☆甘音side☆
壁の向こうが気になってしょうがない。
隣の紅亜の部屋には今、若葉が遊びに来ている。
お家デート中なのだろう。
何を話しているかまでは聞き取れないが、弾むような笑い声は元カレの声で間違いない。
元カレか……
不快極まりない呼び方だな。
まぶたに手の甲を押し当て、自分の部屋のベッドに寝ころぶ。
【幼なじみ】【クラスメイト】【元カレ】
若葉と俺の関係が、たった3ワードで説明ができてしまう切なさよ。
悲しみを消し去りたくて、若葉のイメージカラーでもあるメロンソーダ色のクッションをギューギュー抱きしめてみた。
癒しなんて得られない。
敗北感と虚しさが増しただけ。
――若葉は俺の恋人だったのに、紅亜にとられるなんて。
ナイフでえぐられたように、胸がズキズキと痛みを増す。
『甘音くんの恋人にして欲しいってお願いしたら、僕のこと嫌いになっちゃう?』
1か月前、若葉に告白された。
俺と若葉は付きあい始めた。
それなのに――
『僕の恋人は紅亜くんだよ』
噓という不純物がいっさい含まれていない清らかな瞳の若葉に断言され、終わりを迎えてしまった俺の初恋。
恋人関係を爆破させる地雷を踏んだ覚えがあるだけに、自分を責めずにはいられない。
地雷を踏んでしまったのは今から一週間前、学校の屋上でのこと。
『俺たちが付き合ってることを学校の友達に打ち明けたいんだけど、ダメかな』
フェンスに手をかけ飛ぶ鳥を目で追っていた若葉に耳打ちしたところが、失恋地獄への出発点だった。
『えっ、友達に?』
肩が飛び跳ねるほどギョッと驚いた若葉。
『今日は付き合って1か月記念日だし、そろそろいいかなって』
髪を揺らしながらゆったりと微笑んでみたものの、若葉はこれでもかっていうくらい顔を左右にぶんぶんぶん。
『僕はいやだよ』
『なんで?』
『友達みんながいい人だっていうのは知ってるよ、みんな僕に優しいし。でも男同士で付き合ってるなんて伝えたら、なんて思われるかわからないでしょ。怖いよ、このままがいいよ……』
ここで俺は、若葉の不安に寄り添ってあげるべきだった。
(若葉が嫌がることはしないよ、若葉のことが大好きだからね)と、優しい王子様を演じきればよかった。
ただあの時の俺にそんな心の余裕はなく――
(明るくて楽しそうに笑う若葉の周りには、男女関係なく同級生が群がってくる。
若葉はちょっぴりドジで危なっかしさを持ちあわせた弟タイプだから、みんな若葉をかまいたくなったり助けてあげたくなったりするんだよ。
若葉を狙う女子が5人は存在するって気づいてる?
いやいや、まったく気づいてないよね)
危機感のなさが心配でたまらなかった。
若葉がほかの人にとられないか毎日気が気じゃなかった。
だからこそ俺は、付き合っていることを公表したかったんだ。
『俺は学校のみんなに言いたいよ、若葉は俺の恋人ですって』
『僕は絶対にイヤ』
『若葉だって言ってたでしょ。俺に告白してくる女子がゼロになればいいなって』
『甘音くんはモテすぎなんだもん』
『元生徒会長で同じ顔で人格真逆の紅亜がこの高校にいるから、知名度があるってだけ』
『僕たちが付き合ってることをみんなに内緒にしてくれるって、約束してくれたのに』
『なんで若葉は俺との関係を知られたくないの? 一生隠し通すつもり?』
『一生は……嫌だけど……』
若葉は屋上の柵を両手で握りしめながらうつむいてしまった。
辛そうな顔で口をぎゅっと閉じ、泣きそうな顔で体を震わせている。
そして薄い唇を少しだけ開いてぼそり。
『1か月記念日の放課後デート……今日……行くのやめとく……』
消えそうな声だけを残し、屋上から去ってしまった。
そのあと、午後の授業が始まっても若葉は教室に戻ってこなくて。
(さっきはごめんね)とスマホにメッセージを送ったが、既読にすらならず。
放課後、若葉のスクールバックを取りに来た先生を問い詰めた。
