*


 テーマ 「綺麗ごとじゃない青春」
 名前 相川 美優(あいかわ みゆう)
 
 綺麗ごとじゃない青春なんて、無いと思いました。


*


 「じゃあこの前提出してもらったプリント返すぞー。まず相川」

 「はい」

 「相川、課題はしっかり取り組んでおいたほうがいいぞ。もうすぐ受験なんだからな」

 国語の授業で返されたプリントは、この前の課題だった作文だ。
 評価は“A・B・C”のうち、“C”だった。“B”にですら届かなかった私の答案は、誰が見ても酷いものだ。

『テーマ 「綺麗ごとじゃない青春」
 名前 相川 美優
 
 綺麗ごとじゃない青春なんて、無いと思いました』

 これは作文というより、ただの短文だろう。自分でも評価が悪いことは分かりきっていたことだった。
 でも私は、自分の気持ちに嘘を吐くことができない。だから思ったことをそのまま、このプリントに書いただけ。
 
 青春って、何だろうか。
 小さい頃に思い描いていたものとは、全く違った。
 青春というのは、友達との人間関係や部活などで、思いきり楽しむことだと思っていた。今しかないその瞬間を、キラキラ輝いているものだと。
 ……ううん、本当はそれが正解なんだと思う。ただわたしだけ、そんなふうにはなれないだけで。
 わたしは、青春というものを知らないのだ。

 「美優、何考えてるのー?」

 「どした?」

 「……ごめん。明日のテストが嫌だなーって思ってただけ」

 休み時間になると、友達(仮)が話しかけてくる。
 綾香(あやか)と、莉奈(りな)だ。
 ふたりは中学校が一緒だったらしく、仲が良い。入学式で、ひとりぼっちだったわたしに声を掛けてくれた。
 でも、わたしはふたりに対して、正直苦手意識がある。

 「あ、そうだ、莉奈聞いた? 今度中学のみんなで集まろうってさ」

 「うっそ、マジで? でも結局そういうのって幹事がいないと話進まないよね」

 「それあるあるだよねー。あ、あたしたちが幹事になっちゃう?」

 「え、いいじゃーん。グルラ作ろ」

 ……また、始まった。
 いつもこうやって、わたしの知らない話ばかりをされる。
 しかも何故か、わたしの机に座りながら。
 耳を塞ぎたくなる。けれどそんなことしてしまったら、わたしはまたひとりぼっちになるだろう。
 ふたりと一緒にいるのは居心地が悪いけれど、ひとりだと思われるのも嫌だ。だからわたしは、何もできずにいる。

 「てか聞いてよー。めっちゃ大事な話があるの!」

 「え、なになに? ……待って、まさかだけど、彼氏できたとか!?」

 「さすが親友、その通りでございます」

 「きゃー!! おめでと!! リア充か、羨ましいわー」

 ……大事な話だというから真剣に聞くつもりだったのに、損した。
 綾香に彼氏ができた話なんて、わたしにとってはどうでもいい。関係ない。
 でも友達に彼氏ができたときの反応は、莉奈のような反応が正解なんだろう。

 「……おめでと、綾香。すごいね。同い年?」

 「美優ありがとー。そうそう、同じテニス部でさ。前から気になってくれてたみたいで!」

 「テニス部はモテ女が多いねー。さすがだわ」

 バスケ部に所属している莉奈がため息を吐く。
 恋人ってそんな大事なことだろうか。パートナーがいないのってそんな寂しいことだろうか。
 まだ一度も恋をしたことがないわたしは、恋愛のことなんて全く分からない。

 「じゃあさ、今度合コンしようよ!! 彼氏の友達紹介してあげるからさ。あ、美優はそういうの興味ないよね?」

 わたしはチクリと胸が痛む。
 合コンに興味がないというのは事実。だけど、わたしを除外するために言った言葉なのが分かるから、少し胸が痛んだだけ。

 「……うん、そうだね。ごめん」

 だから、こう言うしかない。
 “ごめん”というその言葉を、ふたりは待っていたのだから。

 「大丈夫だよー。じゃああたしと彼氏ペア、莉奈と彼氏の友達ペアで合コンしよ! 今度紹介してもらって、そのなかから選んでよー!」

 「おっけー、ありがと! 楽しみだなー」

 馬鹿馬鹿しい。
 わたしがふたりに合わせなければいけないのも。こんな惨めな思いをしているのも。
 全部、馬鹿馬鹿しく思えた。


*


 帰宅部のわたしは、ふたりと別れて、昇降口へ向かう。
 ……疲れた。
 胃のあたりがムカムカして、気持ち悪い。明日からもこんな学校生活を送るなんて、考えただけで吐き気がする。

