☆若葉side☆
「今度の日曜日さ、クラスのみんなでお疲れ様会をやることになったけど行くよな?」
いつメンの翔太くん龍之介くん大地くんに誘われた。
「カラオケの大部屋の予約とれたって」
「仕事が早いうちの学級長、まじ神だわ」
うちのクラスは球技大会でなんと総合2位。
一度はっちゃけないと静まらないお祝いムードが教室に充満していて、友達とワチャワチャするのが好きな僕も「もちろん行く!」と上機嫌で手を上げたものの、ただですね、心配なことがあってですね……
群れを嫌う僕の彼氏様が『楽しんでおいで』と、快く送り出してくれるのでしょうか。
付き合いだしてわかった紅亜くん特有の独占欲。
わかりやすくベタベタいちゃいちゃしてこないが、嫉妬心が膨れ上がると目と眉がさらに吊りあがる。
紅亜くんなりの愛情表現なんだよねと微笑ましくもあるけれど、嫉妬心の尖りが僕以外に向くのは避けたいところ。
夕暮れの帰り道、気まずさを噛みしめながら隣を見上げる。
表情を引き締め歩く紅亜くんの向こうには茜空が広がっていて、ワイルド美男子と夕焼けのコラボ写真をネットにあげたらバズりそうだなと現実逃避をしてみたり。
そろそろお疲れ様会のことを切り出さなきゃ。
家に着いちゃうその前に。
空と地面を交互に見る挙動不審男子に気づいた紅亜くんが歩みを止めた。
「なに?」
鋭い視線で見下ろされ、焦りで足が固まる。
「並んで歩いてるみたいだなって……夕日に染まる魔王様と……」
うわっ、とんでもない失礼ワードが口から飛び出しちゃった。
悪口?と言いたげに鋭く光った紅亜くんの目。
慌てて首と両手を横振りする。
違うよ、最大級の誉め言葉だよ。
アニメの中の魔王様って、僕にはない威厳とダークフェロモンを兼ね備えているでしょ。
カッコいいな、男らしさをわけ与えてもらえないかなって。
ないものねだり発言だったとはいえ、魔王様じゃなくてせめて王子様にしておけばよかったかも。
「なにそれ」と不機嫌声が届き、やってしまったと肝が冷える。
「えっとね、悪い意味じゃなくてね……」
さらに高速で両手を振るも、紅亜くんの表情は険しさが増すばかり。
「僕にはワイルドな色気がないから、うらやましいなって……」
怒鳴られるのを覚悟で目をつぶった僕の肩に、紅亜くんの腕が絡みついた。
抱きしめられてる?
さらに強く引き寄せられ、低身長の僕のひたいが紅亜くんの頬に沈み込む。
ダイレクトに伝わりあう熱。
鼻腔をくすぐる制汗剤のさわやかな香り。
ちょっとだけ荒っぽい紅亜くんの吐息。
どれもが恋愛初心者の僕の平常心を狂わせる。
待って、恥ずかしい、なんか無理。
目が回るほど強烈なドキドキに襲われ顔が熱いよ。
脈というのは、一定のリズムを保つのが責務だよね。
きみが体内で誤作動を起こし始めたせいで、平常心まで逃げ出しちゃったの。
代わりに羞恥心が僕の心を我がもの顔で占拠しているの、どうにかして。
『彼氏に抱きしめられているだけ。恋人同士なんだから当たり前の行為』と心臓に言い聞かせるも、早鐘を打つスピード勝負中の僕の心臓は、肌から逃げ出しそうな勢いでバコバコと飛び跳ねている。
いきなりのゼロ距離は心臓に悪いよ。
ここは外、放課後の帰り道、周りに同じ制服を着たうちの生徒がいないとはいえ、たまに車が僕たちが立ち止まっている歩道の横をビューンと通り過ぎていくわけだし。
「……紅亜くん」と弱りながらつぶやいたのは、せめて人目につかないところに行こうよと言いたかったから。
「急に名前を呼ぶな」
「え?」
「爆弾を落とすな、俺の心臓を過信するな」
照れ声を茜空に突き刺しながらも、紅亜くんは僕を優しく抱きしめてくる。
爆弾がなんのことかわらかない。