『先生、若葉はどうしたんですか?』
『昼休みに階段から転落した』
『えっ、転落?』
『今は病院にいる』
『病院って……若葉は大丈夫なんですよね?』
『いくら生徒会長……いや前生徒会長とはいえ、お前にこれ以上は話せない』
無理やり若葉がいる病院を聞き出し、全力で自転車をこいだ。
看護師さんに病室を聞き、一人部屋のドアをノックする。
『どうぞ』
若葉の声だ、普段通り明るい声。
安心して涙腺が緩みそうになったが、情けない顔を見られたくなくてギュっと表情を引き締める。
ドアを開け目に飛び込んできたのは、ベッドで上半身を起こす若葉の姿だった。
『若葉、大丈夫なの?』
『急いで僕のところに来てくれたでしょ。甘音くん、すごい汗だよ』
よかった、若葉が笑ってる。
『階段から落ちて頭を打ったって聞いたら俺、心配でたまらなくて』
『ごめんね、驚かせちゃったよね』
『若葉ごめん』
『なんで甘音くんが謝るの?』
『俺たちの関係を公表するって話はもういいから』
『言っちゃダメだった?』
『え?』
『同級生とかみんな知ってるよ』
驚きが強すぎて、思考が停止しかけた。
俺たちが付き合ってることを、若葉がたくさんの人に話したってこと?
でも今日のお昼休み、俺の前から逃げ出すほど若葉は嫌がっていた。
午後の授業が始まる前に若葉は階段から落ちたと先生が言っていたし、みんなに伝える時間はなかったと思うけど。
解けない謎に頭をひねる俺と対照的、若葉は純粋な笑みを浮かべている。
『誰に話したの?』と俺が聞けば、『たくさんいすぎて全員は覚えてない』と腕を組みながら首をひねりだして。
『みんなにはどんなふうに伝えたの?』
『僕と甘音くんは小6まで家が隣同士の幼なじみだよって』
ん、そっちのこと?
確かに俺たちは幼なじみだけど、俺が周知させたいのはそのことじゃなくて……
『若葉の恋人は……』とつぶやいた瞬間、若葉の頬が桜色に染まった。
『……そっそのことだけど……やっぱり聞いてるよね……甘音くんと紅亜くんは双子だし』
照れたように頭の後ろをさすりだした若葉に、違和感が強まる。
若葉は上目遣いで俺を見た。
恥ずかしそうにはにかみ笑いをうかべている。
覚悟を決めたようにこぶしを握りうなづくと、芯のある声で言い切った。
『僕の恋人は紅亜くんだよ』
頭が真っ白になった。
君の恋人は俺のはずでしょ。
若葉の両肩に手をかけ、頭をオーバーに揺すりたくなった。
荒々しい行動に出なかったのは、病室に来る前に寄ったナースステーションで言われたから。
『面会はできますが、患者さんを混乱させるような言動はしないように』と。
深呼吸をして、取り乱しそうな心を落ち着かせる。
ベッドサイドの椅子に座り、体ごと若葉の方を向いた。
若葉いわく、目が覚めたら病院のベッドの上にいたらしい。
直前の記憶を全く思い出せず、付き添っていた先生や紅亜が教えてくれたことを俺に話してくれた。
救急車が全て出動している状況で、階段から落ちて目を開けない若葉を先生が車で総合病院まで運んだこと。
事故の瞬間を見ていた紅亜が、医師への説明要員として同行したこと。
若葉は階段から落ちた覚えがまったくなく、この2か月くらいの記憶が丸ごと消え去っているんだとか。
若葉は本当に忘れてしまったの?
俺に告白をしてくれたよね。
この1か月、みんなには内緒でこっそり俺と付き合っていたでしょ。
問い詰めそうになった。
思い出してと若葉の体を揺すりそうになった。
でも看護師さんからの忠告を思いだし
(若葉の脳を混乱させちゃダメだ)
悔しさで唇をぎゅっと閉じる。
耳を塞ぎたくなったのは、若葉の口から俺の双子の弟・紅亜の話ばかりでてくるから。
『僕ね紅亜くんにものすごく迷惑をかけちゃったの。僕の意識が戻らない中、ずっと手を握っててくれたんだって』
高校で若葉と再会してから、若葉をずっと避けてきたあの紅亜が?