 「相川?」

 「……石谷(いしたに)くん」

 後ろの席の、石谷壮介(そうすけ)くん。
 いつも友達に囲まれている、クラスのムードメーカー的存在。いわゆる一軍。
 わたしは密かに石谷くんに苦手意識があった。
 自分と正反対の性格をしているから。綾香や莉奈と同じように。

 「なぁ、お前顔色悪くない?」

 「……そんなこと、ないよ。ちょっと疲れただけ」

 「相川って帰宅部だよな?」

 「そうだけど……」

 「ちょっと来て」

 その瞬間、グイッ、と腕を引っ張られた。
 ……え、なに。わたし、今どうして石谷くんと走っているの?
 数々の疑問が頭のなかに浮かんだ。けれど、何も考えずに走るのは気持ちが良いと思った。

 「はい、シェイク。イチゴとチョコ、どっちがいい?」

 「……イチゴ」

 「ん。俺チョコが良かったから、チョコって言われてもイチゴ渡してたけどね」

 イチゴ味のシェイクを渡されて、わたしはストローを口に咥える。
 財布を出すと、石谷くんは「いいよ」と止めた。

 「俺が付き合わせてるんだし」

 「で、でも」

 「それより、相談聞くよ。何かあるんだろ? さっきよりは顔色良くなったし、体調は大丈夫なんだよな?」

 「……うん」

 「じゃあ話して」

 石谷くんの真っ直ぐな瞳に、わたしは吸い込まれそうになった。
 胸が突き動かされるような、そんな感覚がした。
 気づいたらわたしは頷いて、話し始めていた。

 「……苦手なの。友達のことが」

 「友達? 誰?」

 「それは……さすがに、言えないけど」

 それでも無理やり聞き出されるのだろうか。
 そんな覚悟をしていたけれど、石谷くんは何も聞かずに「続けて」と言った。

 「友達はわたしの知らない話とか、どうでもいい話ばかりするの。だから話に入れないし、面倒くさいと思ってる」

 「じゃあ、その友達から離れればいいだけじゃん」

 「……そうだけど、ひとりぼっちだってみんなから思われるのが嫌なの。そう思われるよりは、無理やり我慢して友達といる方がいいから」

 今までずっと胸に抱えていた悩みを、不思議と話すことができた。
 それは綾香や莉奈に関わらない、無関係な石谷くんだからだろう。
 石谷くんはシェイクを飲みながら話を聞いてくれていたけれど、いきなり手を止めた。

 「それ、全部相川のわがままじゃない?」

 「……え?」

 「その友達はかわいそうだね。向こうは相川のことちゃんと友達だと思ってるかもしれないのに」

 わたしの、わがまま?
 友達が、かわいそう?
 胸の何処かで苛立ちを覚える。

 「そんなこと、ない。わたしはただ、知らない話とか、どうでもいい話とかをされるのがひどいって思っただけでーー」

 「だから、それが嫌なら友達と縁を切ればいいじゃん」

 「言ったでしょ、ひとりぼっちだって思われたくないから、そんなことできないって!」

 ムキになって思わずそう返してしまうと、石谷くんはふっ、と不気味な笑みをこぼした。

 「友達のことが嫌いなのに、相川は友達の“フリ”をして続けてる。縁を切ればいいだけの話なのに、ひとりだと周りから思われるのが怖いから、曖昧にしてその友達をキープしてる。……相川は、どうしたいの?」

 わたしは、言葉が喉に詰まったように出てこなかった。
 石谷くんが「じゃ」と行って去っていってしまったあとも、頭のなかが真っ白で何も考えられなくなっていた。


*


 わたしはそのあと真っ直ぐ家に帰り、枕にボスッと顔からダイブする。
 ……何あれ。何あれっ!!
 ムカつく。石谷くんはわたしの気持ちなんて何も知らないくせに。自分は人気者だからって調子乗ってるんじゃない?
 あんな奴に相談をしたわたしが馬鹿だった。
 そんなことを考えているとき、部屋のドアをノックされた。

 「美優ー、晩ごはん決められなくて。何がいい?」

 ……また?
 お母さんはいつも献立を決められなくて、すぐわたしに聞いてくる。
 それくらい自分で考えていただきたいと思ってしまう。

 「うーん、わたしはお母さんが作る料理なら何でもいいよ」

 「えー、そんなこと言わずに食べたいの教えてよ」

 「じゃあ……カレーとか?」

 「分かった、カレーにするね」

 全く呑気で羨ましいものだ。わたしはこんなに学校で悩みを抱えているというのに、家のことでも悩みを増やしたくない。
 反抗期というものは、こんな感情を意味するのだろうか。

