☆甘音side☆

 ここ数日、紅亜の様子がおかしい。

 顔に笑顔を貼りつけるコミュ力特化型とは180度真逆の無表情魔王とはいえ、若葉と付き合いだしてからは表情が緩みフッと口角が上がる決定的瞬間を何度も見てきたのだが、最近は険しい表情しかしていない。

 不機嫌の極みオーラバリバリで、目が合った俺を視線で滅殺するがごとく睨みつけてくる。

 若葉の様子もおかしい気がするんだ。

 教室で話しかけても「うん」か「ううん」のイエス・ノーで会話が早期終了。
 先生の所に行かなきゃと言って、不自然に俺の前からいなくなることも多くて。


 「なぁ」と声をかけられ、中庭のベンチに座ったまま顔を上げる。
 俺の正面に立っていたのは、同じクラスの龍之介くんだった。
 若葉と仲がいいいつメンの一人。

 用がある時くらいしか話しかけてこないのに珍しいな。
 心に生じた困惑をごまかすように、優等生笑顔を顔に乗せる。

 「どうかしたの?」

 「おまえの双子の弟と若葉って別れた?」

 「え?」

 予想外の質問だった。
 驚きで笑みなんて消え去ってしまった。

 「別れたとは聞いてないけど」

 「若葉の奴、最近おかしいじゃん」

 確かに。

 「俺たちの会話を聞きながら楽しんでますアピールでもしてるのかよっていうくらいオーバーに笑うしさ、一人の時たまに苦しそうに唇噛みしめてんの」

 よく若葉を見ているなと、感心を通り越した醜い嫉妬で瞳が陰る。

 【クラスメイト】【いつメン】【親友】

 俺よりも若葉と時間を共にし、俺よりも近くで若葉と笑いあっている龍之介くんたち3人に、何度嫉妬したかわからない。

 いつメンの仲良し度が上がるたびに、悲しみを笑顔でごまかす術がどんどん向上していって、むなしくて、でも悲しい顔は他人に見せたくなくて、若葉には気づいてほしくて、でも女々しい男だって思われたくなくて、若葉には完璧で優しいスマイル王子だと錯覚し続けて欲しくて……

 暗くなったらダメだ。
 今はそれどころじゃない。
 若葉と紅亜が本当に別れたのか、その真実こそ俺が一番知りたいことだから。
 
 「最近は一人で帰ってるみたいだし」と、切り出した龍之介君は

 「お互いバイトがあるからって若葉は言ってたけど、紅亜くんがうちの教室に乗り込んで若葉に絡まなくなったことも気がかりでさ」と、眉をひそめた。

 「ほんとに何も聞いてない? 紅亜くんの双子の兄で若葉と幼なじみだよな?」

 龍之介君の吊り上がった目が、俺を責めている。
 いや、彼に悪気はない。
 若葉が心配なだけ、真相が知りたいだけなんだ。

 「本当に聞いてないんだ、ごめん」

 「若葉って自分が辛い状況に置かれても、他人を頼らないところがあるじゃん」

 「内に秘めてじっと耐えてたりするよね」

 「それでいて、俺たちいつメンのやっかいごとは首突っ込んで解決してくれるわけ。たまには恩返しさせろって思うじゃんか」

 胸の内を吐き出してスッキリしたのかヤンチャ笑顔を取り戻した龍之介君は、「昼休み邪魔してごめんな」と手をひらつかせ去っていった。



 ベンチのひじ掛けにひじをつき、手の甲にあごを乗せ、秋風で揺れる木々をぼーっと見つめる。

 ここ数日の紅亜と若葉の異変を「X+Y」としたとき、一番納得のいく最適解は「別れ」だ。

 でもそんなはずは、紅亜が若葉を手放すはずがない。
 子供のころから好きだった若葉に別れを告げるとは到底思えない。

 ということは、若葉が紅亜を振ったのか。
 あんなに紅亜に愛されてたのに。
 若葉だって、心から幸せそうな笑顔を紅亜に向けていたじゃないか。

 どうせ些細なケンカの真っただ中とか、そういうおちだろう。
 仲直りをしたら二人の愛が深まりましたっていう、恋愛の王道パターンに決まっている。
 

 真相を確かめたくなってスマホを取り出す。
 メッセージアプリを開き、若葉あてにメッセージを送ろうとした指が止まった。

 なんと無意味なことを。
 記憶喪失になって以降、パスワードを忘れた若葉はスマホが開けない。
 メッセージを送ったところで読むことなんてできないというのに。

 使えないスマホを胸ポケットにねじこむ。
 何も考えたくなくて瞳を閉じたが、違和感を察知した脳がもう一度スマホを握れと訴えはじめた。
 再び若葉のメッセージ画面を開き、一心不乱に指でスクロールする。

 若葉が記憶喪失になる直前に俺が送ったすべてのメッセージに、既読がついてる。
 見間違いなんてことはない。
 俺の網膜が鮮明に文字を捕えているんだ。
 
 スマホが使えるようになったんだね。
 ロック解除の番号を思い出したということは、記憶が戻った、もしくは記憶の一部分だけが蘇ったというだろう。
 
 ――どちらにしろ良かった。

 自分のスマホをじんわりと温まっていく心臓に押し当てる。
 ただ好きな人の回復を心から喜べる優しい王子様でいられたのは、たった数秒だった。

 ――若葉、なんで?