紅亜くんだって、僕の心臓を過信しないでほしい。
僕は人と付き合うのが初めてなんだ。
ドキドキに耐えうるメンタルトレーニングなんか積んでこなかったんだから。
抱きしめられたまま、恐る恐る見上げてみた。
予想外すぎる紅亜くんの表情は、心臓を穏やかにする薬に頼りたいほど僕のハートを暴れさせる。
恥ずかしそうに歪む口元を腕で隠しながら耳まで真っ赤に染まっているなんて、僕の魔王様はなんてかわいいんだろう。
羞恥心で揺れる漆黒の瞳と視線が絡まった。
「今は余裕がない、キョトン目で俺を見るな」
ダークをまとう普段の紅亜くんとの可愛さギャップに、再び僕の心臓がしびれ狂う。
「好きな奴から急にほめられると、心臓がバグるって言ってんの」
「あぁもう!」と気まずそうに頭をかいた紅亜くんは「バイバイするまで若葉の顔が見れなくなった」と眉頭をよせ、僕に絡ませていた腕をほどき一人歩き出してしまった。
「ちょっと待って」
小走りで好きな人の背中を追いかける。
制服の上からでも鍛えているのがわかる背中は、なんて頼りがいがあるんだろう。
後ろから抱き着いて癒されたい。
そんなことをしたらまた、紅亜くんが照れ吠えしちゃうかな。
紅亜くんの半歩後ろをキープしながら、恋という名のときめきでハートが虹色に満たされていく。
――好きな人。
そう、僕は紅亜くんが好きなんだ。
幼なじみという関係には戻れない、戻りたくない。
紅亜くんの恋人という唯一無二の特等席を、僕だけが占拠し続けたい。
高校を卒業しても、社会人になっても、おじいちゃんになってもずっとずっと。
記憶とともに消えてしまった恋心を取り戻せたことが、嬉しくてたまらない。
紅亜くんからの告白をオッケーした時の僕も、今みたいな幸せに浸っていたんだろうな。
達成感で心が高揚し、なんともいえないくすぐったさで頬がゆるんでしまう。
子供のころから抱き続けてきた甘音くんへの想いは、初恋の思い出写真となってセピア色に色あせた。
虹色に輝く恋心は、紅亜くんだけにうずく恋愛仕様に生まれ変わってくれた。
愛おしいなと、紅亜くんの背中を見つめながら思う。
言葉にするのが恥ずかしくて、半歩後ろから紅亜くんの袖をつまんでみた。
彼の長い脚が止まり、僕の足も急ブレーキをかけたように地面を踏みしめる。
「見られても若葉が困らないなら」
そっと差し出された大きな手のひら。
俺がこんな甘いことをするなんてと言いたげに目をそらす彼の手が、明らかに僕を欲している。
照れながらも僕自身を求めてくれたことが嬉しくてたまらない。
僕がわんこなら、大好きなご主人様にしっぽ乱振りで飛びついて、顔をなめまわしていただろう。
人間は控え目が大事、甘い雰囲気に流されちゃダメだ。
わんこの求愛行動はまだ僕たちには早いと自分に言い聞かせ、笑顔で紅亜くんの手を握りしめた。
夕日に照らされた僕たちの関係を長い影が物語っている。
道路に浮かび上がっている二人の影はまさに恋人同士。
心臓がくすぐったい。
手を繋いでいるだけなのにドキドキが胸を圧迫してくるから、この痛みから逃げたいような浸り続けていたいような相反する感情に支配されてしまう。
綺麗な夕日を眺めながらふと思った。
以前の僕なら、外で男子と手をつなぐなんてできなかった。
他人の目が怖い。
変な噂を流されないか、悪口を言われないか。
心配ばかりが膨らみ臆病になっていた。
あの時だってそうだ。
昼休みの屋上でのこと。
『俺は学校のみんなに言いたいよ、若葉は俺の恋人ですって』
悲しそうに瞳を揺らす甘音くんに
『絶対にイヤ』
僕はきっぱりと断ったんだ。
でも今の僕は、あの時の僕とは違う。