 「あ、そういえば。美優、部活に入らないなら習い事始めてみるのはどう?」

 「習い事?」

 「そうそう。例えばお母さんがやってたピアノとか、美優が好きなら英会話とかね。美優ってあまり趣味とかないんでしょ?」

 「……何で、そう思うの?」

 そう問うと、お母さんはきょとんとした瞳でわたしを見つめた。

 「だって、部活に入っていないってそういうことでしょ? それに、美優がいつも家でやってることと言えば、スマホを見るくらいじゃないの」

 「……うん」

 「とりあえず考えてみてね。何がいいか」

 お母さんは鼻歌を口ずさみながら、部屋を出ていった。
 どうやらわたしが習い事をする前提で話を進めているらしい。
 わたしが正直に「やりたくない」と言えばそんなことにはならないかもしれない。
 だけど、お母さんを困らせたくない。わたしが我慢すればいいだけの話なんだから。
 わたしはスマホを開き、さまざまな習い事を調べた。けれど、これだ! とパッとするものは見つからなかった。


*


 翌日学校へ行くと、石谷くんと目があった。わたしはすぐに目を逸らす。
 ……あぁ。わたし、本当に性格悪いな。
 自分を反省するけれど、昨日の出来事に対して自分が全て悪いとは思わない。事情を知らないのに勝手に口を挟んで来ないでほしかったのだから。
 そんなことを考えていると、肩をポンポンと叩かれて振り向く。

 「みーゆう! トイレ行こ」

 「さっきからボーッとしてどうしたの?」

 綾香と莉奈だった。
 トイレくらい、ひとりで行けばいいのに。どうして女子って誰かと一緒に行きたがるの?
 内心不満を持っていたが、わたしは頷く他なかった。

 「うん、いいよ。ごめん、今日ちょっとお腹痛くて」

 わたしは咄嗟に誤魔化す。
 本当は、腹痛なんかない。ただふたりに返答するのが面倒くさくなってしまっただけ。
 嘘を吐いてしまったことに、今更ながら罪悪感が芽生えた。

 「えー、そうなの? 大丈夫?」

 「保健室行かなくていいのー?」

 「うん、大丈夫。ありがとう、心配してくれて。トイレ行こ」

 こういうときに「大丈夫」だと答えてしまうのは、わたしの悪い癖だと分かっている。
 それでも本音を出すのが怖くて、それ以上は何も言えなかった。


*


 わたしは、誰もいない中庭で昼休みを過ごした。
 何となく今日はいつもより綾香と莉奈といるのが苦しいと感じてしまう。
 教室に戻る道中で、石谷くんとバッタリ会ってしまった。
 一瞬目が合うも、わたしはすぐに逸らして歩こうとする。
 だけど石谷くんから「相川」と呼ばれ、わたしはピタッと足を止めてしまった。

 「……なに?」

 「今から昼飯?」

 「いや、もう食べたけど」

 そう答えると、石谷くんは「そっか」と言って俯く。
 どうしたのだろうと思いその場を動けずにいると、石谷くんがいきなり頭を下げてきた。

 「昨日はごめん」

 「え?」

 「ちょっと強く言いすぎたかもって思って。マジでごめん」

 どうやら、本当に反省しているらしい。
 その気持ちは十分伝わってきた。石谷くんの謝罪を改めて聞くと、一晩悩んでいたわたしが馬鹿みたいに思えてきて恥ずかしい。
 ……何かあっさり謝られて、やっぱりムカつく人だなぁ。

 「わたしこそ、ごめん。石谷くんには関係ないのに弱音なんか吐いちゃって」

 「本当にそう思ってる?」

 「……え?」

 「お前、本当に俺に対して“申し訳ない”なんて思ってるの? 少なくとも顔には“ムカつく”って書いてあるけど?」

 ……は?
 なに。わたし、謝ったじゃん。お互いごめんね、で終わりでいいじゃん。
 この人はどうして、物事に深入りするのだろうか。
 そんな心のなかにある不満が、お腹から口のほうへと押し出される。

 「わたし、石谷くんのことが苦手。自分と正反対で、いつも楽しそうにしているのがムカつく。だから昨日言われたことも、全部正しいとは思ってないよ。……最後の言葉は、その通りだとは思ったけど」

 『縁を切ればいいだけの話なのに、ひとりだと周りから思われるのが怖いから、曖昧にしてその友達をキープしてる』
 確かにわたしは、綾香と莉奈を“友達キープ”しているのかもしれない。悔しいけど、石谷くんの言う通りだ。

