土曜日。僕は直人と、ローズガーデンフェスティバルの最寄り駅で待ち合わせをした。

 晴れが続いてて、気持ちいいな。僕は白のTシャツで家を出た。

「ルイちゃん!」

 直人は黒のTシャツだった。前髪、決まってる。

 先生も直人も、顔立ちがキリッとしてていいな。僕、どう頑張っても、たぬき……。

「すげえ人だな。ルイちゃん、迷子にならないよう手繋ごっか!」
「直人……?」
「そろそろ俺、彼女からビンタ食らいそうだよな?」

 僕も直人も、声を上げて笑った。


 入園すると、薔薇の香りでいっぱいで。僕の気分は高揚した。

 途中で薔薇のソフトクリームが売っていて、僕は迷わずにそれを買った。直人もつられて買っていた。ベンチが全然空いてなくて、僕らは木陰の下に座って食べることにした。

 このソフトクリーム、本当に薔薇の香りがする。ピンク色で可愛いな。

 先生もこれ、好きかな……。

「お。意外と旨いじゃん」

 直人がすごいスピードで食べ進めている。意外なんだ。でも、買ったんだ。直人、ときどき不思議。

「一緒に来るの俺でよかったの? イケメン先生とのほうが、よかったんじゃない?」

 僕よりもだいぶ食べるのが早くて、直人はワッフルコーンの先をかじった。

「先生とは別に、週末に会ったりしてないから……」
「『先生じゃなくて、リョウ先生(・・・・・)』とか、あのイケボで叱られたりして」
「どぅ……ぐだぬっ……!」
「え? ルイちゃん、それ何語?」

 僕にもわからない言語が飛び出て、僕はほっぺをぺちぺちと叩いた。ソフトクリームを食べてるのに、顔が熱い。

 ——言わなきゃわからないよ?——

 先生の、どこか意地悪そうなあの表情。左側の口角を上げて、綺麗な目を、ちょっと細くして……。

「はああああああ……」

 僕は、ソフトクリームを持つ手とは反対の手で、胸をさすった。ダメだ、僕ずっとこうだ。次のレッスン、そしてそのあとのご飯、大丈夫かなあ。

「ルイちゃん、恋してますなあ」

 直人はソフトクリームの包み紙を、くしゃくしゃと丸めた。

 どうして直人は、僕に何も聞かないんだろう。どうして僕を、何の違和感もなく受け入れられるんだろう。

 僕も直人に遅れて食べ終わった。ワッフルコーンの最後の最後まで、薔薇の香りのソフトクリームが詰まっていた。

「青春だねえ。ルイちゃん」
「直人はさ、僕のこと……なんとも思わないの?」

 直人は大きく伸びた。首を左右に傾けて、ポキポキと鳴らしている。

「なんともって? ルイちゃんって可愛いなとは思ってるよ?」
「そ、そういうことじゃなくて……!」
「わかってる、わかってるよ」

 直人は笑って、僕からソフトクリームの包み紙を受け取った。自分の分も一緒に、近くのゴミ箱に捨てに行ってくれた。

「よいしょっと……。イケメン先生がまず、どっちなのかがわかんないからな」

 戻ってきて、直人は再び僕の隣に腰を下ろした。

「僕、リョウ先生に恋人がいるのか聞けてなくて……」

 この間は気が動転していて、すっかり聞きそびれてしまった。

「ルイちゃん、やっぱりイケメン先生のことが好きなんだ?」
「す、好きっていうか……一緒にいるとドキドキしちゃって」
「それ、好きじゃん」

 直人が笑っている。そうかもしれない。そうかもしれないけど……。

「僕、好きにならないようにしてて」
「なんで?」
「だって、リョウ先生は女の人が好きかなって……」

 僕は葉っぱを優しく撫でた。

 今は先生に、憧れてるだけだ。

 ドキドキしてたって、好きって認めなければいい。

 僕はピアノを習いに行ってるんだから、レッスンの時間に一緒にいられたら、それで幸せなんだ。

 先生が笑って、大切な人と過ごして、大好きなピアノを弾いて、幸せに暮らしていたら……僕は、それでいいんだ。

「ルイちゃん」

 直人が僕のほっぺをつついてきた。大学以外でやると、本当にまわりから勘違いされちゃいそうだ。

「ルイちゃんのほっぺ、弟とそっくりなんだよ。ルイちゃんの字と弟の字、丸っこくて可愛くて、それも似ててさ」
 
 女の子の字みたいだねって、よく言われるけど。直人の弟さんと僕、いろいろ似てるのかな?

「案外ルイちゃんみたいな子、俺は多いと思うよ?」
「そうなのかな……」
「そうだよ。実際、俺の弟も、男が好きだからね」

 僕は驚いて直人を見た。直人が、あぐらをかきながら笑っている。

「弟さん……それ、すぐに直人に話したの?」
「すぐではないよ。あるとき、弟が不登校になっちゃってね」

 僕は、突然ピアノを辞めてしまった自分のことを思い出していた。

 ——代わりに切ってあげようか?——

 ピアノが悪いんじゃない。なのに、なのに僕は……。
 
 ピアノまで嫌になって、ピアノから離れてしまった。

「まあ一週間程度だったけど、風邪でも何でもないからおかしいなと。親父も母親も悪気はないんだけど、弟を問い詰めて怒るもんだからさ。余計に話しづらそうにしてて……」

 苦笑いをする直人を見て、いいお兄さんだなと僕は思った。僕はこんな自分のことを、家族の誰にも話せていない。

 なんとなく、母さんは気づいてそうだった。でも、それを認めたくなさそうだった。

 だから、僕は余計に言えなかった。

「二人で出かけようって、弟を誘ってさ。そうしたら、弟が『夜景が見たい』だとか、女の子みたいなことを言ってきて。でもまあ、連れていったわけ」

 僕は、薔薇のソフトクリームを買うカップルを眺めた。二人で食べたり、彼女が食べるのを彼氏が見つめていたり……すごく幸せそうだ。

「で、夜景を見て弟が一言。『お兄ちゃん。実は僕、ゲイなんだ』と」

 僕は、電車の中で二人でいる男の子を見ると、そうなのかなと勝手に思ってしまう。そんな自分がすごく失礼な気がして、そのたびに自己嫌悪に陥ってしまう。ただの純粋な友情関係かもしれないのに。その可能性のほうが高いのに。

