☆紅亜side☆

 物を捨てるのは簡単だ。
 ペンがつかなくなったらゴミ箱に投げ込めばいい。

 でも恋心はそう簡単には捨てられない。
 自分の意志ではどうすることもできなくて。

 若葉が俺を恋人として選んでくれることはないとわかっているのに、若葉を好きだという想いは前世から受け継がれてきたと錯覚するほど強固な想いと化して俺のハートに浸透している。

 そりゃ若葉に嫌われるよ。
 子供のころからあいつが好きだったのは甘音だ。
 俺の知らぬ間に二人は付き合いだしていた。

 それなのに俺は、若葉が記憶喪失になったことをいいことに俺の恋人だと言い張った。
 甘音が病院に駆けつける前に、俺たちは付き合っていると若葉に信じこませた。

 ――大好きだったんだよ。
 ――若葉を奪える最後のチャンスだと思ったんだよ。

 嘘がバレたら若葉に幻滅されることは予想していたが、恋人として俺を見つめる若葉の瞳が愛おしすぎた。
 最悪な未来なんかどうでもいい、今はこの幸せに浸りたいと、自分の欲を優先してしまった。

 恋人として、一生若葉の隣にいたかったのにな。


 自分の部屋のベッドに寝ころんだまま、天井に向って手を伸ばす。
 掴みきれなかった幸せ、失ってしまった大好きな幼なじみ。

『紅亜くんすっごくおいしいよ、メロンクリームソーダを作ってくれてありがとう』

 初恋を捨てきれない女々しい俺を責めるように、恋人として若葉と過ごした幸せな時間がフラッシュバックしてくるのがしんどくてたまらない。
 はちきれそうな心臓の痛みに耐えられず、ギュっと目をつぶる。
 
 ベッドに仰向け状態で、歪む表情を覆い隠すように両手の甲を顔に押し当てた時だった。

「いるんでしょ、話がある」

 一番聞きたくない声の主が、ノックもせずに部屋のドアを開けたのは。


 敵侵入、最悪、お前の顔なんか見たくないっつーの。
 勢いよく体を起こし、ベッドから飛び降り、目も眉も吊り上げ戦闘モードへ。

「入っていいなんて許可していないんだが」と、腕組み仁王立ちの俺の鋭い眼光が目の前の甘音を射抜く。

 微笑み王子を脱ぎ捨てるほど怒り心頭なんだろう。
 甘音も甘音で冷酷な視線を俺に突き刺してきて。
 
「ねぇ、若葉と別れた?」

 情報入手、早っ。
 赤子の頃からこの家に潜むスパイかよ。
 我が家に安楽の場はないってことか、あぁムカつく。

「だったらなに」

「やっぱりそうなんだ」

「可愛い双子の弟を慰めに来たわけ? んなことしねーよな。高校のみんなに慕われてる大人気の微笑み王子は、双子の弟だけには般若顔で怒りながら暴力を振るうヤバい奴だし。今もこうして俺を睨んでさ」

 挑発交じりに微笑めば、甘音の怒りが増長することはお見通し。

「若葉は記憶を取り戻したんでしょ! なんで俺まで若葉に嫌われてるの? 意味が分からない!」

 ほら、ご名答。
 人生が終わりましたみたいな絶望顔で、怒り声を荒らげて。

 つーか、俺の肩から両手を放してくれない? 
 頭が前後にグワングワンなるぐらい揺すられて、首筋が痛いんだけど。
 慰謝料出せ、ついでにメンタルクリニック分も、若葉に嫌われたショックは過去一でデカいんだからな。


「聞く相手、間違ってるだろーが」と、掴まれていた腕を払う。
 甘音はひるまない。
 さらに睨みを利かし、顔の距離を詰めてきた。

「僕の記憶が戻らなければ良かったって思ってるでしょってなに? 安心して、もう甘音くんのことは好きじゃないってメッセが届いたけど、俺は何に安心すればいいの? 俺は紅亜よりも若葉のことが好きなんだよ。若葉が記憶喪失にさえなってなかったら、紅亜に奪われるなんてありえなかったのに」