紅亜が若葉を好きだということは、小学校のころから気づいていた。
初恋をこじらせすぎてどう若葉と接していいかわからない紅亜のことを、恋にヘタレなあまのじゃくだなと斜め上から見下ろしていたのに、立場が逆転してしまうなんて。
『僕が階段から落ちた時、そばにいたのに助けられなくてごめんって紅亜くんに謝られたの。僕を睨んでばっかの紅亜くんが平謝りなんだもん、照れ吠えまじりだったけど。紅亜くんって人間拒絶体質っぽいけど、恋人には優しいんだね。愛されてるってことなのかな。アハハ、なんか彼氏のことを話したら恥ずかしくなってきちゃった』
病院着の袖で恥ずかしそうに口元を隠した若葉。
その照れ顔を俺は知っている。
愛おしいなと、今まで何度俺の頬が緩んだことか。
若葉が頬を恋色に染めるのは、俺に対してだけだと思っていた。
一生そうだったらいいなと願い続けてきた。
でも紅亜のことを思いだす若葉は、まさに恋する男子。
目の前にいる俺は、若葉の恋の瞳に全く映っていない。
悲しみに飲み込まれそうになる。
宝物を奪われた怒りで狂いそうになる。
ただ、今は冷静さを保たなければ。
一番大事なのは若葉の体だ。
感情まかせに問い詰めれば、若葉の脳が混乱する。
記憶が戻るどこか悪化の一途をたどり、記憶が改変される可能性だってある。
しょうがない、今は若葉の恋人の優しいお兄さんを演じ続けよう。
家に帰り、廊下ですれ違った紅亜の腕を掴んだ。
『紅亜、なんで若葉に嘘を吹き込んだの?』
いら立ちをぶつけるも、紅亜は不機嫌な顔で俺をにらみ逆ギレ。
『若葉の記憶がなくなる前から俺たちは付き合ってた。それが現実でそれが真実。なんか文句ある?』
『そんなはずは……』
『つーか放せよ、腕痛いんだけど。学校で微笑み王子なんて呼ばれてる元生徒会長がこんな野蛮で狂暴だって、なんで若葉も学校の奴らもわかんねーかな。おまえ詐欺師かよ』
紅亜は俺に口をはさむ機会を与えない。
『若葉は俺のだからな!』
俺の手を振り払うと、俺に背を向け歩き出し、ドアを開けバンとしめ、自分の部屋にこもってしまった。
――以上が、俺の初恋が灰と化した思い出したくもない悲しい出来事です。
思考を過去から現在にひき戻す。
隣の紅亜の部屋からは、相変わらず若葉の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
本当に付き合ってるんだな、あの二人。
若葉の記憶さえ戻れば、俺たちはまた恋人に戻れたりして……
いや、たぶんそれはない。
冷たい態度をとり続けてきたワイルド魔王に優しくされたら、恋人として本気で愛されたら、若葉はどうなるか。
紅亜の甘辛ギャップに恋落ちすることまちがいなし。
若葉の記憶が戻ったころには、若葉は紅亜のことが大好きでしかたがなくなっているだろう。
すでに今、若葉は紅亜に恋落ちしているかもしれないが。
紅亜のいじり声と混ざり合いながら、若葉の楽しそうな声が壁を越えてきた。
耳をそぎ落としたくなり、本を片手に部屋の外へ逃げる。
1階に降り、リビングのソファにお尻を沈ませ小説を開いた。
が、本の世界に入り込めない。
怒りと悲しみが心臓を連打してくる今、物語に浸る余裕なんて微塵もない。
本をローテーブルに置く。
目をつぶって視覚を遮断させた。
聴覚も麻痺させたい。
大音量ガンガンの音楽を耳に送りこもう。
ソファに座ったままワイヤレスイヤホンを取ろうと手を伸ばしたのに、なぜ装着前のこのタイミングでリビングに入ってくるかな。
「いたのかよ、まじ気分わりー」
ゴミを見るような冷酷な目で嫌味を言われた俺の方が、気分が悪いんだけど。
俺の宝物を奪った双子の弟を睨みかえす。
紅亜は俺から視線を外し、後方のキッチンに向かった。
冷蔵庫から取り出したのはメロンソーダのボトル。