紅亜くんに愛されている自信が、僕を大胆にしてくれる。
恥ずかしさが心を食い尽くしていると思いきや、ドキドキを味わいたい想いの方が強いんだ。
多少の人の目くらい気にしないでいられるようになったのは、間違いなく紅亜くんのおかげだね。
恋ってすごいな、マイナスな性格まで変えちゃうんだもん。
心が逃げ出しちゃうくらい恥ずかしくなったりもするけど、そのドキドキが快感に変わり、僕の心に幸福のシャワーを降らせてくれる。
紅亜くん、僕を恋人として選んでくれてありがとう。
僕に歩みを合わせてくれる紅亜くんを横目でちらり。
勝手に頬が緩みだしたのは、さりげない優しさで心がいっぱいになったから。
ストレートな言葉でほめたたえたら、また照れ吠えしちゃうんだろうな。
「なに? ニヤニヤして」
ぶっきらぼうで問われ、フフと笑みを返した。
「僕の恋人は夕日が似合うなって思って」
スキップするように跳ねる恋心に従って紅亜くんの手をさらに強く握りしめた僕だったけれど……
あれ?
キラキラなスポットライトを浴びる舞台から、いきなり闇夜の深海に蹴落とされたような息苦しさに襲われ歩みを止める。
時間さでまとわりついてきた、不気味さをまとった灰色の違和感。
屋上? 恋人? 甘音くん?
背中が震えだし、心が闇色に染まりだし、紅亜くんと繋がっているのが怖くなり自ら手を離した。
なにこの自動再生される記憶は。
知らないよ、でも鮮明に思い出せるんだ。
僕と甘音くんはお昼休みの屋上で軽い喧嘩をした。
僕は逃げ出して、階段を駆け下りて。
相変わらず僕を無視の紅亜くんとすれ違ったところでステップを踏み外して、「若葉!」という悲鳴に近い紅亜くんの声が耳に届いて。
頭に激痛が走って、痛みに耐えられなくて、もう無理と意識が遠のいていって……
【1】【7】【8】【2】
目を覚ませと4つの数字が僕の脳裏に浮かび上がってくる。
「どうした?」と心配声が届いたけれど、紅亜くんに笑顔を返す余裕なんてない。
178.2センチ。
そうだ、甘音くんの身長だ。
慌ててカバンからスマホを取り出す。
何かにとりつかれたように指で数字を選ぶと、画面ロックが解除された。
記憶がなくなって初めてだ、開けなくなっていた自分のスマホの中身をのぞくのは。
呼吸すら忘れメッセージアプリのアイコンをタップする。
未読の数がダントツに多い甘音くんからのメッセージを開いてみた。
指で勢いよくスクロールして過去に戻り、一文ずつ脳に送り込む。
僕がスマホにくぎ付けの間、隣に立つ紅亜くんは一言もしゃべらなかった。
重いため息だけが耳に届いたが構ってはいられない。
視覚のみに集中して文字を目に焼き付けていく。
何かがこみあげてきた。
それはけして綺麗とはいえない、マグマのように熱くドロドロとした醜い感情そのもの。
読み進めるたびに、紅亜くんへの不信感が募ってしまう。
失っていた記憶は、欠けたピースがはまるように脳内で次々に埋められていく。
全てを思い出したと自覚したころには、悔しさで握りしめたこぶしの震えが止まらなくなっていた。
記憶喪失になる前、僕は甘音くんと付き合っていた。
狭いテントの中、メロンクリームソーダのバニラが溶けだす中、勇気を振り絞って子供のころからの想いを甘音くんに伝えた。
お姫様抱っこをされた。
甘音くんも僕を好きだと言ってくれた。
一方通行だった恋心に甘音くんからの赤い糸が絡みついて、初恋が実った幸福感で涙が出そうになって。
思い出した過去をどんなに振り返っても、僕と紅亜くんが付き合った形跡はない。
告白をされてもいない。
高校で再会してからずっと無視されていただけ。
それなのになんで紅亜くんは、僕と恋人同士だなんて嘘をついたの?