 「何だ、言えるじゃん。本音」

 「本音……」

 「そ。相川って頑固そうだなーって思ったら、その通りだったな。けど、ちゃんと意思ってもんは持ってる」

 わたしの、意思。
 さっきわたしが石谷くんに向けた言葉は、わたしの意思だったんだ。
 その途端、胸が少しだけあたたかくなったような気がした。

 「すごいね、石谷くんって。わたし石谷くんのこと軽蔑してたのに、今はちょっとだけ尊敬した」

 「いや、別に尊敬されることはしてねーよ。ただ、自分と似たような人を見るとイラッとするだけ」

 「自分と、似たような人?」

 「そう」

 わたしが、石谷くんと似ているってこと?
 ……どういう意味だろう。


*


 疑問に思っていると、石谷くんはなにか閃いたように「そうだ!」と言った。

 「な、なに?」

 「相川って部活入ってないんだよな?」

 「うん、そうだけど」

 「じゃあさ、俺と一緒に“青春部”をつくろうよ」

 は?
 さっきよりも遥かに意味が分からないことを言われた。
 青春部ってなに? どういうこと?

 「この昼休みの時間中庭に来て、青春したいことをお互いに言い合う。できることはそれを成し遂げる。どう?」

 「それって、部活申請はするの?」

 「いや。俺たちだけの秘密の部活」

 『秘密』という言葉に、胸がドクンと高鳴るのを感じた。
 ……いやいや、わたし、なにドキドキしてるの!
 けれど、ふと真剣に考えてみる。このまま部活に入らなければ、習い事をやることになってしまう。それは避けたい。
 だとすると、石谷くんは気遣わなくていい相手だし、わたしにとって好都合の話ではないだろうか?

 「……うん、やりたい。青春部」

 「マジ! ありがと。じゃあ早速、青春したいことを教えて」

 「うーん、青春したいこと……。またイチゴ味のシェイク飲みたい」

 青春したいことがいまは見つからなかったので、そんなくだらないことを口にした。
 それでも石谷くんは笑顔で頷いてくれた。

 「お、いいな。また行こうぜ」

 「え、一緒に?」

 「うん。俺もそれ言おうと思ってたから」

 「……そっか」

 思わず笑みがこぼれる。
 石谷くんのあたたかい笑顔に、呑み込まれてしまいそうだ。
 わたしにとって青春部というのは、結構いいものなのかもしれないと思った。


*


 「おはよ、美優」

 「おはよー」

 「おはよう、綾香、莉奈」

 いつもと同じ、地獄の一日が始まるーー。
 そう覚悟していたけれど、何故だか今日は、不思議と心が軽かった。
 悪霊がついているような重い肩も、今日は軽い。
 どうしてだろうか。

 「今日の数学小テストだって。マジ最悪すぎる」

 「それなー。美優は余裕でしょ?」

 「いやいや、わたし数学苦手だから、もしかしたら赤点取っちゃうかも」

 「美優が赤点ならあたしたちどうなるのよ」

 口を大きく開けて笑うふたり。いつもならその笑い声が、耳を塞ぎたくなるくらい頭に響くけれど、今日はそこまで気にならなかった。
 わたし、本当にどうしたんだろう。もちろん、嫌なことが無くなるのはいいことだけど。

 「あ、おはよ、相川」

 不意にわたしの名を呼ぶ声に体が反応してしまう。
 振り返ると、石谷くんがいた。

 「ちょ、聞こえてる? 相川」

 「あっ、ご、ごめん。い、石谷くんおはよう」

 「ん」

 わたしが挨拶を返すと、石谷くんは満足げに自分の席に座った。
 わたしたちのやり取りを見ていた綾香と莉奈が、何やら嬉しそうに小さく悲鳴をあげている。

 「ねぇ、美優。石谷と仲良いの!?」

 「え? あぁ、仲良いっていうか、たまたま話したっていうか」

 「いやいや、今まで話してなかったじゃーん。いいなぁ、石谷と話せるの。羨ましい」

 わたしの頭のなかにハテナマークがたくさん浮かんだ。
 羨ましい、って?

 「ふたりは石谷くんと話したことないの?」

 「ないない! だって石谷って女子のこと嫌ってるっていう噂だよ。女子と話してるの実際に初めて見たよ!」

 「そうそう。それにしてもやっぱりイケメンだよねー石谷」

 そうだったんだ。じゃあどうしてわたしには話しかけてくれたんだろう。
 そのとき、ハッと思い出した。そういえば石谷くん、わたしのことを“自分と似たような人”と言っていた。
 だからわたしと青春部を作ってくれたのかな。
 それだけの理由があるのに、わたしはどこか寂しくもなってしまった。


*


 昼休みになって、わたしは昨日までと同じように中庭へ向かった。
 石谷くんと青春部を作っていなくても、わたしはいつも中庭で弁当を食べていた。
 綾香や莉奈も何も口出ししてこないし、わたしはひとりのほうが気が楽だということを分かっているのだろう。

