先生と僕のワルツ

 カフェは一時間待ちの表示が出ていた。休日だと考えたら、短いほうかも?

 先生と僕はスマホで予約をして、噴水エリアで時間を潰すことにした。

 ベンチにはカップルが座っていたり、芝生にレジャーシートを広げてくつろいでいる親子もいる。

 ほのぼのしてていいなあ。噴水の音も癒されるや。

 先生と僕は、芝生に隣同士で腰を下ろした。先生は片膝を立てて、両手を体の後ろについて座っている。

 どんなポーズでも、先生はカッコいいな……。

 先生、いい匂いがする。レッスンの日以外に感じる、先生の匂い。

 お花の香りを邪魔しない程度の、柔らかい匂い。

 先生の横顔、惚れ惚れする。高い鼻もカッコいいけど、先生は本当に、目が綺麗だな……。

「リョウ先生の目って、綺麗ですよね?」

 体育座りをする僕に、先生は視線を移した。

「ルイの目も綺麗だよ」
「え?」
「太陽が海に沈むとき。海に反射して、キラキラしてて綺麗だろ? ルイの目、俺はその瞬間に似てると思う」

 僕の心臓が、また強く脈を打ち始めた。

 ドクンドクンドクンドクン————

 ここから数駅離れた場所に、海の見える公園がある。

 先生と一緒に、太陽が輝きながら海に沈むところ、見られるかな。

「ありがとうございます。そんなこと、初めて言われました……」
「そう? 俺が初めて?」
「はい。『笑うとお月様みたいな目になるね』って、直人からは言われるんですが」

 さっきまで微笑んでいた先生が、急に無表情になった。

「ふーん」

 先生が前を向いてしまった。

 あれ?

 どうでもよさそうな反応……。話題、変えなきゃ!

「そ、そういえば! バイト先に、新しい男の子が入ってきたんです!」
「ふーん」
「リョウ先生に似てて! すごく似てるわけじゃないんですけど、目元が似てて!」
 
 先生は僕のほうに体を向けて座り直して、あぐらをかいた。肘をついて、頬杖をついて、僕を見つめている。

「それで?」
「えっと……リョウ先生に、すごく似てるわけじゃないんですけど……」
「それ、さっき聞いたけど?」

 先生が僕をずっと見つめている。ちょっと上がった綺麗な二重瞼で、どこか鋭い視線をしている。

 なんか怒ってる?僕、まずいこと言ったっけ……?

「目元以外は、髪型も声も、似てないん……」
「だから?」

 間髪を入れずに先生が聞いてきて、僕は唾を飲み込んだ。

「えっと、その子と仲良くなりましたっていう話なんですけど……」

 先生は綺麗な目を細めて、じろっと僕を見た。

「仲良くなったの……? 理由は?」
「え? えっと! リョウ先生と目元が似てたので、親近感があって!」

 先生が、目を細めたまま黙っている。どうしよう。
 
 先生が会ったこともない子の話とか、つまらなかったのかもしれない。

「ど、ど、どうでもいいですね!? アハハッ!」
「そうだね。かなりどうでもいいね」

 ぐさあぁあああああああああっ!

 僕は膝を抱えて前を向いた。

 噴水、綺麗なのに。僕の心も、水みたいに高く打ち上がっては、激しく下に落っこちて。

 結局、ジェットコースターに乗ってるみたいだ。先生といると、僕はいつもそうだ。

「ルイ」
「はい……」
「俺の性格、言ってみて」

 僕が先生のほうを見ると、先生はさっきと同じ姿勢のまま、僕をじっと見つめていた。

「や、優しいです……」

 たまに目線、鋭いけど。

「あとは?」
「穏やかで大人っぽいです……」

 かなりどうでもいいとか、ときどき突き放してくるけど。

「ほかには?」

 ちょっと意地悪で、あまのじゃくです。

「そう、あまのじゃく」

 僕は、びくっとした。また心を読まれてしまったんだろうか。

「ルイ。肝心な部分が抜けてるよ」
「えっと……『ちょっと意地悪』ですか?」

 先生は目を見開いて、前髪をかき上げて笑った。

「何だよ、それ」
「ち、違ったんですね!? すみません!」
「まあ、それも合ってるかもね。ただ、覚えておいて欲しいんだけど……」

 ふいに、先生が綺麗な顔を僕に近づけてきて。僕は思わず肩を強張らせた。

「ルイ。俺、かなり嫉妬深いから。忘れないように」

 …………。

 え?

 ——俺の弟に興味があるの……?——

 ——ずいぶん直人くんと仲がいいね……?——

 僕、そんなこと言われると……。先生。先生。

「ルイ。カフェに行こう」

 急に先生が立ち上がった。腕時計を見ている。

「ルイ。聞いてる?」
「は、はい!」

 あれ?

 あれれ?