甘音くんだって酷いよ。
言ってくれればよかったのに、僕たちは1か月前から付き合ってましたって。
でも本当のことを言わなかった理由がわかる。
記憶喪失になる前、僕は甘音くんに酷い態度をとってしまった。
付き合っていることを公表したいと言われ、絶対に嫌だと断った。
僕を喜ばそうと計画してくれていた付き合って1か月記念のデートをすっぽかしてしまった。
無神経な僕に嫌気がさしたんだろう。
自己中で身勝手な僕と比べ、新生徒会長として頑張り屋な鈴ちゃんが可愛く見えたに違いない。
鈴ちゃんを好きになってしまった、どうしようもなかった、そんなところだろう。
「思いだしたんだな、全部」
うつむく僕の頭にふりかかった乱暴なため息。
鼻頭がツンとうずき、「なんで?」と悲しみが漏れた。
「甘音を傷つけたかった。若葉を奪えはあいつの悔しそうな顔が拝めると思った。ただそれだけ」
紅亜くんは夕焼け空に視線を逃がしながら、面倒くさそうに頭をかいている。
僕は双子の兄弟げんかに巻き込まれただけだった。
紅亜くんに愛されていたわけじゃなかったし、甘音くんも僕との縁が切れてせいせいしているに違いない。
「大嫌いになっちゃった……メロンクリームソーダ……」
もう二度と飲みたくないし、瞳に映したくもない。
こみあげてくる悲しみを押し殺し、泣きそうな顔でなんとか微笑んだ僕は
「だからもう……僕に関わらないでね……」
涙がこぼれる前に、嘘つきな幼なじみの前から走り去った。
「今度の日曜日さ、クラスのみんなでお疲れ様会をやることになったけど行くよな?」
いつメンの翔太くん龍之介くん大地くんに誘われた。
「カラオケの大部屋の予約とれたって」
「仕事が早いうちの学級長、まじ神だわ」
うちのクラスは球技大会でなんと総合2位。
一度はっちゃけないと静まらないお祝いムードが教室に充満していて、友達とワチャワチャするのが好きな僕も「もちろん行く!」と上機嫌で手を上げたものの、ただですね、心配なことがあってですね……
群れを嫌う僕の彼氏様が『楽しんでおいで』と、快く送り出してくれるのでしょうか。
付き合いだしてわかった紅亜くん特有の独占欲。
わかりやすくベタベタいちゃいちゃしてこないが、嫉妬心が膨れ上がると目と眉がさらに吊りあがる。
紅亜くんなりの愛情表現なんだよねと微笑ましくもあるけれど、嫉妬心の尖りが僕以外に向くのは避けたいところ。
夕暮れの帰り道、気まずさを噛みしめながら隣を見上げる。
表情を引き締め歩く紅亜くんの向こうには茜空が広がっていて、ワイルド美男子と夕焼けのコラボ写真をネットにあげたらバズりそうだなと現実逃避をしてみたり。
そろそろお疲れ様会のことを切り出さなきゃ。
家に着いちゃうその前に。
空と地面を交互に見る挙動不審男子に気づいた紅亜くんが歩みを止めた。
「なに?」
鋭い視線で見下ろされ、焦りで足が固まる。
「並んで歩いてるみたいだなって……夕日に染まる魔王様と……」
うわっ、とんでもない失礼ワードが口から飛び出しちゃった。
悪口?と言いたげに鋭く光った紅亜くんの目。
慌てて首と両手を横振りする。
違うよ、最大級の誉め言葉だよ。
アニメの中の魔王様って、僕にはない威厳とダークフェロモンを兼ね備えているでしょ。
カッコいいな、男らしさをわけ与えてもらえないかなって。
ないものねだり発言だったとはいえ、魔王様じゃなくてせめて王子様にしておけばよかったかも。
「なにそれ」と不機嫌声が届き、やってしまったと肝が冷える。
「えっとね、悪い意味じゃなくてね……」
さらに高速で両手を振るも、紅亜くんの表情は険しさが増すばかり。
「僕にはワイルドな色気がないから、うらやましいなって……」
怒鳴られるのを覚悟で目をつぶった僕の肩に、紅亜くんの腕が絡みついた。
抱きしめられてる?
