぁ。行ってください。もしよろしければ、明日のこの時間に、またここでお会いしましょう。黒猫が保護できれば、明日一緒に連れてきますから」