グラスに注ぎ、バニラアイスを浮かべ、てっぺんに鮮やかなチェリーを乗せている。
メロンクリームソーダを2個作っているってことは、部屋に持っていって若葉と飲むつもりなんだろう。
若葉の好物を差し出して、彼氏としての好感度を上げる作戦か。
やることが低レベル……って言いたいところだけど、俺もか。
付き合っていた1か月間、俺もメロンクリームソーダを若葉につくってあげていたな。
小学生のころ、庭に広げたテントの中での出来事を思い出す。
出されたメロンクリームソーダを見て、若葉は嬉しそうに笑っていた。
『メロンクリームソーダって僕たちみたいじゃない? 僕がシュワシュワなメロンソーダで、優しい甘音くんはバニラアイス、一番上でキラキラしてる真っ赤なサクランボは紅亜くん。3人ずっと仲良しでいられるね』
小さいころから俺と紅亜は仲が悪い双子だった。
まぁ現在進行中だけど。
双子という関係が、俺たちに合わなかったんだと思う。
どっちが勉強ができる、運動会ではこっちが早かった。
双子というだけでありとあらゆることで比べられた。
負ければ自尊心が傷つくし、勝っても喜んでばかりはいられない。
この先追い抜かれないように努力し続けなきゃと、プレッシャーが増すばかりで。
俺も紅亜も、心の守り方がお互いを拒絶することだったんだろう。
双子なのにほとんど会話をしない、目も合わさない。
必要最低限の言葉を吐き捨て、相手の前から消える。
仲が悪い俺たちを結び付けていたのが、若葉だった。
小学校までは家が隣同士ということもあり、遊び場は若葉の家の庭か、雨でも平気な我が家のカーポートの下。
俺と紅亜は同じ空間にいたくない。
でも若葉とは遊びたい。
若葉としゃべりたい、笑顔が見たい、とびきり喜ばせたい。
だからしょうがなく、俺たち双子は若葉と遊ぶ時だけ一緒に過ごしたんだ。
「なに?」と睨まれ、キッチンに立つ紅亜に視線を送っていたことに今さら気がつく。
若葉のことで話がしたい。
ソファから立ち上がり、俺は紅亜の前に歩みを進めた。
キッチンカウンターごしに、冷たくて挑発的な視線を冷酷な双子の弟に突き刺す。
「記憶喪になった若葉に、嘘を吹き込んだでしょ」
「は?」
「紅亜と若葉は付き合ってなかったくせに」
「だったらなに?」
「恋人同士じゃなかったのことを認めるんだ。今の話、若葉に伝えてくる」
勝ったと思った。
これで若葉を取り戻せると心が躍った。
でも恋のライバルは俺の上を行くようで――
「病院で言われたろ、若葉の脳が混乱するようなことは言うなって」
「……」
「甘音ってさ、優しい王子様みたいな顔してるくせに若葉を地獄に突き落としたいんだな。あー怖い怖い」
紅亜は俺を挑発するように、冷めた目で手をヒラつかせている。
――若葉の脳が混乱する。
それを言われたら何もできない。
悔しさで唇をかみしめ、弱弱しい声を吐き出す。
「紅亜は気づいてなかった? 俺と若葉が付き合ってたこと」
「気持ち悪いくらいニヤケてたよな、あれで隠してるつもりだったのかよ」
「じゃあなんで、恋人同士だっていう嘘を若葉についたの?」
「過去なんてどうでもいい」
「え?」
「今、若葉の恋人はこの俺だ。部外者は俺たちに関わるな!」
敵意むき出しで声を荒らげた紅亜。
グラスの中をのぞきこむと
「アイス溶けてるわ、まっ極甘バニラなんてなくてもいいけど」
トレイにメロンクリームソーダを二つのせ、リビングから出て行ってしまいました。
はぁぁぁ、完全なる敗北だ。
悲しい、呼吸が苦しい、胸が痛くてたまらない。
どうやったら宝物を取り返せるのか、誰か教えてください。
壁の向こうが気になってしょうがない。
隣の紅亜の部屋には今、若葉が遊びに来ている。
お家デート中なのだろう。