 僕、やっぱり期待しちゃうよ。先生。

「ダメだよ」

 先生は歩き出した。僕は慌てて追いかけた。そうしたら先生が、僕よりも長い脚で走り出して。追いつくわけなくて、僕はまた無邪気に、声を上げて笑ってしまった。

 先生が振り返って、立ち止まった。大笑いする僕に微笑んでいる。

 僕がジェットコースターから降りられなくなる、先生の優しい微笑みだ————

 
 先生と僕は、テラス席に通してもらえた。レンガで隣との席が仕切られていて、まわりの視線を気にせずに楽しめる、半個室っぽい作りだ。

 人気の席に、先生と座れるなんて!

「ルイ。場所を交換しよう」
「え?」
「こっちのほうが、景色がいいから」

 先生。優しいな。

 僕は先生と席を交換した。先生の後ろに、噴水と薔薇のトンネルが見える。

 先生、まるで絵画みたいだ。写真撮りたいな、先生。

 僕は心の中で、何枚もシャッターを押した。お花もいっぱいだし、思い出もいっぱいだ。

「わあっ! 美味しそうですね!」

 僕はキャロットケーキを、先生はレモンのマフィンを選んだ。キャロットケーキはクリームチーズの上に、カラフルなエディブルフラワーがたくさん散りばめられている。
 
 先生のレモンのマフィンには、紫色のエディブルフラワーが飾られていた。

 先生、紫色も似合う。先生なら、どんな色でも似合いそうだな……。

「ルイ」
「は、はい!」
「いつも俺をジロジロ見てくるけど。なんで?」
「な、なんでって……」

 先生は、レモンのマフィンを大きな手で掴んで、横からかじりついた。

 先生、マフィンが好きなのかな……。

 ——ブルーベリー、まだ残ってるよ——

 僕は動揺して、キャロットケーキを手で掴みそうになってしまった。

「おっと……」

 僕の手を、先生が咄嗟に掴んだ。先生の大きな手に、僕の小さな手がすっぽりと収まった。
 
 先生の長い指が、僕の手のひらに触れている。

「手で食べるものじゃないだろ、それは」
「すみませ……」

 僕の手を握りしめたまま、先生が親指をゆっくり動かして……僕の手のひらを触ってきた。

「あ、あの……リョウせんせ……」

 僕は、ぎゅっと目をつぶった。どうしよう。くすぐったい。

 先生。すごく、くすぐったい。

 身体がもぞもぞしちゃう……!

「ルイ、フォーク使いなよ」

 先生が僕の手を離して、僕は目を開けた。

 先生は何事もなかったかのように、コーヒーをすすっている。僕、またコロコロされてる……?

 僕は両手で顔をあおいだあと、フォークでキャロットケーキをカットして、一口だけ頬張った。

 あ、美味しい。

「ルイ。さっき、くすぐったかった?」

 僕はキャロットケーキを吹き出しそうになった。先生が笑っている。

「せ、先生は……!」
リョウ先生(・・・・・)
「リ、リョウ先生は……!」
「あと一回でアウトだよ、ルイ」

 先生は、長い親指と人差し指をピンと立てた。

リョウ先生(・・・・・)って呼べって注意されるの、これで二回目だからね?」

 僕は肩をすぼめて頷いた。

 だって、緊張しちゃうから。頭の中では、いつも「先生」って呼んでるし。

 直人の前では、リョウ先生って呼んで話せるのに。先生を前にすると、意識しちゃって名前を言うのが恥ずかしくて。

 でも、このままじゃいつまでたっても、先生との距離が縮まらない。

 よし!頑張れ、僕!

「リョウ先生! キャロットケーキ、よかったら!」

 僕は、キャロットケーキのお皿を先生に差し出した。

「いらないってこと?」
「い、いらないんじゃなくて! 美味しいので!」
「美味しいので?」
「リョウ先生にも、食べて欲し……」

 先生が頬杖をついて、口を開けた。

「え……?」
「食べて欲しいんでしょ?」

 もう一度、先生が口を開けた。

 えっと。

 食べさせて……ってこと?

 ドックンドクンドクンドクン————

「ルイ。顎が疲れる。早く」

 そう言って、先生がまた口を開けた。

 頬杖をついて、長い中指を、こめかみのあたりでトントンさせて。

 ちょっと上がった綺麗な二重瞼で、先生が僕をじっと見つめている。

 僕はフォークで、キャロットケーキを小さくカットした。

 緊張する。手が震えちゃう。さっき意気込んだばっかりなのに!

「ど、ど、どうぞ……」
「ルイ。遅いよ、顎が疲れるってば」

 先生は腰を上げて、前屈みになって僕の手を掴んで……。そのままフォークに近づいて、ケーキを口の中に入れて頬張った。

「ふーん。美味しいね……ルイ?」

 ずっとずっと、僕を見ていた。全部の動作、最初から最後まで。

 左側の口角を上げながら、どこか意地悪そうに目を細めながら、先生は僕を見つめていた。

 ドクドクドクドクドクドクドクドク————!

「残りはルイが食べなよ」

 先生は、口のまわりについたクリームチーズを長い人差し指で取って、それをペロッと舌で舐めた。

「ルイ。聞いてる?」
「そ、そ、そういたします……」
「何だよ、それ」

 
 先生はお腹を抱えて笑った。残りのキャロットケーキは僕が食べたけど、味はほとんどしなかった……。