紅亜くんと冗談を飛ばしあっていた初秋も過ぎ、あっという間に来てしまいました、球技大会当日が。

 クラス別、男女別、学年ごちゃまぜなこの大会。
 男子の目玉競技はサッカーのはずなんだけど――

「この試合は絶対に見逃せないよね」

「甘音先輩と紅亜先輩の双子対決はどっちが勝つかな。肉体派の紅亜先輩か、頭脳派連係プレイの甘音先輩か」

 3オン3の初戦、なんと僕のチームと紅亜くんのチームが激突することになってしまったんです。
 トーナメント決めのくじを引いたのが僕なので、自分を責めるしかないんだけど。

 観客の数が多すぎじゃない?
 ただの一回戦目だよ。
 体育館の壁際にも2階の窓を開けるための通路にも人、人、人。

 みんな自分の試合は大丈夫? 
 僕たちの試合を見届けたいがために、自分の試合は出場放棄なんて無責任な行為はやめてね。

「試合前に気持ちを一つにしようか」

 同じチームの甘音くんがこぶしを顔の前に突き出したから、僕と元バスケ部の永井くんも同じようにげんこつを突き出す。

「俺たちなら勝てるよ、頑張ろう!」

「オー!」

 円陣を組んだ僕たちの中心で、3つの拳がぶつかり合った。

 背番号入りの白いビブスのすそを握りしめコートへ。
 応援に集まっているみんなからの視線にビビっている僕は、緊張で心臓が押しつぶされそうになっている。
 
 わかってるよ、みんなが瞳に映しているのは僕じゃない、紅亜くんと甘音くんだってことくらい。

 でもね、コートに6人しかいないってことは僕も見られちゃうってことで。
 足を引っ張っるのが丸わかりってことで――

 わっ、試合が始まっちゃった。
 必死にボールを追いかけなきゃ。

「若葉!」

 コートを縦に走りながら、甘音くんからのパスをキャッチ。
 ……したつもりになっていたのは手のひらだけという残念さ。
 固いボールの感触は一切ない。

「悪いな」

 悪っぽく微笑み、僕に通るはずだったボールを片手で奪ったのは紅亜くんだった。
 そのまま3回ドリブルをして、華麗にジャンプ。
 ボールは綺麗な弧を描き、見事ゴールに吸い込まれていく。

「きゃぁあぁぁ、紅亜先輩かっこいい!」

 客席が甲高い悲鳴で沸き上がっている中、僕はうなだれてしまった。
 敵と味方を合わせて6人がこのコートで汗を流しているが、僕だけレベルが低い。

 運動は嫌いじゃない。
 ドリブルもシュートも人並みだと思う。
 そう、僕だけが人並みなんだ。
 他の5人がうますぎるんだ。

 元バスケ部員3人はうまくて当たり前だし、紅亜くんと甘音くんは子供のころからなんでも起用にこなしてしまう。
 

「やっぱり我が弟は強敵だな」

 額の汗を拭うだけでも、キレイ系の甘音くんは絵になる。

 「作戦があるんだけど」

 同じチームの永井くんがコートの外でスポーツドリンクを喉に流し込んでいるなか、甘音くんは僕だけに微笑んだ。

「涼しい顔でシュートをバンバン決める紅亜のメンタルを、派手に壊してやろうかと思って」

 なっなんか怖いよ、甘音くんの王子様スマイル。
 優しい瞳が闇に染まっているような。

 甘音くんは僕の耳に唇を近づけ、オルゴールみたいな癒し声でとんでもない提案をしてきたから、目が飛び出しそうになっちゃった。

「本気で言ってる? 本当にやらなきゃダメ?」

「クラスのために勝ちたいならね」

「……じゃあ……甘音くんの言うとおりにするけど」

 ……本当に大丈夫かな。


 心配で緊張がせりあがるなか、試合が再開。
 ドリブル中の僕から簡単にボールを奪った紅亜くんがスピードドリブル、豪快にダンクシュートを決めた。

「紅亜くん、かっこよすぎなんだけど」

 応援コーナーは泣きわめくような悲鳴が沸き起こっている。

 どや顔で僕を見た紅亜くんだったけれど、表情筋が瞬間冷凍されてしまったらしい。
 驚いたような怒っているような顔で固まっている。
 それもそのはず――

「若葉、気にしなくていいよ。次頑張ろう」

 片腕で僕を抱き寄せた甘音くんが、僕の頭を優しくなで始めたから。

 身長差があるせいで、僕の頬が甘音くんの鎖骨あたりに沈み込んでいる。
 同性といえど公衆の面前で片腕抱きをされるのは、さすがに恥ずかしい。
 たくさんのギャラリーに見られているわけだし。