 「お、相川来た」

 「待たせちゃった? ごめんね」

 「いや大丈夫。ていうか、相川って弁当なんだな」

 「あ、うん」

 そう言葉にしている石谷くんの手には、購買のパンが握りしめられていた。
 ……何だか、ずっとお弁当のほうを見ている気がするんだけど。

 「石谷くんは、いつもパンなの?」

 「そ。母さんも父さんも朝早くから仕事だから、弁当作る時間ないし。俺も料理とか下手だし」

 「……そうなんだ。良かったら、お弁当食べる?」

 「え……サンキュー。ありがたく貰うわ」

 石谷くんがあまりにも目を輝かせてわたしの弁当を見ていたので、声を掛けてみた。
 わたしのお母さんはいつも作りすぎているから、少食のわたしにとって完食するのが難しい。かといって完食しなければお母さんに心配を掛けてしまうという面倒な出来事なのである。
 だから、誰かに食べてもらったほうがわたしにとっても助かる。
 石谷くんは卵焼きを口に運ぶと、大きな声で「うめー!」と言った。

 「俺、甘い卵焼き派なんだけどさ。しょっぱいのも美味いんだな」

 「え、そうなの? わたしはしょっぱい卵焼きが好きだから、甘い卵焼き食べたことないの」

 「いや絶対人生損してる! まぁ俺も今初めてしょっぱいの食べたけど。明日頑張って甘い卵焼き作ってくるから食べてみて」

 「う……うん」

 それって、わたしのために甘い卵焼きを作ってきてくれるってこと?
 その瞬間、胸が高鳴った。さっきまで全然何も思わなかったのに、今は胸がドキドキしている。
 その鼓動を誤魔化すように、わたしはご飯を口に運んだ。

 「じゃあ、早速青春部開始だな。俺は今日しょっぱい卵焼き初めて食べて感動した。だからこれから、もっと相川の弁当食べてみたい」

 「うん、分かった。わたしも、石谷くんが作った甘い卵焼き食べるの楽しみ」

 「おう。じゃあふたりとも、明日の弁当が楽しみってことでいい?」

 「うん!」

 思わず笑みがこぼれてしまった。何だか食べ物の話ばかりしていておかしくなってしまう。
 ……あぁ、楽しい。
 気がついたらわたしは、そんな感情が自分の心にあることを知った。


*


 「ただいま」

 「おかえり、美優」

 「あのさ、お母さん」

 わたしは家に帰宅したら、青春部のことを話そうと決めていた。
 正式な部活じゃないけれど、わたしが何か始めたんだよということをお母さんに伝えたいと思ったから。
 そしたらお母さんも、わたしのことを無理やり習い事に入れようとするのはやめてくれるかもしれない。

 「わたし、青春部っていう部活に入ったの。クラスの石谷くんって子とふたりで活動してるんだ」

 「青春部? そんな部活、この学校にあったの?」

 「ううん、わたしたちが創ったの。だから正式な部活じゃないんだけど、わたしが何かを始めたってお母さんに分かってもらいたくてーー」

 そのとき、パチン、と音が鳴り響いた。
 瞬時に何が起きたのか理解した。……お母さんが、わたしの頬を叩いたのだ。
 痛いとか、悲しいとかそんな感情よりも先に、どうして叩いのだろうという疑問が出てきた。

 「そんなふざけてる暇があったら部活に入りなさいって言ったでしょう! それができないなら習い事をやればいいじゃない! どうして勝手にそんなものを始めるの!?」

 「そんなもの、って……」

 あぁ。お母さんは、自分の思い通りにしたいだけなんだね。
 お母さんがわたしに求めているのは、ちゃんと部活動に入部して、習い事も進んで取り組んで、優等生になってほしいということ。
 だけどわたしは何一つやらないから、怒っているんだ。
 勝手に期待しているだけなのに。勝手に理想を抱いているだけなのに。わたしが傷ついてること、何も知らないで……!!

 「もういいよ」

 「え?」

 「お母さんは心の底では分かってくれてるのかなって思ってた。でも本当は分かってくれなかったんだね。そんなの母親失格だよ」

 「美優、いい加減にーー」

 「わたし、お母さんのこと嫌い。大嫌い。こんな家もういたくない。限界だよ。わたしのこと何も分かってくれないお母さんなんか、死んじゃえばいいのに!!」

 後悔したときには、もう遅かった。お母さんは涙を流して、その場に崩れ落ちる。
 わたしは何も考えられなくなった。頭が真っ白になって、あんなことを言ってしまったという後悔から、過呼吸になってしまう。