 普段の冷静さと余裕はどこに行っちゃったよ。
 マシンガンのごとく和音羅列をドドドとぶつけてくる。

 そっか、オマエも若葉に嫌われたんだ。
 ご愁傷様。いい気味。甘音だけ幸せなんて許せねぇし。

「俺を恨むなら勝手にどうぞ。でもってお帰りはあちらのドアからどうぞ」

 薄ら笑いを浮かべ、執事のように軽く頭を下げながら手のひらでドアを指す。

 バカにしたような鼻笑いを吹きかけられ、失恋の傷をえぐられたんだろう。
 俺を睨みつける甘音の眼光はギトギトに燃えたぎっていて、怒りは消火不可能レベルに達している。

 でもまぁ、お前の怒り顔なんて怖くないんだ、ほんとごめんな。
 耐性がつきすぎてるっつーの。
 ここまで喧嘩しまくりの双子も珍しいよなっていうくらい生まれてから衝突しまくってきたんだから、当たり前って納得して部屋から出てってくれない?
 
 ガキの頃から俺らの喧嘩の原因は、若葉についてが多かった。
 双子だからいろんなことで出来不出来の優劣をつけられてムカつきましたっつーのもあるけど、好きな奴がらみが一番、嫉妬根が深いんだろう。

 甘音に若葉がとられた。
 若葉と笑いあっててムカつく。
 俺が若葉と遊ぶ約束をしたのに、なんでお前もいるんだよ。

 若葉を独占したい。
 俺だけが若葉の笑顔を生み出したい。
 若葉と俺の世界に誰も入りこまないで欲しい。

 行きつく先は【若葉が好き】という純粋な感情で、二人で同じ宝物を愛で、奪い合って、手に入らないと悔やんで、悲しみと敗北感をぶつけ合って。

 ほんと双子ってやっかいな人種。
 兄弟に干渉されない一人っ子が良かったわ、若葉みたいに。

 
「この部屋に居座りたいならどうぞご勝手に」と、あきれ顔で両手を広げる。

「でもって俺の分の宿題よろ、頼んだわ、成績学年トップの元生徒会長様には何の手ごたえもない問題ばっかでつまんねーと思うけど」

 甘音への拒絶を手のひらにこめ肩をぽん。

「オマエが吐いた空気を吸いこんでると思うと吐き気がするんで、じゃあ」

 嫌味節で会話しめくくり、ドアに向け歩き出した時だった。

「は? 逃げるとかありえないんだけど」

 俺の歩みを止めるほどの強い力で、肩を掴まれたのは。


 まじか。
 足の裏の踏ん張りがきかなかった。

 不意打ちなんてありかよ。
 甘音の手のひらの圧に抗えず、簡単に体が後ろに傾いていく。

 このまま倒れれば、固い床に背中強打はまぬがれない。
 敵が背を向けている時に襲うなんて卑怯な兄、マジで許せん。

 衝撃と痛みに耐えようと目をつぶる。
 も、背中が床にぶつかる直前で腕を掴まれギリセーフ。
 背中強打は免れたものの。

 は? 意味が分かんねーんだけど。
 
 勢いよく放り投げられ、俺の顔面がベッドに沈み込む。
 床に立てひざ状態で、窒息回避と布団から顔を離した。
 ふかふかマットレスだったからよかったものの、床に激突だったら流血騒ぎだっつーの。