 「若葉、この後もバンバン紅亜を動揺させていくよ」

 僕から離れた甘音くんの笑顔が、まぶしいことまぶしいこと。

 敵からボールを奪った永井くんと甘音くんの連携がすごい。
 パス攻めでゴールに近づき、今度は甘音くんがリングにボールを納めた。

 普段はおっとりの優しい甘音くんが男らしいシュートを決めたから、彼のギャップに悶え苦しむ女子が続出している。

 永井くんと甘音くんが「イェイ」とグータッチを交わした。
 「すごい~」とはしゃぎながら甘音くんに駆け寄る。

 身長の高い甘音くんにハイタッチしたくて両手を出しながら背伸びをしようとしたけれど、甘音くんはほんと気遣い屋さんだな。
 僕に合わせてかがんでくれている。

 二人の顔の前でお互いの両手が重なった。
 いつもは僕が見上げているのに、目線の高さが同じせい?
 甘音くんの顔が目の前にあって異常にドキドキする。

「うわっ、ちょっと!」

 ハイタッチで済むと思ったのに、なんで繋がっちゃったかな。
 甘音くん、僕の手のひらに指を絡ませないでよ。
 僕だけを瞳に映して、にっこり微笑まないでよ。

 「若葉のために、次も俺がシュートを決めるからね」

 甘音くんはさらに笑顔を甘くして、僕の頭をポンポン。
 僕の黒髪に指を絡めたのち、ご機嫌でコート中央に走って行っちゃったんだけど、僕は笑顔なんて作れない。

 記憶喪失になる前の僕だったら、甘音くんの笑顔を独占してるだけでハートがルンルンに飛び跳ねていたと思うよ。
 甘音くんに絶賛片思い中だかったら。

 でも今は、ただただ怖いと言いますか……
 背中に突き刺さっている鋭い視線が、恐怖すぎると言いますか……

 現実を知るのが怖いなか、恐る恐る振り返る。

 ひぃえぇぇ!
 ゾンビに遭遇したときなみに全身が震えちゃった。

 紅亜くんがわかりやすいくらいご機嫌斜めなんですけど。
 目も眉も吊り上がっていて、怒りの視線がギラギラと突き刺さってくるんですけど。

 甘音くんの考えた【紅亜を嫉妬させよう作戦】は、効果ありありみたいです。

 彼女を可愛がるように甘音くんが僕にボディタッチをするたびに、紅亜くんのシュート決定率が下がっていったんだけど、点数は追いつかず結局僕のチームは負けてしまいました。

 惜しいという点差でもない。
 足を引っ張っていたのは僕だという事実は、得点ボードが証明している。

「甘音くんごめんね、僕がもっとバスケがうまかったら1回戦敗退なんてしなかったのに」

「若葉のせいじゃないよ、俺が紅亜を止められなかったから」

 相変わらず、甘音くんは誰に対しても優しいな。

「甘音くんは完ぺきだったよ。ドリブルしてシュートして僕のフォローまでして。それなのに僕は敵にボールを取られてばっかりで」

 膝に手をつきうなだれる僕の背中に手のひらがのった。

「完璧な俺は若葉の一番にはなれない?」

 震えまじりの辛そうな声。
「どういう意味?」と驚き、慌てて顔を上げる。

「なんでもない、今のは忘れてね」

「でも……」

 なんでもないって顔をしてないじゃん。
 つらい思いをしていますって、不安げに揺れる瞳が物語っているよ。

 甘音くんのことが心配でたまらない。
 悩みがあるなら相談して欲しい。
 
 心を癒したくて伸ばした僕の手は、甘音くんの腕には届かなかった。

「もう若葉は試合に出ないよな」

 強い力で紅亜くんに手首を掴まれたから。

「次の試合の俺専属世話係っつーことで、若葉をもらってくわ」

「若葉と紅亜はクラスが違うでしょ。若葉は今から俺とクラスメイトの応援に行くんだよ」

 紅亜くんと甘音くんは睨みあっていて、今にも兄弟げんかが勃発しそうな空気。

「なぁ若葉、今の試合のMVPは?」

 筋肉がのった男らしい紅亜くんの腕が、僕の首に絡みついてきた。

 オドオドしながら甘音くんの顔色を窺いつつ「紅亜くん、すごかったね」と弱弱しく答える。

「じゃあ若葉の恋人は?」

「もちろん……紅亜くん……だけど……」

「だよな。そんなオマエは、俺と甘音のどっちに従うわけ?」

 今はクラス対抗球技大会の真っただ中。
 自分のクラスメイトの応援に行かなきゃいけないことはわかっている。

 でも僕は今、ある所から突き刺さる視線におびえているんだ。
 それは紅亜くんのものでも甘音くんのものでもない。
 体育館の壁際に立ち、甘音くんに熱い視線を送る黒髪ロングの美女。
 そう、生徒会長で甘音くんの彼女でもある(すず)ちゃんからの視線。

 試合中に何度も彼女と目が合った。
 僕を恨むような敵対心ギラギラな視線だった。

 3オン3に勝つための作戦とはいえ、試合中、甘音くんとベタベタしすぎだったよね。
 鈴ちゃんごめんね、君の彼氏を奪おうなんてしていないから安心してね。

「若葉早くグラウンドに行こう、うちのクラスのサッカーの試合が始まっちゃう」

 甘音くんに手首を掴まれた。
 鈴ちゃんへのアピールも兼ね、オーバー気味に甘音くんの手を払いのける。

「僕の分まで応援してきて、僕は紅亜くんの試合を見たいから」

「……若葉」

「紅亜くん体育館の外に行こう。次の試合まで、屋根がある涼しいところで体を休めたほうがいいと思うし」

「ってことだから、甘音またな」


 甘音くんが辛そうな瞳で僕を見つめている。

 なんでそんな顔をするの?
 甘音くんには鈴ちゃんがいるでしょ。
 二人は付き合っているんでしょ。

 初恋相手の心の中を知りたい気持ちをグッと飲み込んで、僕は今彼の背中を追いかけた。