さらに強く引き寄せられ、低身長の僕のひたいが紅亜くんの頬に沈み込む。
ダイレクトに伝わりあう熱。
鼻腔をくすぐる制汗剤のさわやかな香り。
ちょっとだけ荒っぽい紅亜くんの吐息。
どれもが恋愛初心者の僕の平常心を狂わせる。
待って、恥ずかしい、なんか無理。
目が回るほど強烈なドキドキに襲われ顔が熱いよ。
脈というのは、一定のリズムを保つのが責務だよね。
きみが体内で誤作動を起こし始めたせいで、平常心まで逃げ出しちゃったの。
代わりに羞恥心が僕の心を我がもの顔で占拠しているの、どうにかして。
『彼氏に抱きしめられているだけ。恋人同士なんだから当たり前の行為』と心臓に言い聞かせるも、早鐘を打つスピード勝負中の僕の心臓は、肌から逃げ出しそうな勢いでバコバコと飛び跳ねている。
いきなりのゼロ距離は心臓に悪いよ。
ここは外、放課後の帰り道、周りに同じ制服を着たうちの生徒がいないとはいえ、たまに車が僕たちが立ち止まっている歩道の横をビューンと通り過ぎていくわけだし。
「……紅亜くん」と弱りながらつぶやいたのは、せめて人目につかないところに行こうよと言いたかったから。
「急に名前を呼ぶな」
「え?」
「爆弾を落とすな、俺の心臓を過信するな」
照れ声を茜空に突き刺しながらも、紅亜くんは僕を優しく抱きしめてくる。
爆弾がなんのことかわらかない。
紅亜くんだって、僕の心臓を過信しないでほしい。
僕は人と付き合うのが初めてなんだ。
ドキドキに耐えうるメンタルトレーニングなんか積んでこなかったんだから。
抱きしめられたまま、恐る恐る見上げてみた。
予想外すぎる紅亜くんの表情は、心臓を穏やかにする薬に頼りたいほど僕のハートを暴れさせる。
恥ずかしそうに歪む口元を腕で隠しながら耳まで真っ赤に染まっているなんて、僕の魔王様はなんてかわいいんだろう。
羞恥心で揺れる漆黒の瞳と視線が絡まった。
「今は余裕がない、キョトン目で俺を見るな」
ダークをまとう普段の紅亜くんとの可愛さギャップに、再び僕の心臓がしびれ狂う。
「好きな奴から急にほめられると、心臓がバグるって言ってんの」
「あぁもう!」と気まずそうに頭をかいた紅亜くんは「バイバイするまで若葉の顔が見れなくなった」と眉頭をよせ、僕に絡ませていた腕をほどき一人歩き出してしまった。
「ちょっと待って」
小走りで好きな人の背中を追いかける。
制服の上からでも鍛えているのがわかる背中は、なんて頼りがいがあるんだろう。
後ろから抱き着いて癒されたい。
そんなことをしたらまた、紅亜くんが照れ吠えしちゃうかな。
紅亜くんの半歩後ろをキープしながら、恋という名のときめきでハートが虹色に満たされていく。
――好きな人。
そう、僕は紅亜くんが好きなんだ。
幼なじみという関係には戻れない、戻りたくない。
紅亜くんの恋人という唯一無二の特等席を、僕だけが占拠し続けたい。
高校を卒業しても、社会人になっても、おじいちゃんになってもずっとずっと。
記憶とともに消えてしまった恋心を取り戻せたことが、嬉しくてたまらない。
紅亜くんからの告白をオッケーした時の僕も、今みたいな幸せに浸っていたんだろうな。