 鼻筋が通った形のいい俺の鼻が折れてたら、整形代+慰謝料を請求してたいたとこだぞ。
 バイトもしてないおまえの貯金額じゃ払えないだろうな。

 小遣いもお年玉もすべて使い切る俺と真逆でコツコツ貯金が身についているお兄様の懐は、バイトなんかしなくても潤っているとは思うが、整形となったら額が額だし。

 なんてどうでもいいことを考えている場合じゃないと、現在の意識を脳に色濃くこすりつけ立ち上がる。
 
 甘音の襟を掴みかかとうと襲い掛かるクマのように両手を上げてみたが、今度はそう来たか。
 布を引きちぎられそうなほどの強い握力で服を掴まれたのは、俺の方だった。

 体が簡単に浮く。
 逆さになった足と頭。
 甘音の顔も俺の部屋も逆さに見えるわって、落下する、うわっ、背中痛っ。

 背負い投げ、一本、お見事!と、テレビ中継なら実況者が歓喜の雄たけびを上げていただろう。
 気づいたら俺はベッドの上に大の字になっていた。

 弟に向かって柔道の投げ技をきめこむ兄なんて、この世に存在するのか。
 いや、目の前にいるし、今されたし。
 数日前に体育の授業で習ったとはいえ、復習するの早っ。
 実践相手に選ばれたせいで、仰向けでベッドに倒れこんだじゃねーか。
 いくらマットレスに弾力があるって言ってもな、投げ飛ばされたら痛いんだよ。
 
 こいつマジ危ねぇ。
 ほんと許せねぇ。
 俺がお前よりも怖い存在だってことを思いしらせてやる!

 額の血管がブチりといきそうなほど、体中の血が怒りで膨張している。

「あ~~ま~~ね~~! き~~さ~~ま~~!!!」

 
 刺された恨みまみれの幽霊のように四つんばいで手を伸ばし、怒り声を甘音に突き刺す。

 一発ぶん殴らなきゃ気が済まない。
 復讐しようとベッドに立膝をついたまではよかったが、無表情な甘音に肩をはたかれ、バランスを崩した俺は背中からベッドに倒れこんでしまった。

 あっけにとられ、戸惑う視線が天井を捕えていたのに……は?

 一番見たくないキレイ顔のドアップが俺の視界全てを占拠して……は? はい?

 なんで俺の上に四つんばいで覆いかぶさってきてんだよ、甘音。
 俺はベッドで仰向け状態なんだぞ。
 体は密着していないとはいえ、兄弟でこれはありえないだろう―が!
 
 この状態は言わば、襲われシチュ。
 俺の顔の両横には甘音の手のひらがあって、真上には顔があり、いっ意味が分かんねーし。

 ベッドで襲われるシーンで仰向けのまま天井を見上げるのは、BLマンガでいうところの受けだよな。
 勘違いをするな、BLマンガなんて興味ゼロ。
 教室の隅でキャーキャー騒ぐ腐女子の会話が一匹狼の俺の耳に届くのは簡単で、必要のないBL知識を俺の脳に植え付けられたりするんだよ。

 にしても俺が受け? 弱キャラ?
 せめて攻めにしろ。
 孤高の魔王様と俺を呼ぶ奴もいるんだからな。

 ベッドで寝ころぶ俺の上に双子の兄が覆いかぶさっているという信じがたいリアルに、脳が誤作動を起こしている。

 逃がさないと言わんばかりのバカ力で、両腕を押さえつけられた。

 身動きがとれない。
 日々鍛えているこの俺が?

「はなせ、甘音!」

 体を揺すってもほどけないって、白タキシードが似合う細身の体のどこにこんなバカ力を隠してたんだよ!
 