何を話しているかまでは聞き取れないが、弾むような笑い声は元カレの声で間違いない。
元カレか……
不快極まりない呼び方だな。
まぶたに手の甲を押し当て、自分の部屋のベッドに寝ころぶ。
【幼なじみ】【クラスメイト】【元カレ】
若葉と俺の関係が、たった3ワードで説明ができてしまう切なさよ。
悲しみを消し去りたくて、若葉のイメージカラーでもあるメロンソーダ色のクッションをギューギュー抱きしめてみた。
癒しなんて得られない。
敗北感と虚しさが増しただけ。
――若葉は俺の恋人だったのに、紅亜にとられるなんて。
ナイフでえぐられたように、胸がズキズキと痛みを増す。
『甘音くんの恋人にして欲しいってお願いしたら、僕のこと嫌いになっちゃう?』
1か月前、若葉に告白された。
俺と若葉は付きあい始めた。
それなのに――
『僕の恋人は紅亜くんだよ』
噓という不純物がいっさい含まれていない清らかな瞳の若葉に断言され、終わりを迎えてしまった俺の初恋。
恋人関係を爆破させる地雷を踏んだ覚えがあるだけに、自分を責めずにはいられない。
地雷を踏んでしまったのは今から一週間前、学校の屋上でのこと。
『俺たちが付き合ってることを学校の友達に打ち明けたいんだけど、ダメかな』
フェンスに手をかけ飛ぶ鳥を目で追っていた若葉に耳打ちしたところが、失恋地獄への出発点だった。
『えっ、友達に?』
肩が飛び跳ねるほどギョッと驚いた若葉。
『今日は付き合って1か月記念日だし、そろそろいいかなって』
髪を揺らしながらゆったりと微笑んでみたものの、若葉はこれでもかっていうくらい顔を左右にぶんぶんぶん。
『僕はいやだよ』
『なんで?』
『友達みんながいい人だっていうのは知ってるよ、みんな僕に優しいし。でも男同士で付き合ってるなんて伝えたら、なんて思われるかわからないでしょ。怖いよ、このままがいいよ……』
ここで俺は、若葉の不安に寄り添ってあげるべきだった。
(若葉が嫌がることはしないよ、若葉のことが大好きだからね)と、優しい王子様を演じきればよかった。
ただあの時の俺にそんな心の余裕はなく――
(明るくて楽しそうに笑う若葉の周りには、男女関係なく同級生が群がってくる。
若葉はちょっぴりドジで危なっかしさを持ちあわせた弟タイプだから、みんな若葉をかまいたくなったり助けてあげたくなったりするんだよ。
若葉を狙う女子が5人は存在するって気づいてる?
いやいや、まったく気づいてないよね)
危機感のなさが心配でたまらなかった。
若葉がほかの人にとられないか毎日気が気じゃなかった。
だからこそ俺は、付き合っていることを公表したかったんだ。
『俺は学校のみんなに言いたいよ、若葉は俺の恋人ですって』
『僕は絶対にイヤ』
『若葉だって言ってたでしょ。俺に告白してくる女子がゼロになればいいなって』
『甘音くんはモテすぎなんだもん』
『元生徒会長で同じ顔で人格真逆の紅亜がこの高校にいるから、知名度があるってだけ』
『僕たちが付き合ってることをみんなに内緒にしてくれるって、約束してくれたのに』
『なんで若葉は俺との関係を知られたくないの? 一生隠し通すつもり?』
『一生は……嫌だけど……』
若葉は屋上の柵を両手で握りしめながらうつむいてしまった。
辛そうな顔で口をぎゅっと閉じ、泣きそうな顔で体を震わせている。
そして薄い唇を少しだけ開いてぼそり。
『1か月記念日の放課後デート……今日……行くのやめとく……』
消えそうな声だけを残し、屋上から去ってしまった。
そのあと、午後の授業が始まっても若葉は教室に戻ってこなくて。
(さっきはごめんね)とスマホにメッセージを送ったが、既読にすらならず。
放課後、若葉のスクールバックを取りに来た先生を問い詰めた。
『先生、若葉はどうしたんですか?』
『昼休みに階段から転落した』