 「はぁ……ひゅっ……はぁ……」

 荒い呼吸を何とか落ち着かせようと、わたしは胸に手を当てて、ゆっくり深呼吸した。
 すると数分経って、過呼吸は収まった。わたしはお母さんを置き去りにして、自分の部屋に駆け足で向かった。
 わたしは、どうするのが正解なのか。どうすれば良いのか。……どうしたいのか。
 考えても考えても答えに辿り着けず、彷徨っていた。


*


 翌日。わたしは、体調が優れなかった。というのも、たぶん昨日のお母さんとの喧嘩が原因だ。
 今朝もお母さんは部屋に閉じこもっていたから、わたしは自分で朝食と弁当を作ったのだ。
 わたしは自分に否があることを分かっているけれど、謝れずにいた。

 「美優、いつも気になってたんだけどさ、昼ご飯ってどこで食べてるのー?」

 「え……あぁ、っと、中庭だよ」

 「ふーん。あたしたちも行ってもいい?」

 「……あー、でも、中庭人多いし、あんまり楽しくはないよ」

 疲れる。体調が悪いのに綾香と莉奈に話しかけられるなんて、それも昼休み中庭に来ていいか聞かれるなんて、気分が悪すぎる。
 早く話を変えないと、わたしの唯一の居場所すらもとられてしまう。

 「でもあたしたち人多いほうが好きだし!」

 「……ちょっと、待って」

 「それな! じゃあ今日から、中庭で三人で食べることにーー」

 「やめて!!」

 わたしはこの状況に耐えられず、思わず叫んでしまった。
 クラスメイト全員の視線がわたしに向く。もちろん、石谷くんも。

 「わたしの、居場所を、とらないで」

 「み、美優?」

 「なに急に、怖いんだけど……。綾香、行こう」

 「うん、そうだね」

 ……あぁ、完全に終わった。やってしまった。
 綾香と莉奈には絶対嫌われてしまった。それだけじゃない。クラスメイト全員にも変な人だって思われてしまった。
 もう無理。この教室にはもう居られない。
 わたしは涙が出る前に、あの中庭へ走って向かった。


*


 中庭へ来たら、涙がポロポロと出てきて止まらなかった。

 「うっ……うぅ、あぁぁぁぁ……!」

 わたしの学校生活は、完全に終わった。
 石谷くんと言う通りだ。こんなことになるなら、最初から友達なんて作らなければ良かったんだ。
 わたしはなんて馬鹿なんだろう。何度人を傷つければ済むんだろう。
 もう死にたい。死んでしまいたい。人を傷つけるのも、自分が傷つくのも、もう散々だ。

 「相川!」

 「え……いし、たに、くん」

 「お前、走るの早すぎ。あー、疲れた」

 どうして、石谷くんがここに来るの?
 わたしのことなんて放っておいてくれればいいのに。
 口を開いた瞬間、涙が入ってしまった。その涙は海のようにしょっぱかった。
 よく見ると、石谷くんは弁当箱らしきものを持っていた。
 ……あ、そうだ。卵焼きの、約束……。

 「はい、甘い卵焼き。食ったことないんだろ。約束通り作ってきた。料理も初めてしたけど、案外楽しいんだな」

 「わたし、教室にお弁当、忘れてきちゃった」

 「そうだろうと思って、相川の机の横に引っ掛けてあったから、持ってきたよ。走ったから崩れちゃったかもしれないけど」

 「持ってきてくれたの……?」

 「当たり前だろ。じゃないと相川の弁当食べれないし」

 石谷くんは草むらに座って、弁当箱を開けだした。
 石谷くんの弁当のおかずは卵焼きしかなくて、わたしは思わず微笑んでしまった。
 わたしも自分の弁当箱を開けて、石谷くんに渡す。

 「いただきまーす。……ん、やっぱり美味い! 俺ハンバーグめっちゃ好き」

 「そうなんだ、良かった」

 いつの間にか涙が引っ込んでいて、わたしは石谷くんが作ってくれた甘い卵焼きを口に運ぶ。
 やわらかい卵とほんのり甘い砂糖の味が口に広がった。

 「おい、しい」

 「マジ!? 初めてにしては上出来だろ」

 「うん、すごく上手」

 わたしは卵焼きをパクパク食べ進めた。
 美味しい。石谷くんが作ってくれた甘い卵焼きは、特別な感じがする。
 わたしは箸を置いて、石谷くんのほうを向いた。

 「石谷くん」

 「ん?」

 「さっきはありがとう。その、追いかけてくれて。わたしのこと嫌いになったのかなって思ってたから嬉しかった」

 「嫌いになるわけないだろ。相川は青春部の唯一の部員なんだから。それに、嫌いになる要素なんかねぇよ。……何があったの」

 わたしは小さく頷いてから、昨日のお母さんとの出来事を話した。
 石谷くんは相槌を打ちながら真剣に話を聞いてくれた。

 「そっか。それは辛かったな」

 「うん……。わたし、間違ってるのかな。何をすれば正解なのか、分からないの」

 「うーん、それは難しいな。とりあえず、お母さんに本音を伝えたほうがいいんじゃん?」

 「本音?」

 「そ。相川はお母さんに自分の気持ちを分かってくれてるって思ってたんだろうけど、お母さんだって人間だろ。分からないことなんかたくさんあると思うんだよ。相川はお母さんの気持ち、言われなくても全部分かる?」