 真上に迫る、甘音の闇落ちした怒り顔。
 一切笑わず、悔しそうに唇をかみしめながら俺を見下ろしてくる。

 きつく握りしめれらた拳が、甘音の顔の横に並んだ。
 弟の顔を殴る気かよ、そうですかそうですか、どうぞご勝手に。

 なにもかもがもうどうでもいいと下がる眉尻。
 俺の頬に人生のリセットボタンが埋め込まれていれば、甘音のパンチで生まれ変われるんだけどな。
 
 願うは甘音のいない世界。
 若葉を独占できる幸せ。
 その二つが手に入るなら、他は何も求めない。
 

「卑怯な手で甘音から宝物を奪った憎き弟の頬はここだぞ」

 開き直った俺は、あえて右頬を甘音の方に向ける。

「俺への怒りと若葉に嫌われた悲しみをこぶしに込め、渾身の一撃をどうぞ」

 俺の挑発に困惑したんだろう。
 攻撃的な性格の俺が、弱い部位を自ら差し出すなんて思わなかったのかもな。

「なっ」と目を見開いた甘音が、ひるんだように固まった。
 王子顔の横で、行き場をなくした拳が震えている。

 俺たち双子の間に流れる、気持ち悪い無言時間。
 甘音は苦しそうに唇をかみしめていて。

 どんな感情がオマエのハートを痛めつけているんだか。
 まっ、嫌いな奴の苦しみなんてどうでもいいけど。

「ほんと無理、俺の弟!」

 勢い余る甘音の拳が俺の顔スレスレを通りすぎ、マットレスに沈みこんだ。

「あぁ、ほんと無理なんだってば! 紅亜のことも、若葉のことも!」

 再び怒り声を上げながら敷布団を連打したかと思ったら、突然の電池切れ?
 
 全停止したロボットみたいに無表情で固まって、ようやく口が少しだけ開いたかと思ったら「……悪かった」とぼそり。

「八つ当たりした……ごめん……紅亜……」

 今にも倒れそうなほど真っ青な顔で、オロオロとベッドから降りている。

 甘音が俺に謝った?

 予想外すぎると、人間の体ってカチンコチンに固まるんだな。
 甘音につられて起き上がろうとしたけれど、背骨からスーっと力が抜け落ちて動けない。 

 ベッドに仰向けのまま首をひねる。
 敗北者のように背を丸める甘音が、なんとも惨めだこと。

 生徒会長として壇上に上がっていた時に放っていた、自信まみれのキラキラはどこに置いてきちゃったよ。
 やめてくれない、俺に弱さを見せるの。
 若葉に嫌われた時の情けない自分自身を見ているようで、尖った刃でえぐられたように心臓が痛みだすから。

 沸騰しそうになっていた体中の血液が冷えだした。
 怒りがマットレスに吸い込まれていく。

 不思議なのは、甘音に抱いていた感情が、怒りから同情にすり替わったこと。
 俺の脳に冷静さが流れ込み始め、体を起こしベッドに腰をしずめた。

 甘音は俺に背を向けただ立ち尽くすのみ。
 生気を奪い取られた地縛霊かよ。
 この部屋に邪気をしみこませるなよ。
 俺の運気がダダ下がりしたら、ただじゃ済まねーからな。

「座れば」

 俺の隣をポンポンと叩いたら

「紅亜にすすめられなくても座る気だったし」と弱気な生意気声が返ってきた。
 
 反論する気力はあるんじゃん、ほんとかわいくねぇと、好感度交じりのあきれ笑いが口角に宿る。

「じゃあ座れよ」

「やめて命令口調……弟のくせに子供のころから紅亜は上から目線で……」

「双子だろう―が。誕生日一緒だろーが。俺とオマエの間に上下関係は存在しないんだよ」

「でも俺の方が……先に生まれてきたし……」

「母親の腹の中で、出口に近いとこ陣取りやがって」

「紅亜にお兄さんづらされるのはごめんだったからね」

「こっちはな、18年間お前に兄貴づらされてムカつきまくって、全ての顔面パーツが吊り上がったんだよ、整形代を請求してやるからな」

「自分の顔、嫌いじゃないくせに」

 甘音は俺への文句をぶつけ終わると、ふてくされた顔で俺の隣にお尻を鎮めた。
 今のでストレス発散になったんじゃねーのかよ。
 顔に王子スマイルが戻るかと思いきや、苦しそうに表情を歪めながらまたうつむいて。
 痛々しい甘音を見ていられなくなり、視線を天井に逃がす。
 