『えっ、転落?』
『今は病院にいる』
『病院って……若葉は大丈夫なんですよね?』
『いくら生徒会長……いや前生徒会長とはいえ、お前にこれ以上は話せない』
無理やり若葉がいる病院を聞き出し、全力で自転車をこいだ。
看護師さんに病室を聞き、一人部屋のドアをノックする。
『どうぞ』
若葉の声だ、普段通り明るい声。
安心して涙腺が緩みそうになったが、情けない顔を見られたくなくてギュっと表情を引き締める。
ドアを開け目に飛び込んできたのは、ベッドで上半身を起こす若葉の姿だった。
『若葉、大丈夫なの?』
『急いで僕のところに来てくれたでしょ。甘音くん、すごい汗だよ』
よかった、若葉が笑ってる。
『階段から落ちて頭を打ったって聞いたら俺、心配でたまらなくて』
『ごめんね、驚かせちゃったよね』
『若葉ごめん』
『なんで甘音くんが謝るの?』
『俺たちの関係を公表するって話はもういいから』
『言っちゃダメだった?』
『え?』
『同級生とかみんな知ってるよ』
驚きが強すぎて、思考が停止しかけた。
俺たちが付き合ってることを、若葉がたくさんの人に話したってこと?
でも今日のお昼休み、俺の前から逃げ出すほど若葉は嫌がっていた。
午後の授業が始まる前に若葉は階段から落ちたと先生が言っていたし、みんなに伝える時間はなかったと思うけど。
解けない謎に頭をひねる俺と対照的、若葉は純粋な笑みを浮かべている。
『誰に話したの?』と俺が聞けば、『たくさんいすぎて全員は覚えてない』と腕を組みながら首をひねりだして。
『みんなにはどんなふうに伝えたの?』
『僕と甘音くんは小6まで家が隣同士の幼なじみだよって』
ん、そっちのこと?
確かに俺たちは幼なじみだけど、俺が周知させたいのはそのことじゃなくて……
『若葉の恋人は……』とつぶやいた瞬間、若葉の頬が桜色に染まった。
『……そっそのことだけど……やっぱり聞いてるよね……甘音くんと紅亜くんは双子だし』
照れたように頭の後ろをさすりだした若葉に、違和感が強まる。
若葉は上目遣いで俺を見た。
恥ずかしそうにはにかみ笑いをうかべている。
覚悟を決めたようにこぶしを握りうなづくと、芯のある声で言い切った。
『僕の恋人は紅亜くんだよ』
頭が真っ白になった。
君の恋人は俺のはずでしょ。
若葉の両肩に手をかけ、頭をオーバーに揺すりたくなった。
荒々しい行動に出なかったのは、病室に来る前に寄ったナースステーションで言われたから。
『面会はできますが、患者さんを混乱させるような言動はしないように』と。
深呼吸をして、取り乱しそうな心を落ち着かせる。
ベッドサイドの椅子に座り、体ごと若葉の方を向いた。
若葉いわく、目が覚めたら病院のベッドの上にいたらしい。
直前の記憶を全く思い出せず、付き添っていた先生や紅亜が教えてくれたことを俺に話してくれた。
救急車が全て出動している状況で、階段から落ちて目を開けない若葉を先生が車で総合病院まで運んだこと。
事故の瞬間を見ていた紅亜が、医師への説明要員として同行したこと。
若葉は階段から落ちた覚えがまったくなく、この2か月くらいの記憶が丸ごと消え去っているんだとか。
若葉は本当に忘れてしまったの?
俺に告白をしてくれたよね。
この1か月、みんなには内緒でこっそり俺と付き合っていたでしょ。
問い詰めそうになった。
思い出してと若葉の体を揺すりそうになった。
でも看護師さんからの忠告を思いだし
(若葉の脳を混乱させちゃダメだ)
悔しさで唇をぎゅっと閉じる。
耳を塞ぎたくなったのは、若葉の口から俺の双子の弟・紅亜の話ばかりでてくるから。
『僕ね紅亜くんにものすごく迷惑をかけちゃったの。僕の意識が戻らない中、ずっと手を握っててくれたんだって』
高校で若葉と再会してから、若葉をずっと避けてきたあの紅亜が?