 わたしはブンブンと首を横に振った。

 「でしょ。それと同じで、相川が本音を言わないと、お母さんも分からないってわけ。今までも本音を隠してきたんでしょ?」

 「うん……そうだね。石谷くんの言う通り。わたし、わがままだったんだね」

 「分かってほしいって思うのは普通のことだよ。だから、これからどうしたいのか、正直に話せばいいって俺は思うよ」

 「……ありがとう、石谷くん。そうする」

 やっぱり、石谷くんはすごい。本当にすごい。
 わたしが求めている答えを納得できるように完璧に言ってくれるから。
 わたしは石谷くんのおかげで、生きていられるのだと思う。大袈裟ではなく、本当に。

 「わたし、今日絶対にお母さんに本音を言う。そう決めました」

 「頑張れ、相川ならできるよ。俺はもっと料理を研究して、明日相川に試食してもらう!」

 「うん、分かった」

 「そういえば、友達とのことはどうするの?」

 石谷くんが言っている友達というのは、綾香と莉奈のことだろう。
 たぶんわたしはもう、ふたりに嫌われてしまったと思う。

 「もういいの。縛られて友達ごっこするのは疲れちゃった。わたしはひとりでも平気」

 「そっか。相川は強くなったな」

 「……そう、だったら嬉しいな」

 わたしたちはそのあと、教室へ戻った。
 その日はずっと、わたしは案の定綾香と莉奈に避けられていた。
 前はひとりになってしまうと思っていたけれど、今はもうひとりじゃない。……青春部があるから。石谷くんがいるから。
 石谷くんという存在が、わたしのなかで大きくなっていることに気づいた。


*


 家へ帰ると、お母さんは台所で料理をしていた。
 「ただいま」と挨拶すると「おかえり」と小さい声で返ってきた。
 たぶん、お母さんも昨日のことがあったから気まずいと思っているのだろう。
 わたしは拳をぎゅっと握りしめて勇気を出し、お母さんのそばに行った。

 「あのさ、お母さん、ちょっといい?」

 「……ごめん、今、晩ご飯作ってるから」

 「昨日はごめんなさい」

 わたしはお母さんの返事を聞かずに、頭を下げて謝罪した。
 お母さんはフライパンの火を止めて、わたしの目を見てくれた。

 「わたし、お母さんにひどいこと言っちゃった。本当はあんなこと思ってないの。でも、わたしは部活も習い事もやりたくない。押しつけられるのが嫌なだけなの」

 「美優……お母さんこそごめんなさい。美優の気持ち考えてなかったよね。お母さん優柔不断なとこあるから、美優に負担もたくさんかけちゃったと思う。昨日は叩いちゃってごめんね」

 お母さんはそう言って、わたしの左頬を撫でた。
 お母さんに本音を話すことができて、心の底から良かったと思えた。

 「それでどうなの、青春部は。楽しい?」

 「うん、楽しいよ、すごく。今わたし、人間関係が上手くいってなくて。そんなわたしに声を掛けてくれた石谷くんにすごく感謝してる」

 「そっか。美優が楽しいなら、お母さんも楽しい。もっと青春部の話聞かせて」

 「うん、もちろん」

 お母さんが作ってくれたオムライスを食べながら、わたしは青春部の話をたくさんした。
 まだ青春部に入部してから数日しか経っていないというのに、スラスラと話ができた。
 ……石谷くんに明日、お礼を言わないと。
 そんなふうに浮かれていたわたしには、明日あんなことが起こるなんて思いもしなかった。


*


 朝学校へ行くと、綾香と莉奈と目があったけれど、すぐに視線を逸らされてしまった。
 わたしのほうを見てヒソヒソ陰口を話している気がして、背筋が震え上がった。
 異変はそれだけではなかった。それは石谷くんのこと。いつも席の周りにはたくさんの男子が戯れているのに、今日は誰一人としていなかったから。

 「石谷くん、おはよう。今日はひとりなの? 珍しいね」

 「相川……」

 何だか石谷くんの顔色が悪い気がする。大丈夫かな。
 そう思っていたとき、誰かに腕をグイッと引っ張られた。
 信じられないことに、それは綾香と莉奈だった。

 「美優、ちょっと来て」

 「え……あの、今石谷くんと話してて」

 「いいから少しだけ!」

 そのまま、ふたりにトイレへ連れて行かれた。
 何があったのだろう。でも明らかに昨日までと違って雰囲気が悪いのはわたしでも分かる。
 もしかして石谷くんに何かあったの……?