達成感で心が高揚し、なんともいえないくすぐったさで頬がゆるんでしまう。
子供のころから抱き続けてきた甘音くんへの想いは、初恋の思い出写真となってセピア色に色あせた。
虹色に輝く恋心は、紅亜くんだけにうずく恋愛仕様に生まれ変わってくれた。
愛おしいなと、紅亜くんの背中を見つめながら思う。
言葉にするのが恥ずかしくて、半歩後ろから紅亜くんの袖をつまんでみた。
彼の長い脚が止まり、僕の足も急ブレーキをかけたように地面を踏みしめる。
「見られても若葉が困らないなら」
そっと差し出された大きな手のひら。
俺がこんな甘いことをするなんてと言いたげに目をそらす彼の手が、明らかに僕を欲している。
照れながらも僕自身を求めてくれたことが嬉しくてたまらない。
僕がわんこなら、大好きなご主人様にしっぽ乱振りで飛びついて、顔をなめまわしていただろう。
人間は控え目が大事、甘い雰囲気に流されちゃダメだ。
わんこの求愛行動はまだ僕たちには早いと自分に言い聞かせ、笑顔で紅亜くんの手を握りしめた。
夕日に照らされた僕たちの関係を長い影が物語っている。
道路に浮かび上がっている二人の影はまさに恋人同士。
心臓がくすぐったい。
手を繋いでいるだけなのにドキドキが胸を圧迫してくるから、この痛みから逃げたいような浸り続けていたいような相反する感情に支配されてしまう。
綺麗な夕日を眺めながらふと思った。
以前の僕なら、外で男子と手をつなぐなんてできなかった。
他人の目が怖い。
変な噂を流されないか、悪口を言われないか。
心配ばかりが膨らみ臆病になっていた。
あの時だってそうだ。
昼休みの屋上でのこと。
『俺は学校のみんなに言いたいよ、若葉は俺の恋人ですって』
悲しそうに瞳を揺らす甘音くんに
『絶対にイヤ』
僕はきっぱりと断ったんだ。
でも今の僕は、あの時の僕とは違う。
紅亜くんに愛されている自信が、僕を大胆にしてくれる。
恥ずかしさが心を食い尽くしていると思いきや、ドキドキを味わいたい想いの方が強いんだ。
多少の人の目くらい気にしないでいられるようになったのは、間違いなく紅亜くんのおかげだね。
恋ってすごいな、マイナスな性格まで変えちゃうんだもん。
心が逃げ出しちゃうくらい恥ずかしくなったりもするけど、そのドキドキが快感に変わり、僕の心に幸福のシャワーを降らせてくれる。
紅亜くん、僕を恋人として選んでくれてありがとう。
僕に歩みを合わせてくれる紅亜くんを横目でちらり。
勝手に頬が緩みだしたのは、さりげない優しさで心がいっぱいになったから。
ストレートな言葉でほめたたえたら、また照れ吠えしちゃうんだろうな。
「なに? ニヤニヤして」
ぶっきらぼうで問われ、フフと笑みを返した。
「僕の恋人は夕日が似合うなって思って」
スキップするように跳ねる恋心に従って紅亜くんの手をさらに強く握りしめた僕だったけれど……
あれ?
キラキラなスポットライトを浴びる舞台から、いきなり闇夜の深海に蹴落とされたような息苦しさに襲われ歩みを止める。
時間さでまとわりついてきた、不気味さをまとった灰色の違和感。
屋上? 恋人? 甘音くん?