紅亜が若葉を好きだということは、小学校のころから気づいていた。
初恋をこじらせすぎてどう若葉と接していいかわからない紅亜のことを、恋にヘタレなあまのじゃくだなと斜め上から見下ろしていたのに、立場が逆転してしまうなんて。
『僕が階段から落ちた時、そばにいたのに助けられなくてごめんって紅亜くんに謝られたの。僕を睨んでばっかの紅亜くんが平謝りなんだもん、照れ吠えまじりだったけど。紅亜くんって人間拒絶体質っぽいけど、恋人には優しいんだね。愛されてるってことなのかな。アハハ、なんか彼氏のことを話したら恥ずかしくなってきちゃった』
病院着の袖で恥ずかしそうに口元を隠した若葉。
その照れ顔を俺は知っている。
愛おしいなと、今まで何度俺の頬が緩んだことか。
若葉が頬を恋色に染めるのは、俺に対してだけだと思っていた。
一生そうだったらいいなと願い続けてきた。
でも紅亜のことを思いだす若葉は、まさに恋する男子。
目の前にいる俺は、若葉の恋の瞳に全く映っていない。
悲しみに飲み込まれそうになる。
宝物を奪われた怒りで狂いそうになる。
ただ、今は冷静さを保たなければ。
一番大事なのは若葉の体だ。
感情まかせに問い詰めれば、若葉の脳が混乱する。
記憶が戻るどこか悪化の一途をたどり、記憶が改変される可能性だってある。
しょうがない、今は若葉の恋人の優しいお兄さんを演じ続けよう。
家に帰り、廊下ですれ違った紅亜の腕を掴んだ。
『紅亜、なんで若葉に嘘を吹き込んだの?』
いら立ちをぶつけるも、紅亜は不機嫌な顔で俺をにらみ逆ギレ。
『若葉の記憶がなくなる前から俺たちは付き合ってた。それが現実でそれが真実。なんか文句ある?』
『そんなはずは……』
『つーか放せよ、腕痛いんだけど。学校で微笑み王子なんて呼ばれてる元生徒会長がこんな野蛮で狂暴だって、なんで若葉も学校の奴らもわかんねーかな。おまえ詐欺師かよ』
紅亜は俺に口をはさむ機会を与えない。
『若葉は俺のだからな!』
俺の手を振り払うと、俺に背を向け歩き出し、ドアを開けバンとしめ、自分の部屋にこもってしまった。
――以上が、俺の初恋が灰と化した思い出したくもない悲しい出来事です。
思考を過去から現在にひき戻す。
隣の紅亜の部屋からは、相変わらず若葉の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
本当に付き合ってるんだな、あの二人。
若葉の記憶さえ戻れば、俺たちはまた恋人に戻れたりして……
いや、たぶんそれはない。
冷たい態度をとり続けてきたワイルド魔王に優しくされたら、恋人として本気で愛されたら、若葉はどうなるか。
紅亜の甘辛ギャップに恋落ちすることまちがいなし。
若葉の記憶が戻ったころには、若葉は紅亜のことが大好きでしかたがなくなっているだろう。
すでに今、若葉は紅亜に恋落ちしているかもしれないが。
紅亜のいじり声と混ざり合いながら、若葉の楽しそうな声が壁を越えてきた。
耳をそぎ落としたくなり、本を片手に部屋の外へ逃げる。
1階に降り、リビングのソファにお尻を沈ませ小説を開いた。
が、本の世界に入り込めない。
怒りと悲しみが心臓を連打してくる今、物語に浸る余裕なんて微塵もない。
本をローテーブルに置く。
目をつぶって視覚を遮断させた。
聴覚も麻痺させたい。
大音量ガンガンの音楽を耳に送りこもう。
ソファに座ったままワイヤレスイヤホンを取ろうと手を伸ばしたのに、なぜ装着前のこのタイミングでリビングに入ってくるかな。
「いたのかよ、まじ気分わりー」
ゴミを見るような冷酷な目で嫌味を言われた俺の方が、気分が悪いんだけど。
俺の宝物を奪った双子の弟を睨みかえす。