 俺の中に住み着く荒ぶった感情の悪魔が、心に尖った槍を突き刺してくる。

 なんで俺に返事をくれないの?
 俺と付き合っていた幸せな日々全てを、思い出したわけではないのかもしれない。
 でも付き合っていた頃に送りあっていた甘ったるいメッセージをすべて読めば、俺たちが恋人同士だった真実にたどり着けたはずでしょ?
 
 今すぐ若葉にメッセージを届けたい。
 でもなんて送ればいいんだ。

 俺は若葉ともう一度付き合いたい。
 紅亜を捨てて、俺のところに帰ってきて欲しい。
 
 渦巻く女々しい感情は、結局文字化できなかった。
 サクランボとバニラがのったメロンクリームソーダのスタンプで、若葉への執着をほのめかす。

 速攻でついた既読。
 若葉が俺の送信に気づいてくれた証拠だ。

 迷惑だったかな。
 無視されたら嫌だな。

 傷つきたくないハートが、最悪な未来を先回りで予測してしまう。
 心臓が痛みだし、呼吸が荒くなり、楽になりたくて強めに胸をさする。
 
 その時、スマホの画面に若葉からのメッセージが現れた。
 焦点を文字に合わせるも、俺が漏らしたのは落胆のため息だった。

 連続で届いたメッセージで、さらに心臓が打ちのめされるとはね。
 若葉は俺の心臓を、千本の憎しみの矢が突き刺さっても出血すらしないダイヤモンドか何かだと勘違いしてない?
 さすがに傷ついたんだけど、立ち直れないくらいにね。

 文字というものは心臓をえぐる凶器にもなりえると、18年間生きてきて初めて知った。
 絶望で目の前が真っ暗だ。
 ベンチに座っていなかったら、敗北したボクサーのように地面に崩れ落ちていただろう。

 勝手に呼吸が荒くなる。 
 唇を強くかみしめても、心の痛みは全くごまかせない。

 画面に浮かび上がっていたのは、俺のことが嫌いと訴えている悲しい文字羅列だった。


(僕の記憶が戻らなければ良かったって思ってるでしょ)

(安心して、もう甘音くんのことも紅亜くんのことも好きじゃないから)



 
 悔しさで緩む涙腺。
 口に広がる血の苦さが、俺の敗北を訴えてくる。

 若葉の記憶が戻って欲しいとこの世で一番つよく願っていたのは、間違いなく俺なんだよ。
 
 俺たちが結ばれたあの日を、恋人として過ごした幸せで甘酸っぱいあの1か月を、それらの記憶さえ戻れば若葉はまた俺を選んでくれるかもしれない。
 紅亜と別れ、俺の隣で嬉しそうにメロンクリームソーダを飲んでくれるかもしれない。
 宝物が奪われた絶望まみれの日々を生きるなか、俺の胸を灯してくれていたのはかすかな希望だったんだ。

 極度の悲しみと怒りが混ざり合うと感情は怪物になると、本で読んだことがある。

 今の俺は明らかに冷静さを欠いている。
 若葉がどう思うかなんて考えられない。
 俺の恋心をわかって欲しい。
 若葉を奪われどれだけ傷ついたか気づいてほしい。

 もう一度俺を好きになってよ。 
 言ってくれたのに、俺のことが大好きで俺を幸せにしたいって。
 
 若葉に伝えたい想いは抱えきれないくらいある。
 手に負えない醜い感情も、爆発しそうなほど膨れ上がっている。
 暴れ狂う悲しみと怒りを鎮圧できないまま、俺は若葉にメッセージを返した。

 (俺も若葉のことなんか好きじゃない)


 興奮状態だった。
 若葉に嫌われているという現実が悲しすぎた。
 若葉が俺の隣にいてくれないなら、未来なんてどうでもいいと投げやりになっていた。


 既読がついたかの確認をせず、スマホの電源を落とす。

 もういい。
 若葉なんてどうでもいい。
 この先絶対に恋なんてしない。
 失恋地獄を味わうのは二度とごめんだ。

 初恋が完全に終わりを告げたと俺にわからせるように、大音量で流れる予鈴が耳を傷めつけてきた。

 若葉がいる教室に戻りたくない。

 現実世界に絶望した俺の足は、校舎に入ったあと教室とは反対の図書室を目指す。

 そして俺は人生で初めて、授業を無断でさぼるという元生徒会長としてあるまじき行動をとってしまった。