 「あのさ、石谷と美優ってどういう関係? 付き合ってるの?」

 「え、つ、付き合ってる……!? そ、そんなわけないじゃん。ただの友達……だよ」

 「そう。なら話してもいいよね。あのさ、石谷ってーー」

 衝撃だった。
 そのあとのことは覚えていない。どうやって教室に戻ったのか、どう授業を受けたのか。
 わたしは昼休みになっても、綾香と莉奈から聞いた話を受け止められなくて、中庭へは行けなかった。


*


 わたしはひとりで帰り道を歩きながら、石谷くんのことばかり考えていた。
 石谷くんは本当にーーなの?
 だとしたら、今までわたしに声を掛けてきたことは全部、偽りだったということ?
 もし綾香と莉奈が言っていたことが事実なら、わたしはもう二度と人を信用することができないと思う。
 そんなことを考えていたら、石谷くんらしき人を見かけた。急いで帰らなきゃ、と思ったときには遅かった。石谷くんと目が合い、こちらを目掛けて走ってきていた。

 「相川っ」

 「石谷くん」

 緊張してしまい、体がピシッと石像のように動かなくなる。
 わたし、急に石谷くんといるのが怖くなってしまったんだ。

 「相川。もう……聞いちゃった?」

 「……うん。綾香と、莉奈から」

 「そっか。本当にごめん」

 ……いやだ。やめて。
 謝ったってことは、もうそれを認めてしまったようなものでしょ?
 疑問から、確信に変わってしまった瞬間が、こんなに悲しいと思えるのは初めてだ。

 「ほん、とうなの?」

 「うん。俺、“虚言癖”があるみたい」

 「……っ」

 『石谷って虚言癖があるみたいだよ』

 綾香からその言葉を聞いたとき、わたしは怖くなってしまった。
 今まで一緒にいた石谷くん。その石谷くんが言っていることが全て嘘だとしたら。わたしはもう生きていけないと思ったから。
 何が本当で何が嘘なのか。

 「俺、中学のときから虚言癖があって。自分のことを曝け出すのが怖かったんだ。それで周りから嫌われてしまったらどうしようって。気がついたら、嘘ばかり吐くようになってて。スラスラと嘘が出てくるの、自分でも怖いんだ」

 「……じゃあ、今までわたしに言ったことは全部嘘だったの? チョコのシェイクが好きなのも、甘い卵焼きが好きなのも、アドバイスをくれたのも全部……?」

 「違う!! 相川といるときは、自分の本音で接せるんだ。自分と似たような相手だからかな」

 「虚言癖の石谷くんと一緒にしないで……っ!」

 わたしはハッとして口を抑える。
 それでも石谷くんは笑っていた。いつものように、明るい笑顔で。

 「俺、頑張って虚言癖治すよ。それで本当の友達ってもんを作って、ちゃんと青春部を立ち上げたいと思ってる。俺は、そうしたい」

 「……わたしは、どうすればいいの。信用してた石谷くんに裏切られた気分なんだよ。何をしたいのかなんて分からないよ」

 「それは本当にごめん。ちゃんと言えば良かったんだけど、本音を出すのが怖かったんだ」

 あ……。わたしも、みんなに本音を出すのが怖いってずっと思ってた。
 そっか。石谷くんも同じなんだ。虚言癖のことも、自分の気持ちも。本音を言って嫌われるのが怖いんだ。
 『……相川は、どうしたいの?』
 初めて石谷くんと話したときのことを思い出した。わたしがどうしたいのか、石谷くんはそのときからちゃんと聞いてくれていた。
 ……わたしが、どうしたいのか。

 「これからも……青春部の部員であり続けたい。本音が、言えるように、なりたい」

 「相川ならできるよ。絶対にできる。だから俺も、虚言癖を治してみせるよ」

 「うん。お互い頑張ろうね。これからも青春部としてよろしくね」

 「こちらこそ」

 ここは、綺麗ごとだけでは上手くいかない世界。嘘を吐いたとしても、必ずいつかバレてしまう。
 中身を偽って、表面だけを磨き続ける。人というものは、そういう生き物なのかもしれない。いつだって綺麗であり続けたい。憧れた、理想のままでいたい。
 わたしは、綺麗ごとじゃない青春部で生きていたい。たとえ全てが上手くいかなくても、きっとこれからの人生に繋がるから。
 もっともっと青春してみたいって、初めて思った。
 綺麗ごとじゃない青春はいま、ここにある。