窓の外で揺れる木々の葉が、午後の日差しを柔らかく揺らしている。

 放課後の図書室は、いつもと変わらず静かで、心地いい空気が満ちていた。

 白鷺紬は、窓際の席で一冊の文庫本を膝の上に広げていた。

 指先でページをそっとめくりながらも、読み進めるペースはゆっくりだった。
 
 物語の内容が頭に入ってこないわけじゃない。

 ただ、本の世界に浸りながら、どこか現実の世界を遠ざけているような、そんな感覚に身を任せていた。

 誰とも話さない放課後は、彼女にとって安心できる時間だった。

 教室ではいつも、誰かの声や笑い声が飛び交っていて、居場所がわからなくなる。

 話しかけようとしても、喉の奥に言葉が引っかかって、何も出てこない。

 だから紬は、ひとりでいることを選ぶようになった。

 静けさの中に身を置いていれば、自分を隠さなくて済むから。
 
 そのときだった。

 「――あ、それ、俺も読んだことある」

 突然かけられた声に、紬の肩が小さく跳ねた。

 本を持つ手にぎゅっと力が入る。

 おそるおそる顔を上げると、そこには、どこか飄々とした雰囲気の男子が立っていた。

 制服のネクタイは少し緩んでいて、額にかかった前髪の隙間から、優しげな目がこちらを見ていた。

 (……誰?)

 見たことはある気がする。

 同じ学年、隣のクラスだったはず。

 名前……風間くん、だっただろうか。

 でも、話したことなんて一度もない。

 むしろ、自分に声をかけてくるなんて、何かの間違いじゃないかと思った。

 「面白いよね、その本。なんていうか……静かだけど、ちゃんと心に残る」

 男子──風間湊は、紬の手元の文庫本に目を向けて、穏やかに微笑んだ。

 その笑顔は、気を許した友達に向けるような、自然でやさしいものだった。

 紬は、口を開こうとして、うまく言葉が出なかった。

 喉の奥がぎゅっとつまる。何か返さなきゃと思うのに、声にならない。

 「あ……あの、」

 かろうじて出た声は、蚊の鳴くような小ささだった。

 でも、それを聞き取った湊は、さらにふっと目を細めて笑った。

 「うん、また今度話そっか」

 それだけ言うと、湊は軽く手を振って、ふわりと図書室を後にした。

 ぽかんと口を開けたまま、紬はしばらくその場から動けなかった。

 鼓動がやけに早い。

 さっきまでの静寂が、どこか違って感じられる。

 (なんだったんだろう……)

 それだけのやりとり。
 
 でも、紬の中に、今まで感じたことのない何かがふわっと広がった。

 ほんの少しだけ、胸の奥があたたかくなって、ざわざわして、落ち着かない。

 でも、それは不快じゃなかった。

 本の文字を追っても、湊の声が頭の中で何度もリピートされる。

 「その本、俺も読んだことある」

 「また今度話そっか」

 ただそれだけなのに、どうしてこんなに気になるんだろう。

 ページを開いたまま、視線を落としたまま、紬はそっと自分の胸に手を当てた。

 (……変だな)

 けれど、その“変だな”という感覚が、どこか少し嬉しかった。