 オマエも俺と同じなんだよな。
 若葉が好き。
 独占したい。
 誰にも奪われたくない。

 手に負えない感情や行き場をなくした想いを、誰かに気づいてほしい。
 でも一番わかって欲しいのは若葉で。

 人に甘えられなくて。
 でも若葉には甘えて欲しくて、若葉にだけは甘えたくて。

 情けない自分は見せたくない。
 カッコいい唯一無二の人間として若葉の瞳に映りたい。

 でも少しのことでこうやってもろいメンタルが崩れる本当の自分も知って欲しい。
 情けない部分もひっくるめて好きになって欲しい。

 ただただ、若葉に愛されたかっただけ。
 彼の一番になりたかっただけ。
 彼を喜ばせる方法を間違えただけ。


 肩を落として俺の隣に座ってる甘音さんよ。
 完璧元生徒会長の面がはがれてるわ、自己嫌悪中なのか両手で頭を抱えてるわで、なんとも情けない姿だこと。

 ふっ、まぁ悪くねーじゃん。
 うつむいたまま落ち込んで、絶望沼からはい上がれませんって曲がる背中がもの語ってて。

 普段のキラキラ王子より、なんか人間っぽいっつーか。
 パーフェクト生徒会長って言われてた甘音も、こんな無様に悲しむんだなっ思ったら親近感を覚えたっていうか。

 俺に初めて弱り切った姿を見せてくれたから、弱小アニマルにしか見えねーわ。
 全てのトゲを折られたハリネズミ? 
 うわっそっくり。
 甘音が戦闘不能のハリネズミに見えてしかたがない。
 アハハ、可愛いじゃん。

 勝手に緩む俺の口元。
 双子の兄をいじり倒したい。
 やんちゃ心が芽生え「あっ、泣いてる、情けな~」と、甘音の腕にひじを食い込ませる。

「泣いてはいない!」

 意地っ張りな声が返ってきて

「涙腺ゆるみまくってるくせに」と、堪えきれずに噴きだしてしまった。

「ほんと俺たちって双子だよな。頑固で意地っ張りなとこ、生まれる前に俺らのDNAに流し込まれた陰謀説を疑いたくなるんだけど。首謀者だれ? 神? 父親? 母親? どっちかなんてどうでもいい、兄弟げんか中にそんなこと考えてる俺が一番どうでもいいわ」

 ケラケラと俺のバカ笑いが部屋に充満している。
 違和感を覚えた甘音は、顔を上げずにはいられなかったんだろう。

「マジどうでもいいこと考えちゃったじゃねーか。全部甘音のせいな。マジ笑える、マジ腹痛い」とベッドが軋むほど豪快に笑った俺を、生きる気力を失った戸惑いの目がじっと見つめてくる。

 若葉を失った悲しみに耐えられませんっていう失恋顔、たまんねぇな。
 
 無性に楽しくてたまらない。
 甘音に対して心が弾むなんて生まれて初めてかもと気づいたら、余計にいたずら心が踊りだして。
 
 白い歯を見せながらイヒヒと笑う俺。
 首をかっさらう勢いで、隣に座る甘音の首に横から腕を巻きつけた。

「うげっ」

「アハハ、うげってなんだよ? 甘音は森に済む魔物だったのか、なんか納得だわ。童話の王子様はもっと品のある声でうめくしな」

 爆笑する俺の片腕の中で、甘音が悔しそうに唇をかみしめている。

「好きだった……大好きだった……若葉のことが……」

「ああ、知ってるよ」と腕をほどいた俺の顔から、一切の笑みが消えた。

 甘音の失恋の痛みを正確にくみ取れるのは、若葉に嫌われた俺だけか。
 同情心が沸き、真剣な表情で甘音の声に耳を傾ける。
 
「記憶をなくした若葉は俺と付き合っていたことまで忘れちゃって……若葉の恋人は俺なんだよって真実を伝えて紅亜から奪いたかったけど……怖くてたまらなくて……」

 若葉のためだよな。
 記憶が混乱しないように身を引いたんだよな。

「ほんと優しさの塊だよ、俺の兄上様は。自分の欲求よりも好きな相手のことを気遣ってさ。オマエは自分を犠牲にして人のために尽くせるっていう慈悲があるんだから、将来は七福神でも目指せば。八番目の神になって苦しむ民を救いたまえって」

 冗談を飛ばしたのは、重ぐるしい空気を消し去りたかったから。
 ちょっとでも甘音の気持ちが楽になればいいと、俺らしくもない慈悲が芽生えたってのもあるけど。
 でもそんなんじゃ甘音の悲しみはぬぐえないらしい。