背中が震えだし、心が闇色に染まりだし、紅亜くんと繋がっているのが怖くなり自ら手を離した。
なにこの自動再生される記憶は。
知らないよ、でも鮮明に思い出せるんだ。
僕と甘音くんはお昼休みの屋上で軽い喧嘩をした。
僕は逃げ出して、階段を駆け下りて。
相変わらず僕を無視の紅亜くんとすれ違ったところでステップを踏み外して、「若葉!」という悲鳴に近い紅亜くんの声が耳に届いて。
頭に激痛が走って、痛みに耐えられなくて、もう無理と意識が遠のいていって……
【1】【7】【8】【2】
目を覚ませと4つの数字が僕の脳裏に浮かび上がってくる。
「どうした?」と心配声が届いたけれど、紅亜くんに笑顔を返す余裕なんてない。
178.2センチ。
そうだ、甘音くんの身長だ。
慌ててカバンからスマホを取り出す。
何かにとりつかれたように指で数字を選ぶと、画面ロックが解除された。
記憶がなくなって初めてだ、開けなくなっていた自分のスマホの中身をのぞくのは。
呼吸すら忘れメッセージアプリのアイコンをタップする。
未読の数がダントツに多い甘音くんからのメッセージを開いてみた。
指で勢いよくスクロールして過去に戻り、一文ずつ脳に送り込む。
僕がスマホにくぎ付けの間、隣に立つ紅亜くんは一言もしゃべらなかった。
重いため息だけが耳に届いたが構ってはいられない。
視覚のみに集中して文字を目に焼き付けていく。
何かがこみあげてきた。
それはけして綺麗とはいえない、マグマのように熱くドロドロとした醜い感情そのもの。
読み進めるたびに、紅亜くんへの不信感が募ってしまう。
失っていた記憶は、欠けたピースがはまるように脳内で次々に埋められていく。
全てを思い出したと自覚したころには、悔しさで握りしめたこぶしの震えが止まらなくなっていた。
記憶喪失になる前、僕は甘音くんと付き合っていた。
狭いテントの中、メロンクリームソーダのバニラが溶けだす中、勇気を振り絞って子供のころからの想いを甘音くんに伝えた。
お姫様抱っこをされた。
甘音くんも僕を好きだと言ってくれた。
一方通行だった恋心に甘音くんからの赤い糸が絡みついて、初恋が実った幸福感で涙が出そうになって。
思い出した過去をどんなに振り返っても、僕と紅亜くんが付き合った形跡はない。
告白をされてもいない。
高校で再会してからずっと無視されていただけ。
それなのになんで紅亜くんは、僕と恋人同士だなんて嘘をついたの?
甘音くんだって酷いよ。
言ってくれればよかったのに、僕たちは1か月前から付き合ってましたって。
でも本当のことを言わなかった理由がわかる。
記憶喪失になる前、僕は甘音くんに酷い態度をとってしまった。
付き合っていることを公表したいと言われ、絶対に嫌だと断った。
僕を喜ばそうと計画してくれていた付き合って1か月記念のデートをすっぽかしてしまった。
無神経な僕に嫌気がさしたんだろう。
自己中で身勝手な僕と比べ、新生徒会長として頑張り屋な鈴ちゃんが可愛く見えたに違いない。
鈴ちゃんを好きになってしまった、どうしようもなかった、そんなところだろう。
「思いだしたんだな、全部」
うつむく僕の頭にふりかかった乱暴なため息。
鼻頭がツンとうずき、「なんで?」と悲しみが漏れた。
「甘音を傷つけたかった。若葉を奪えはあいつの悔しそうな顔が拝めると思った。ただそれだけ」
紅亜くんは夕焼け空に視線を逃がしながら、面倒くさそうに頭をかいている。
僕は双子の兄弟げんかに巻き込まれただけだった。
紅亜くんに愛されていたわけじゃなかったし、甘音くんも僕との縁が切れてせいせいしているに違いない。
「大嫌いになっちゃった……メロンクリームソーダ……」
もう二度と飲みたくないし、瞳に映したくもない。
こみあげてくる悲しみを押し殺し、泣きそうな顔でなんとか微笑んだ僕は
「だからもう……僕に関わらないでね……」
涙がこぼれる前に、嘘つきな幼なじみの前から走り去った。