 僕と直人だって、こうして隣で座って、直人がツンツン僕のほっぺをつついてても、僕たちは付き合ってるわけじゃない。まわりから誤解をされるけれど、実際は何もない。

 なのに僕は、顔を近くに寄せてスマホを覗き合ってる男の子たちを見ると、いいなと思ってしまう。

 違うだろうに、羨ましく思ってしまう。

 僕もああいうことしたいなと、思ってしまう。

 だから僕は、電車ではいつも何も見えないように、目を閉じる。座っていても、立っていても。

 そうしてるうちに、全然気がつかない間に、変な男に付きまとわれていたりする。

 ごく一部の、過激な人間に狙われてしまう。

 僕は、ただ純粋に、夢のような恋愛がしたいだけなんだけどな……。

「弟が通ってたのは、男子校で。パラダイスのようだと誤解されるかもしれないが、実際は地獄だと。割り切って通っていたが、つらくなってしまったと。なぜなら、クラスの男を好きになってしまったと。体育で着替えるのがしんどい、プールも入りたくない。それで、号泣」

 僕は今まで、誰かを好きになったことはない。

 でもそれは、僕がその子を好きになる前に、憧れの段階でストップをかけていたからだと思う。

 だから、つらくなかった。本音を言えばつらかったけど、つらくないと思い込むことができた。

 だけど…………。

 ストップをかけられそうにない人に、出会ってしまった。僕よりもずっと大人で、落ち着いた雰囲気の、素敵な人に出会ってしまった。

 才賀リョウ先生に出会ってしまった。

 一日中考えてしまうくらい、僕は先生で溢れている。

 先生。僕は、先生の甘くて低い声も、優しい微笑みも、ちょっと意地悪そうな表情も、すごく、すごく…………。

 僕は指先で、ほっぺに流れてきた涙を払った。弟さん、切なかっただろうな。

「で! 年子の弟は今、大学一年生。俺とは違ってストレートに入学して、彼氏もできて、ハッピーにキャンパスライフを送っていますとさ!」

 目をぱちぱちさせる僕を見て、直人が笑った。

「そのクラスの男子も、弟が好きだったとさ……という、オチ!」

 僕は、両手で口を押さえた。

「ハッピーエンドなの⁉」
「応援したいのに、俺がルイちゃんにバッドエンドを話すと思う?」
 
 直人は立ち上がって、空に向かって指をさした。ポーズを決めてるけど、お尻に草が付きまくっている……。

「諦めるのは早いよ、ルイちゃん!」
「直人、お尻……」
「え? 鍛えてるから魅力的だって?」

 僕が笑って、直人も笑った。

「直人、どうもありがとう」

 直人は顔を左右に振った。
 
「花のおかげかな。開放的になるもんだな、自然って。俺も話すタイミングなかったからね」

 今日、ここに来てよかった。

 僕は生まれ変わっても、同じ大学に通って、直人と友達になりたい。大袈裟だなと、直人に手を叩いて笑われそうだけど。

 本当にそう思う。僕は直人と、もっとずっと昔から、繋がってた気がするよ?

「僕、直人に何かお礼してもいい?」
「ほっぺにチューでいいよ」

 僕が直人の肩をぽかぽか叩くと、直人は大笑いした。

 その後、僕たちはお土産屋さんに移動した。直人は薔薇のジャムを買っていた。考えてみたら僕、先生が甘いものを好きなのか聞いてない。パンを食べるのかも知らないや。

 先生、いつもハーブティーやコーヒーを淹れてくれるから。薔薇のお茶があったら、それにしようかな。

「贈り物ですか?」

 店員さんに声をかけられて、僕は頷いた。

「こちらはいかがですか? 薔薇の花びらが浮かぶ、ハーブティーです」

 試飲させてもらった。美味しい。紙コップに浮かんだ花びらも綺麗だし、香りもいい。

「リラックス効果があるので、大切な方のギフトにぴったりですよ」

 これにしよう。先生と一緒に飲んで、また色々お喋りをして、ピアノを頑張るんだ。

 ……って、淹れてもらう気まんまん。先生が一人で味わってもいいんだ!どんな味かを教えてもらえれば、別に僕は飲まなくてもいい!

「ひとつだけ、ギフト用でお願いします」

 と思いつつも、二袋買ってしまった。僕は家で、自分で淹れよう……。


 僕と直人は、ローズガーデンフェスティバルをあとにして、そのままWishに向かった。

 あれ以来、僕はすっかり気に入ってしまった。

 雰囲気もいいし、ご飯も美味しいし、店長さんも優しい。グランドピアノだってある。

 それに……先生も来るかもしれない。

 期待に胸を膨らませて、僕は直人と一緒にアメリカンな店内に足を踏み入れた。
 
 
 ねえ、先生。ここに来ると、なぜだか僕は本当に、願いが叶いそうな気がするよ————