「違う、俺はそんな優しい男じゃない!」

 真横から突き刺さったのは、涙を飛ばしながらの怒鳴り声だった。

「本当のことを伝えなかったのは若葉のためじゃない! 怖かったんだ。若葉の恋人は俺だったと真実を伝えて、紅亜を好きになっちゃったからごめんと突き放されるのが。紅亜と一緒にいる若葉が楽しそうに笑ってたから……俺と二人でいる時よりも幸せそうに見えたから……自信がなくて……これ以上傷つきたくなくて……」

 荒ぶった甘音の弱音が、涙と一緒に俺の部屋に溶ける。

 返す言葉がない。
 甘音もこれ以上何も訴えてこない。
 
 静寂の中、甘音の鼻をすする音だけがこだまする。
 再びうつむいた甘音は廃人のようにうなだれていて、俺は組んでいた足を左右入れ替え天井を見つめた。

 吊り上がりぎみの俺の目は、今まで何を見てきたんだろうな。
 生まれてからずっと、俺の脳は甘音を敵として認識していた。

 人に好かれる才能を俺の分まで全てかっさらって生まれてきたキラキラ人間、それが都守(ともり)甘音。

 おっとりにっこりの王子様笑顔は癒しの波動でも放ってんのかってくらい人を笑顔に変えれるし。
 頼りがいがあって、優しさの塊みたいなやつで。
 生まれてきた時代と世界と性別が違ったら、国や民を救う聖女になりえたんじゃねーのってほどの、パーフェクト人間。

 性格も思考も闇色に染まっている人間拒絶タイプの俺とは正反対。

 まぁ、クラスメイトや他人にどう思われようと、どうでもよかったよ。
 世界中の人間が俺を嫌っても、どうぞ勝手にって諦めてたし。

 ただ、若葉だけには好かれたかった。

 世界中の人間に嫌われてもいいから若葉だけは俺のものにさせろよって、神でも一国の王でもないくせに自分勝手なことを思ってたり。
 
 なぁ甘音、俺と同じ闇思考をお前も持ってんじゃね?
 どれだけ若葉のことが好きなんだよ。
 俺と同じとこまで闇落ちしてるなら、相当たちが悪いぞ、ほんと生きにくいぞ。
 
 あぁもう、やっぱり俺たちは双子なんだな。
 イヤになるけど、同じ血が通っているんだな。

 頑固で意地っ張りな恋しかできない不器用なとこ、たった一人しか愛せないことで生まれる苦しみ。
 俺の悲しみをわかってくれるのは甘音しかいないし、甘音にとっても俺しかいないんだろう。
 
 それに気がついた今、オマエと語り合いたくなってきた。

 若葉に対しての綺麗な想いだけじゃない、ドロドロで醜くて人には曝せない感情までお互いあぶり出してさ。
「わかるわ、マジつらいよなそれ」とか言って、夜通し共感しあうわけ。

 若葉のことなら、甘音は一晩じゅう語りつくせるだろ? 
 俺の部屋を使っていい。
 なんなら、若葉との思い出が詰まったメロンクリームソーダも作ってやる。

 フッ、俺たち双子初のパジャマパーティーを想像したら、心が弾みだしちゃったじゃねーか。

 心臓がくすぐったい。
 でもこのざわつきは嫌いじゃない。
 落ち込んだままの俺の隣に座っている甘音を見て、可愛い奴と思えるくらいには頬が緩んでるし。

「今夜作戦会議な」

 すがすがしい笑顔で立ち上がった俺につられたのか、甘音の視線が上向きになった。
 
「何の作戦?」

 潤んだ目で問われ

「若葉に好かれたいだろ?」

 兄弟の立場逆転、お兄さん笑顔で甘音の柔らかい髪をくしゃらせる。

「甘ったるいバニラ増し増しで、メロンクリームソーダを作ってやる。夕飯食べて風呂出たら俺の部屋に集合な!」

 俺はもう一度甘音の髪をくしゃくしゃにかき乱すと、ヤンチャ笑顔を悲しみでうなだれている甘音に晒し、自分の部屋を後にした。