紅亜は俺から視線を外し、後方のキッチンに向かった。
冷蔵庫から取り出したのはメロンソーダのボトル。
グラスに注ぎ、バニラアイスを浮かべ、てっぺんに鮮やかなチェリーを乗せている。
メロンクリームソーダを2個作っているってことは、部屋に持っていって若葉と飲むつもりなんだろう。
若葉の好物を差し出して、彼氏としての好感度を上げる作戦か。
やることが低レベル……って言いたいところだけど、俺もか。
付き合っていた1か月間、俺もメロンクリームソーダを若葉につくってあげていたな。
小学生のころ、庭に広げたテントの中での出来事を思い出す。
出されたメロンクリームソーダを見て、若葉は嬉しそうに笑っていた。
『メロンクリームソーダって僕たちみたいじゃない? 僕がシュワシュワなメロンソーダで、優しい甘音くんはバニラアイス、一番上でキラキラしてる真っ赤なサクランボは紅亜くん。3人ずっと仲良しでいられるね』
小さいころから俺と紅亜は仲が悪い双子だった。
まぁ現在進行中だけど。
双子という関係が、俺たちに合わなかったんだと思う。
どっちが勉強ができる、運動会ではこっちが早かった。
双子というだけでありとあらゆることで比べられた。
負ければ自尊心が傷つくし、勝っても喜んでばかりはいられない。
この先追い抜かれないように努力し続けなきゃと、プレッシャーが増すばかりで。
俺も紅亜も、心の守り方がお互いを拒絶することだったんだろう。
双子なのにほとんど会話をしない、目も合わさない。
必要最低限の言葉を吐き捨て、相手の前から消える。
仲が悪い俺たちを結び付けていたのが、若葉だった。
小学校までは家が隣同士ということもあり、遊び場は若葉の家の庭か、雨でも平気な我が家のカーポートの下。
俺と紅亜は同じ空間にいたくない。
でも若葉とは遊びたい。
若葉としゃべりたい、笑顔が見たい、とびきり喜ばせたい。
だからしょうがなく、俺たち双子は若葉と遊ぶ時だけ一緒に過ごしたんだ。
「なに?」と睨まれ、キッチンに立つ紅亜に視線を送っていたことに今さら気がつく。
若葉のことで話がしたい。
ソファから立ち上がり、俺は紅亜の前に歩みを進めた。
キッチンカウンターごしに、冷たくて挑発的な視線を冷酷な双子の弟に突き刺す。
「記憶喪になった若葉に、嘘を吹き込んだでしょ」
「は?」
「紅亜と若葉は付き合ってなかったくせに」
「だったらなに?」
「恋人同士じゃなかったのことを認めるんだ。今の話、若葉に伝えてくる」
勝ったと思った。
これで若葉を取り戻せると心が躍った。
でも恋のライバルは俺の上を行くようで――
「病院で言われたろ、若葉の脳が混乱するようなことは言うなって」
「……」
「甘音ってさ、優しい王子様みたいな顔してるくせに若葉を地獄に突き落としたいんだな。あー怖い怖い」
紅亜は俺を挑発するように、冷めた目で手をヒラつかせている。
――若葉の脳が混乱する。
それを言われたら何もできない。
悔しさで唇をかみしめ、弱弱しい声を吐き出す。
「紅亜は気づいてなかった? 俺と若葉が付き合ってたこと」
「気持ち悪いくらいニヤケてたよな、あれで隠してるつもりだったのかよ」
「じゃあなんで、恋人同士だっていう嘘を若葉についたの?」
「過去なんてどうでもいい」
「え?」
「今、若葉の恋人はこの俺だ。部外者は俺たちに関わるな!」
敵意むき出しで声を荒らげた紅亜。
グラスの中をのぞきこむと
「アイス溶けてるわ、まっ極甘バニラなんてなくてもいいけど」
トレイにメロンクリームソーダを二つのせ、リビングから出て行ってしまいました。
はぁぁぁ、完全なる敗北だ。
悲しい、呼吸が苦しい、胸が痛くてたまらない。
どうやったら宝物を取り返せるのか、誰か教えてください。


